トヨタ期間従業員に行こう

トヨタ自動車期間従業員であった筆者が期間工、派遣社員、非正規社員についてや雇用の問題そして1年間にわたる失業生活、その後のタクシー運転手としての日々なんかをぬるめに書いています。

祈り
いつの間にかこんな時間に・・・。
春はやっぱりやってきた・・・。

神よ、わたしに、
慰められるよりも、慰めることを、
理解されることよりも、理解することを、
愛されるよりも、愛することを
望ませてください。

「平和を願う祈り」


なんとなくだけれど、うまく解決されないことがボクの身体の周りにずっとまとわりついていた。洗っても洗っても綺麗にならないことのように、ボクはそのことに悩まされていた。いや解決したというわけではないのだけれど、ボクたちの多くのデキゴトやナヤミゴトは、「洗い流す」というよりも「中和させる」ことによってだけ、解決されるのではなくて忘れ去られる、それだけのことなのだけれど。

花は満開、春は爛漫。

3月にはカタクリの花を何度か見に行った。
阿蘇の雲海をしつこく追いかけた日々を想い出した。一心行の大桜もそろそろ満開かもしれない。その春の柔らかい手がボクの想い出をこっそりと現在と繋げる。

雨の日に桜を見に行った。いつもの公園には、いつものように屋台も出てきたのだけれど、何人かの気が狂った花見客以外は、大雨の日に花見をする情緒を持ち合わせていないのだろうと、思った。

なんとなくだけれど、失語症みたいな症状で、うまく喋れないんだ。まあ、そのほうがシアワセだと思うのだけれど。それほどの元気、というか、自覚症状のある正常さ、なんだろうと思ったり・・・。

さてと、花見で一杯。

石巻のカタクリの花
石巻西川のカタクリ
(3月15日撮影)

石巻のカタクリの花
(3月27日撮影)
プレミアムフライデーとふるさと納税一色町うなぎ旅
「一色うなぎを食べてみたいもんだ」というのが、ふるさと納税を西尾市にした、ひとつの理由だった。うなぎに関しては、ここ豊橋市も有名なのだけれど、「ねえねえ、うなぎ食べた?」なんて話になると、豊橋<一色というのが全国的な認知度らしい。

もうひとつの理由は、税金の使途に「公共交通対策に関する事業」というのがあったからだ。「そうだね、末端ではあるが公共交通で生きているもんね」なんて、思ったからだ。

納税したのが去年のことで、返礼品の食事券「うなぎづくし御膳」が届いたのも去年のことで、忙しさに追われ、ついつい「うなぎ」も「公共交通」も、すっかり忘れていた。部屋の片隅(片隅があるほど広くはないのだけれど)に、チラチラと善意と欲望の食事券が見え隠れしていて、有効期限があることも分かっていたのだけれど、「公共交通対策」が目的だし、一色町は遠いし、それほどうなぎは好物でもないし(お店で食べるのは3年ぶりぐらいの好物度)、なんだかもうどうでもよくなっていた。

どうでもよくなっていたのだけれど、時価6000円程度(たぶん)の食事券だし、プレミアムフライデーだし、外出脅迫症みたいなものまで発症しそうだし、なんてことで、緊褌一番(それほどおおげさでもないのだけれど)、うなぎ旅をした。

ふるさと納税 西尾 うなぎづくし御膳

目的地は、うなぎの聖地である西尾市一色町にあるうなぎの兼光さんだ。兼光養鰻さんが満を持して開店した直営店だ。きっとおいしいに決まっている。なんていっても直営店だ。聖地だ。食べログの評判も良い。

ボクたちは、うなぎの唄を歌いながら、ちょっと興奮しながら、そしてお腹を空かしながら、県道を走った。そうして17時の開店少し前に着いた。はやる気持ちを抑えながら、「開店と同時に入ったらいかにも素人だよ」なんて、うなぎの唄を歌いながら、少しだけ、5分だけ、待った。

うなぎづくし御膳は、きっとボクのような志と善意をもって西尾市に納税している人たちの欲望を満たすために(普通、志と私欲は同居しないのだけれど)、きっとひと肌もふた肌も脱いでいるに違いない兼光社長の肝いりに違いないと思った。(だって、どう考えても、納税額<うなぎづくし御膳なのだ)

一色町 うなぎ兼光 うなぎづくし御膳

ボクたちが「肝十」と名付けた、肝焼きは10匹分の肝が炭火でコンガリと焼かれていて、酒がすすんだ。もちろん日本酒の熱燗だ。うなぎは皮カリに身ホクホク、美味しい。酢味噌で食べたのも初めてだった。ボクは、すっかり酔ってしまっていたのだけれど、うなぎ屋さんで長居なんてのも、なんだか悪い気がしたし、「肝十」の効果なのだろうか「頑張って帰るかあ」なんて精気が出て、帰ることにした。

うなぎの兼光 肝十

もちろん、帰路も、ボクたちはうなぎの唄を歌っていた。そうして、うなぎの兼光さんと西尾市の公共交通政策がうまくいくように祈った。

部屋にたどり着いたボクは、なんとなくまだ酔っていて、そうしてなんとなくまだ歌っている。

うなぎ美味し一色、うなぎづくし兼光〜♪

一色町うなぎ旅は終わり、プレミアムなフライデーの夜もふけてゆく。すべての人が納税に対してプレミアムな感覚を持てるようになることが、嘘っぱちな日を設けるよりも肝要なのだろうと思った。満遍なくプレミアムな日が来ますように・・・。
正しさ
「あれで良かったのかなあ」なんて人は常に思う。

行動の善悪について悩むことが多いのは、たぶん自信がないからなんだろう。それはそれで良いとボクは思う。常に善悪について考える癖みたいなものは必要だと思う。その癖が正しい生き方につながるのだから。

自分の行動を正当化する癖もボクたちには元々備わっている。「正しい悪」なんてことも肯定される。正しさの秤が人によってずいぶんと違う。

では、どうやってその善悪を見分けるか、ということなんだけれど、ボクはボクの言動で「不幸になる人がいないか」ということを基準に考えることにしている。自分の欲のために、自分の幸福のために誰かが不幸になり傷ついて良いわけがない。ゲスと言われる言動は、常に誰かを不幸にし傷つけているのに、自分たちだけが欲望を満たしている。そうならないように危言危行を貫きたいと、思っている。(思っているだけだったりするだけで、やっぱりどこかで人を傷つけてしまうのだけれど)

少し前の夜、「それで良かったんだよ」とA君の質問に答えたことがあった。行動が正直だったからだし、そのことによって誰も不幸にならなかったからだ。「正直」ということも基準になる。ただ、正直だけだと利己的に陥りやすいので、「不幸になる人がいないこと」を優先することが肝要だと思う。

人の中にいると悩みが多い。「あれで良かったのかなあ」という悩みも多くは人に関してだ。動物は利己的に生きる。人も同じだ。

そういえば少し前、熊の子殺しの話になったときにGさんとそんな話をした。自分の欲望のために子を殺す。母熊は、子を殺した雄熊を受け入れてしまう。そういう仕組みの中で宇宙は存在する。

春の予感がする。これからボクはお昼ご飯を食べる。ひとりでいることのなんと平和のことか。そうして「これで良いのだ」なんて思っているんだけれど・・・。

大根と蓬莱泉 可
大根もこれぐらいの厚さで煮ると美味しい。圧力鍋使用だけれど・・・。「蓬莱泉 可」日本酒
プレミアムフライデーで考えたこと
ボンヤリとした休日、朝風呂に朝酒、昼寝してゴロゴロ・・・。夕方、広小路の100均に行ったらお休みでガッカリ、おまけに雨に少しだけ降られたのだけれど、乾いた街からは雨のにおいがしてきたので、心は少しだけ満たされて、また帰ってゴロゴロしている。それはそれで幸せだったり。

プレミアムホリデーの夜の帳もおりた頃・・・腹減った。

むかし、「私作る人、僕食べる人」なんてCMがあった。作る人と食べる人の性別での役割分業の固定化、女性差別、なんてことで問題になって、放送中止になった。もちろん「私」は女性で、「僕」は男性、今から40年前、1975年、その当時の日本の家庭では、女性がもっぱら「作る人」で、「男子厨房に入らず」なんてお父さんたちも多い、旧態依然とした生活が、まだ一般的だったように思う。

男女共同参画社会なんて法律まであったとしても、いまだに男尊女卑なんて悪しき風習が世の中にはたくさんある。

「わたし作る人、ぼく食べる人」・・・。
なるほど差別的だ。では、格差によって役割分業されてしまって、そこから抜け出すに抜け出せない、今のこの国の雇用問題は差別ではないのだろうか?

「わたし」は常に作る人で、「ぼく」は常にそれを食べる人。

例えば非正規問題では、「わたし」たちはいろいろなものを「たべる」ことが出来ない。ボーナスだって、社会保険だって、年休だって、厚生施設だって、いやもうすでに人権問題として扱わなければならないほど賃金格差が拡がっていて、「たべる」ことができないどころか、「わたし」たちは食べられている。そうして「ぼく」たちは、肥え太っている、というのがこの格差社会なのだ。

プレミアムフライデーが2月24日の金曜日から始まるらしい。いったい誰がそのプレミアムを感じることができるのだろうか?

ボクたちのようなサービス業労働者は、POOR FRIDAYになるに決まっている。中小企業で働く人たちも、そんなプレミアムな時間を過ごせるどころか、土曜日出勤だってしなければならない。

プレミアムな金曜日を過ごす大企業の人たちのために、下請けや関連企業の人たちの週末が苦しいものになるのではないのだろうか。

プレミアムフライデーでの役割分業の固定化という差別が行われようとしているのではないのかと思っている。

盆も正月も、年休さえも取れずに、さらにサービス残業までしなければならない、多くの企業ありかたが解決されぬままに、格差の根源である非正規問題や同一労働同一賃金、ブラック企業やブラックバイトなんて問題が解決されぬままに、内需拡大なんていう耳ざわりのよいワーディングで、国家主導の差別が行われようとしているのだ。

本当にプレミアムと感じられる人は何人いるのだろうか。どこかでそのツケは、また回ってこないのだろうか、と、怒っていると、また腹減ってきた。
どうせ、「そんなの関係ない」のだから、ごはんを作るか。ボク作る人、ボク食べる人、そんなプレミアムな夜なのだ。

プレミアムフライデー(Premium Friday) どうする?月末金曜日。


「若竹、純米吟醸生原酒」とメバルのから揚げ。
#日本酒
出家
実は出家したかった時期があった。20歳になったばかりの頃、例えばGさんと出会って臨済宗のお寺の人と少し話をするようになったり、仏山寺の和尚と知り合いになったりして、なんとなく「神ってる(仏ってる、か?)」時期があった。というよりも、それほど苦悩の時期があった。

インドに行ったのもそういった流れだった。ガンガーで沐浴してサドゥと話をしたり、オレンジの服を着て空中浮遊を試みたり、真面目に修行僧になろうと思った頃もあったのだけれど、結局、インドでは身ぐるみはがされ、「空」になったのは心ではなく財布で、空中浮遊できることもなく這う這うの体でたどり着いたのは悟りの世界ではなくて、成田空港だった。

ボクのように出家したい、とか、解脱したい、とか、悟りたい、なんて人は多いと思う。それほどこの世界は煩悩が満ち満ちている。なんとこの世の悩み苦しみの多いことか。

清水富美加さんの出家のニュースを聞いて、なんとなくうらやましく思った。

ボクたち悩み苦しんでいる。こうして暮らすこと自体、こうして働くこと自体、要するに生きることは悩み苦しむことなのだ。だから新しい生活の場や職場を求めて出家する。悩みや苦しみの原因は、学校や職場、社会や集団なのだ。

救われる場所がないから、人は悩み苦しみ、自らの命を捨てる。

これまで、いったい宗教は何をしていたのだろうか?これほどいじめやハラスメント、過労死や自死なんてことが問題になり、年間数万人の人たちが自死し殺されているとしても、救い主は現れなかった。

悩み苦しんでいる人の、救済の場所が見つからない。そこいらに神社仏閣があるとしても、気取った神はボクたちに背を向けていた。格式ばった仏陀はボクたちには敷居が高すぎた。こじゃれた新興宗教はボクたちには難しすぎた。

救い主は現れなかった。国家も法も救ってはくれない。それどころか非正規のままで、努力しても報われず、格差は拡がるばかりだ。ボクたちは置き去りにされてしまっている。神も仏もない、そうして国家もない世界で、ボクたちは夢も希望もなく、ただ虚しく生き延びているのだ。

死を選ぶよりは出家したほうが良い。過労自死するよりは出家したほうが良い。路上に暮らすよりは、暴力に苦しむよりは・・・。そうに決まっている。

清水さんがボクたちにそう教えてくれているように思う。こんな世の中だから、そういう道もあるということを教えてくれているように、思うんだが・・・。

石巻山と豊川に満月
義理
義理の季節である。
義理とはいったいなんであろうかと考えてみた。

「日本の社会に固有な生活規範。義理は一般に社会に既存している道徳や習慣であり,人の踏み行うべき正しい道筋をいう」義理人情(ぎりにんじょう)とは - コトバンク

なるほど、生活規範らしい。道徳や習慣で、人の踏み行うべき正しい道筋ということらしい。

では義理を欠くと道徳感もなく正義でもなく、人の道を踏み外している、ということになる。要するに、ひとでなし、ということか。

「日本における濃密な人間関係、社会関係を維持存続し、さらには強化するための、日本の社会と文化に根ざした習俗であり、社会規範である」

ともある。

ふむふむ。そうなると、どうもチョコレートは進駐軍ではなくて、人間として関係がある人や、社会的に関係がある人が、社会規範や道徳ということをもって人間関係や社会関係を維持存続するために、同じ部署の上司や同僚、はたまた隣のオジサンや、顔見知りのお兄さん、とりあえず関係のある人に、プレゼントするものかもしれない。

そうしなければ、「あいつは義理を欠くヤツだ」なんて、ひとでなしにされてしまう。

義理チョコの日が終わって、職場は普段の空気の中にあるのだろうと思う。中にはこれほど「義理」が疎ましく負担に感じる日もないと思っている人も?お歳暮やお中元、誕生日お祝いや、その他もろもろ・・・、義理は「関係の倫理」の中で、このように道徳や正義や社会的規範なんて強迫観念にかれれる社会的観念なのだろうと思う。

その重圧に負けたのか、その社会観念に反旗を翻したのか、友チョコなんてもまであるらしいのが、それとて義理から派生した亜種なのだ。

とにかく義理の季節、老いも若きも義理が試される日だった。

「ふ〜ん、あなたの義理ってのはそんなもんなんですね」
「そっか、君の義理ってのはこれぐらいか」
「なに、義理もないのか」
なんてもらう側のコトバが聞こえてきたり・・・。

「だって、それぐらいなんですもの」
「面倒くさいし、勘違いされても」
「寝坊したもんで」
なんてあげる側のコトバが聞こえてきたり・・・。

とにかく国家あげての義理の日が終わったようだ。
どちらも気疲れして、今朝は、きっと、ホッとした安らかな空気の職場だったりしたのだろうと思うと、やっぱりチョコレートは進駐軍がこの国の人たちの心に植え付けたカカオかもしれないと、その心のカオスを考えていたりするのだけれど・・・。

2017バレンタインデー 獺祭 ca ca o

ca ca o「小町通りの石畳 獺祭スパークリング」
ありがたき義理人情。お返しは「半返し」というのが、これまた義理人情の国のしきたりだったりする。

唐獅子牡丹 | トヨタ期間従業員に行こう

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