トヨタ期間従業員に行こう

トヨタ自動車期間従業員であった筆者が期間工、派遣社員、非正規社員についてや雇用の問題そして1年間にわたる失業生活、その後のタクシー運転手としての日々なんかをぬるめに書いています。

322時間
ゴールデンウィークアレルギーなのか、先週の金曜日あたりから体調を崩したのだけれど、やっと帰省ラッシュのニュースが流れる今日になると、治ってきた。この一週間も仕事だったので、ぼんやりとした意識で仕事をして、急いで帰宅すると薬を飲んで寝る。休日もとにかく寝る寝る寝るといった日々だった。おかげでGWという日々を怨んだり妬んだりすることなく、ただ熱や咳や頭痛なんてことだけを考えて、ぼんやりと過ごせたのだから、病気もありがたいということだ。

さて、322時間というのは、タクシー運転手が一か月間に働ける時間だ。(通常は299時間、車庫待ちなどの運転手は322時間。豊橋市の場合は後者にあたる)20日出勤として1日16時間営業することができる。これとは別に「1日の拘束時間が16時間を超える回数が1箇月について7回以内であること。」という労働大臣告示「自動車運転者の労働時間等の改善のための基準」(改善基準告示)が策定されている。

「タクシー・ハイヤー運転者の労働条件の改善を図るため」に策定されているもので、普通こういう法令が施行されるのは、使用者による残業や過重労働の強制からの労働者保護が目的なのだけれど、この業界は少し違っていて運転手が自らの意思において長時間労働をすることを防止するという意味合いのほうが強い。

どういうことかというと、運転手の収入は各自の売上によって決まる。売上は「売上=客単価×客数」なのだから、運転手は客単価か客数を増やすことを考える。客単価は初乗料金、爾後料金が決まっているので、あとは走行距離によることになる。その走行距離は不確定要因なので、日によって、あるいは時間によって大きく変動する。客数もその通りだ。

ではどうするかというと、客数を増やすためにはコンビニ理論で時間を延長するのが手っ取り早い方法であり、車庫待ち営業地域においては誰でもできる簡単な方法なのだ。売上=営業時間という単純なものになる。

という状況になるとどうなるかというと、運転手は自由にさせておくと何時間でも営業をするようになる。売上=時間なのだから。

実際、タクシー会社において運転手の時間管理(もちろん超過すること)「322時間、16時間超過7回まで、という数字を超える違反者が出てこないか」ということが運行管理者の最大の悩みになり業務になる。普通は逆なのだ。労働者は一刻も早く仕事を終えて帰りたいし、1日16時間なんて頼まれてもやりたくない。322時間なんて労働時間を「超えさせてくれ」なんて労働者が今の日本のどこにいるというのだ。

タクシー運転手も好きでやっているわけではない。(中には好きでやっている人もいるけれど)売上=時間なのだから、生活のためには延長して働かなければならない人が多いのも確かなのだ。

とはいっても、仮に初乗料金が上がり、客数が劇的に増えたとしても、売上=時間なのだし、誰しもお金が好きなので、売上=時間という法則がある限り運転手は長時間労働になる。

異常なのである。1日は24時間しかないのに「16時間は働いても良いよ」というのはどう考えても普通ではないのだ。あとの8時間で帰宅し食事し風呂に入って酒飲んで寝るのだから、慢性的な睡眠不足になる。せめて14時間に…なんて考えてみるのだけれど、運転手のほうが「やらせてくれ」「もっと時間を」という状況なのだから仕方ない。いや、労働時間を規制するよりも賃金体系を規制して、歩合制を廃止しタクシー運転手はすべて月給制にするということを法令化しない限り、異常な生活から脱出できない。

高速ツアーバス事故の河野化山容疑者だけが過労運転をしているわけではない。ほとんどのタクシー運転手も同じようなものなのだ。ワイドショーで「パイロットと同じように人命を預かっている」と誰かが言っていた。その飛行機パイロットとタクシー運転手が同じような収入で同じような社会的ステータスなのか、というと、一方は雲助と言われる賤職で、一方は憧れの職業である。一方は年収200万円程度で、一方はその10倍もの収入を得ている。同じように人命を預かっているのだけれど、あまりにも待遇は違い過ぎるのだ。

総務省は「過労運転による事故がいつ起きてもおかしくない状況で運行されている」として国交省に対し、指導を徹底するよう勧告していたというのだけれど、過労運転をしなければ生活保護者よりも低い賃金のままなのだ。たかだか初乗料金680円ぐらいで事故が起こらないと思う方がおかしくないか?そんなに命が欲しければ初めから「運転手さん、これチップです。よろしくお願いします」なんて酒手でもはずめばいいのだ。逆に「早く行け」「遠回りだ」なんて言われると、このまま客と心中しようかしら、なんて思うに決まっている。

高速バスツアーの格安バスに限らず、旅客運送している全ての車両の運転手は危険な状態で運転しているのだ。運を天に任せているのだから運転なのだ。それに車なんてものは、たった4本のタイヤで時速100キロメートルなんて走るのだから、そのこと自体危険であり奇跡なのだ。その危険と奇跡の上に乗っているということに対して不感症になっていることも問題なのだ。安全なクルマ、とか、安全な高速道路、なんてものは存在しないのだ。

体調を崩していて、おまけに睡眠不足でぼんやり運転していて、奇跡的に無事故だった今年のゴールデンウィークも終わる。明日、帰省ラッシュの高速道路で「多重玉突き事故で10人死亡」なんてニュースがあったとしても、それも別に普通のことだから驚きはしないけれど…。

唐茄子の煮もの
今日のおかず

高速バス事故で考えたこと
そんなに驚くような事故でもない。
だって、毎日それ以上の人が交通事故で亡くなっているのだし。
これまでも、そしてこれからも、こんな事故は起きるんだし。
そんなに珍しい事故でもないのに、どうしてこんなに大騒ぎするのかも疑問。

ただ、今回も内部留保をたっぷりと貯めこみエコカー減税や補助金なんて優遇をされながら、人件費という社会投資を抑制している企業の、この事故での責任は大きい。

今のデフレスパイラルの最大の責任は人件費を単純にコストとして計算してきた企業にある。全労働人口の三割以上が非正規雇用になり、同一労働非同一賃金が格差社会を造り出した。その格差がハイリスク国家を造ることになる。

どういうことかというと、例えば結婚しない/できない人たちは将来のことなんかは考えないようになる。ボクもそうだ。そうなると環境などの安全については不感症になる。単純に自分たちが生きている間だけ安全ならいい、そう考えるから、多くは原発賛成だ。エコカーくそ食らえなのだ。

河川が汚れることを分かっていたとしても、排油は下水にそのまま流す。食用油だけならいいけれど、自動車のオイルなんてのも流す。ゴミの仕分けなんてのも面倒なのでしない。それどころか缶だろうがビンだろうが燃えるゴミ。リサイクル料なんて払うのももったいなから、野山にポイ捨て。環境なんてくそ食らえなのだ。

格差がモラルを奪う。家族の喪失が思考を奪う。犯罪は狂暴化する。

人件費という社会投資を怠ってきたものだから国のシステムは老朽化するばかりで、ついには崩壊の危機をむかえている。デフレ・バッドスパイラルが起きている。

格安の賃金労働者が、格安賃金の運転手の運転する格安運賃のバスに乗る。

超格安の賃金労働者が、超格安賃金の運転手の運転する超格安運賃のバスに乗る。

超超格安の賃金労働者が、超超格安賃金の運転手の運転する超超格安運賃のバスに乗る。

もうどうにも止まらないのである…。

企業が抑制し削減を続けるコストのつけを払わされるのは結局国民ってことなのだ。安く便利になるということとの裏で、企業は利益を確保するかもしれないけれど、ボクたちは社会的コストをかなり支払わされていて、今回の事故のようなことまでもあっさりと起こってしまうということなのだ。そしてそのリスクも年々高まっているということなのだ。

年間交通事故死亡者数
過去20年間の年間交通事故死亡者推移 - Yahoo!ニュース
京都・亀岡の事故について考えたこと
少年法を変え、厳罰化したところで、このような事故はまた起きるに決まっている。

少年だろうが老人だろうが、病人だろうが変態だろうが、FUN TO DRIVE、運転することは楽しいのだ。覚せい剤や酒に酔って運転することに興奮する人だっているだろうし、無免許運転でエクスタシーに達する人もいるだろう。たまに歩行者天国へ突っ込み無差別に人を殺めたいなんてことを実行するヤツも現れる。

だってそこいらにクルマはいくらでもあるのだし、キーさえあればその快感が簡単に手に入るのだから、事故はまた必ず起きる。いやこうして書いている間にもクルマによって尊い命が奪われている。

厳罰化とともに「通学路の安全確保が大きな課題」なんて間抜けなことをアナウンスするマスコミもいる。歩行者と車の完全分離したとしても、無免許運転や飲酒運転、キチガイ運転がなくなるということとは、別の話なのだ。

全ての責任はクルマに対して甘いこの国の政府と、自動車業界にある。なにがなんでもクルマを売ることがこの国の発展だと頑なに信じては国民の生命と引き換えている。エコカー減税は行っても、セイフティカ―減税なんてものはやらない。コストを下げてとにかく売って売って売りまくり、飲酒運転だろうが無免許運転だろうがクルマを買ってくれる人が神様という国なのだ。

はじめにクルマありき、なのだ。

クルマによる殺人をなくすのは簡単な話なのだ。クルマをなくせばいいだけの話なのだ。原発のようにね。オレに言わせれば排気ガスをまき散らし、毎日毎日人を殺め続けるクルマよりも原発のほうがどれだけ安全か。

クルマをなくすことが無理ならば、せめて無免許運転が出来ないような、飲酒運転が出来ないような、イグニッションシステムを全車に装備することを義務化するべきだ。免許証リーダーとアルコール検知器を付けるだけのことで、技術的には何の問題もないはずだし、明日からでも出来ることなのだ。

それをやらない国や自動車業界こそ、今回の事件の真犯人なのだ。エコカーなんて欺瞞に満ちたことに税金を使うよりも、セイフティカ―に対して使うべきなのだ。エコカー減税によって優遇される人なんてのは限られている。しかしそのクルマによって全国民が危険に晒されているとしたら、どちらを優先させるかなんてことは、誰が考えても分かりそうなものだけれど、エコカー減税に対して反対の意見を唱える人なんていない。増税には過剰に反応するくせに…。

もう一度言う。本当の犯人は無策な国と、危険を承知で売ることばかり考えている自動車メーカーなのだ。

豊橋公園の桜
トヨタのゴールデンウィーク
この時期になるとトヨタカレンダーについての問い合わせがあったりする。「工場や寮の近くの商店の人たちかなあ」なんて考えていたのだけれど、そういう人たちはきっと直接来店するトヨタの人から聞くに決まっている。それぐらいのセールストークをするぐらいの営業努力はしているはずだ。

となると、いったい誰がトヨタ自動車の休日を知りたいのだろうか…。

聞けない人たち、例えば風俗関係とか?
ヘルス、デリヘル、あるいはソープ、立ちんぼ、なんて商売の人が「お客さん、トヨタの人ですよね?GWはいつからですか?」なんて聞けるはずがない。

あるいは、旦那を疑っているトヨタ妻とか?
「会社も給料明細と同じように“休日・休暇明細”を出してほしいわねえ」なんて切望しているトヨタ妻もいるはずだ。妻たちの知らない年休があるだろうし…。(給料明細に年休の記載があるか)

なんて、考えている。

今年は4月28日(土曜日)から5月6日(日曜日)までだ。9連休、日本のほとんどの企業がこのパターンなのだろう。

行楽地や道路は渋滞するのだけれど、タクシー業界は暇だ。クルマ社会、電車やバスを乗り継いでなんて家族は絶滅危惧種に認定されかねないほど少ない。そういった公共交通機関利用の旅の思い出も必要だと思うのだけれど、なにがなんでもマイカーで行こうとする。旅費節約。中にはそのマイカーがマイホテルにもなって、超節約家族なんてのも存在する。まあ、それはそれでいい。その分を子どもの教育費にかければいいのだし…。

タクシー業界は暇、なのだけれど、4月27日、28日と5月6日は忙しい。特に田原市内ではタクシーがつかまらない。2直が終わって早朝、始発の電車で帰省しようとする期間従業員が多いので、1時間2時間なんて待たされることもあるそうだ。ボクがいた時期もタクシーはつかまらなかったし、臨時便を出していたぐるりんバスもすし詰め満員状態だった。

GWの最終日前、最終日の田原駅も神立ち状態になる。20〜30人なんて人が並ぶ状態が続く。

そんな状態になるので中にはキレるトヨタ関係者も出てくる。「なんで来ないんだよ〜」から「なんていう町なんだ」なんて田原市を呪う言葉も出てくるらしい。

「お前んとこのタクシーはどうなってるんだ」とか「もっとタクシー増やせや」なんてセンターに電話して罵る輩もいるらしい。

気持ちは分からないではない。楽しい帰省が終わって、また田原刑務所での悪夢の日々が始まるのだから、もうほとんどの人は鬱状態なのだ。中には戻ってこない人もいる。中には失踪する人もいる。そしてまれに…。

そんなこと考えるとゴールデンウィークなんてのはないほうが良いのかもしれない。期間従業員にはとっては無収入の期間でもあるのだから、けっしてゴールデンではないのだし…。そういえばボクが初めて赴任した時にはGWの帰省旅費や休暇手当なんてものもあったのだけれど…。

行はヨイヨイ、帰りはコワイ、コワイながらも…。みんなのゴールデンウィークがやってくる。(除くサービス業だけれど…)

御津
春霖
貧しかったという感覚はなかったのだけれど、今思うとボクの子どもの頃というのは、そうだったのだろう。相対的なものだから、大人になると、というか育った地域を離れると、貧しかったということを実感する。例えば、週刊ジャンプなんて漫画雑誌を子供の頃からの習慣でいまだに読んでいる同じぐらいの年齢の人がいたり、あるいは昔見たテレビの話なんかをすると微妙になにか違和感を感じたりする。地域差、都会と田舎だと10年とは言わないけれど5年ぐらいの発展差があったように感じる。

実家の裏には小屋があった。ボクが物心ついてから小学校にあがるまで、そこには叔父さん夫婦と3人の子ども(いとこだけれど)が住んでいた。六畳と四畳半ぐらいの間取りで、風呂も炊事場施設もなくて、ただ電気が母屋である実家から引っ張られているだけの簡素な家だった。

風呂も食事も母屋に来ていたし、実家の細々したことはいつも叔父さんがやっていた。それは叔父が自分の家を持ってその小屋を出て行った後も続いて、日に一度は顔を出していたし、父には出来ないこと、例えば大工仕事なんてのを誰に言われることなくやっていた。

小屋にはテレビなんてものはなくて、ラジオから歌謡曲が、そしてプロ野球の実況中継が流れていたように憶えている。トタン屋根を打つ雨音に混じってラジオの音がボクのところにも聞こえてきていた。きっと雨の日にはボリュームを上げていたのだろう。

愚直という言葉がぴったりの人だった。容姿は父親に似ていたのだけれど、そんな性格は、たぶん弟として育てた親の望み通りになったのだろう。父に逆らうことはなかったし、母に対しても、そしてボクたち兄弟に対しても、いつも丁寧に接してくれた。

貧しかったのだけれど、その貧しさに媚びてはなかったし、それを恨んでもいなかった。周りがすべてそうだった、ということでもなくて、あの頃の家族と言う共同体の中での役割が身に染みていたのだろうし、それが叔父さんの人生だったのだろうし、あの頃の人たちの生き方だったのだろう。

今考えると、それはかなり不条理な部分を含んでいるように思う。弟として生まれたがばかりにそうした生き方をしなければならなかった時代。

その叔父さんが亡くなった。
父と同じ病気だった。そういった負の遺産は平等に受け継いだ。それもまたなにか不条理なように思う。それでも、あの頃は幸せだったのかもしれない。ボクもそう感じていた。それは貧しかったのだろうけれど、みんなが寄り添って生きていたからなのだろう。貧しい食事だったとしても、十数人分の温もりがそこにあったのだろうと思う。少年ジャンプはなかったのだけれど、そんなものよりも楽しことがいっぱいあったのだろうと思う。そしてラジオから聞こえる声にワクワクしていたのだろう。

外は雨。ああ、そうそう、庭の、あの実家の庭の躑躅も咲く頃だろうね。

新城市医王寺





真心サービスおじんタクシー
「今日は天気予報によると一時雨ということが言われていましたが、運転くれぐれも気を付けてくださいね。車間距離は十分に取って、あまりスピードは出しすぎないように、それから、お客様には愛想、真心サービスですよ。身だしなみはキチンと、言葉使いは丁寧に、お客様に決して不快な気持ちを与えないようにお願いしますね。鼻毛は伸びていないか。よだれは垂れていないか。いつも点検してくださいよ。お客様の前で決して入歯など外さないように。お願いしますよ。」

桂三枝師匠作の「真心サービスおじんタクシー」は、65歳から92歳までの“おじん”たちでシフトを組んだタクシー会社での噺だ。

この噺に出てくる“おじん”たちは、65歳から92歳まで。92歳という高齢の運転手は知らないけれど80歳代の方はいるし、70歳代なんてのは運転手としては脂の乗り切った年齢のような気もする。がしかし、地理を熟知し真心のサービス、安全な運転をしたとしても、加齢による視力聴力判断力なんてものの衰えからくる危険性は増してくる。

持病の薬を飲み忘れたりすることだってあるだろう。この噺の運転手のように、服用するのを忘れるといけないので朝全部飲んでおいた、なんてこともあるかもしれない。都合の悪いことは隠して就労するなんてことも起きるかもしれない。

*65歳に達した日以後1年以内に1回、その後75歳に達するまで3年以内ごとに1回
*75歳に達した日以後1年以内に1回、その後1年以内ごとに1回

という運転者適性診断を受診しなければならないとしても、3年は長い。「おじんタクシー」最高齢、92歳の田谷力一郎さんが年に1回の適性診断だけで安全に運行できるのか、なんて思うのだ。やっぱりいくら脂の乗り切った人たちとはいえ、凶器にもなる車を運転するのだからどこかで制限を設けないといけないのではないかと思うのだ。

タクシー業界というのは雇用のセーフティネットとなっている。リーマンショックの時、製造業が派遣切りや雇止めをする中、正社員として雇用を増やしたことも記憶に新しい。このボクも救われた。そして高齢者が必要とされている数少ない業界でもある。彼らのほとんどが(ボクが知っている“彼ら”なのだけれど)「必要とされているから働く」なんて使命感ではなく、あるいは「働きたいから」という労働意欲からでもなく、ただただ暮らしていけないからという理由だけで65歳を過ぎてもなお毎日、運を転(天)にまかせているのだ。

若い時のツケが回ってきているとしても、高齢者が安心して定年を迎えられない世の中のほうが変だと思う。“おじん”になっても労働して税金をおさめている人たちの収入よりも、生活保護費のほうが高いということも変だと思う。いつまでたっても老後が来ない国に安心して住めるはずがないのだ。

落語だけの笑い話ではなくて、もうすでにタクシー業界は「おじんタクシー」化している。この国の産業界全体が「おじん」化する。高齢者の雇用を促進するなんて聞こえはいいのだけれど、現状はタクシー業界のように暮らしに困って働いているという人のほうが多い。年金問題と雇用問題をどこかですり替えようとしている。そしてその代償として国民を危険に晒しているということなのだ。社会保障の不備がおじんタクシーというシステムを、危険を制限しないシステムをつくりだしているのだ。

さくら2012年

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