トヨタ期間従業員に行こう

トヨタ自動車期間従業員であった筆者が期間工、派遣社員、非正規社員についてや雇用の問題そして1年間にわたる失業生活、その後のタクシー運転手としての日々なんかをぬるめに書いています。

仕事中でも煙草を吸えます
喫煙者の生産性損失時間は年130時間にも達するそうだ。
米研究機関の調査では、喫煙者は体調への悪影響などから通常通り仕事をこなせなかったり、欠勤したりすることによる「生産性損失時間」が年に130時間に達すると試算する。
仕事中は全面禁煙 企業に広がり、味の素など開始へ  :日本経済新聞
日本経済新聞5月23日
煙草休憩が当たり前だった昔、職場内でも通勤電車でも歩道でもテレビの向こうでも喫煙は当たり前の風景だった。その煙草休憩は休憩時間の内には入らなかった頃だと、生産性損失時間は1日30分〜60分、年間120時間〜240時間、体調への悪影響からではなく、喫煙による実質の休憩時間がそれだけあった。

今でも、煙草は休憩時間とは別、なんて企業もあるはずだし、タバココミュニケーションなんてことを信じている人も多いはずだ。確かに喫煙所でのタバココミュニケーション良い面もあって、損失ばかりではないのだろうが、最近はコミュニケーションというよりは、中毒症状が出てひたすらスースーハーハーしている人のほうが多いかもしれない。

社員喫煙を減らす取り組み

「就業中の喫煙を禁止」「喫煙者は採用しない」、各社禁煙の取り組みを実施、計画しているようだけれど、今度は禁煙によるストレスで「生産性損失時間」が増加するのではないだろうか?「もう我慢できないんで、退職する」とか、今流行りの大麻やコカインを吸引ではなくて、ドリンクとして飲んだりする人が増えたりしないのだろうか?

「煙草はカッコ悪いけれど、ハッシッシなんてカッコよくね?」「味の素ガンジャジュース」なんて発売されたり?

さてさて、そんな話よりも、そんなに我慢しなくて、そんなに窮屈な思いをしなくても、「煙草吸えます」なんてことが求人案内の特集になったり、ハロワの求職票の項目になったり、企業のウリになったりする日がやっと来たと思っている。

タクシー業界なんてのは、車内で吸わなければ、いつでもどこでもどれだけでも吸える。喫煙者にとっては夢の職場なのだ。車内で焼酎のトマトジュース割りを飲んで事故を起こすこともできるほど、煙草だけではなくて酒好きの人にも天国のような環境だ。たぶん、中にはクスリをやってる人もいるはず・・・そんな夢の職場なのだ。

来たれ!中毒患者!自由人! 勤務時間はあなたの中毒度で決めてください。会社の車庫を出ればもう夢の中です。あとはあなた次第で酒も煙草もクスリもやり放題です。

なんてキャッチで求人募集をするタクシー会社が出てくるに決まっている。なんたって労働集約産業だからね。質より量だからね ;P

酒を飲め、こう悲しみの多い人生は、眠るか酔うかして過ごしたほうが良かろう オマルハイヤーム「ルバイヤート」

さてとクスリ飲んで寝るか。胃薬だけれどね。
歩合給が業界をダメにするたったひとつの理由
労働集約型産業(タクシー産業のような)では、企業の利益や成長や生産性を、労働者の数や労働力の優劣など、多くを労働力(それも労働者個人の責任)にすり替えることが多い。そして下手な鉄砲も数撃てば当たる的な人海戦術で成長をしてきた。

最近やっと生産性なんてものを重要視するようになった理由も、その鉄砲の数である労働者不足が深刻化しているだけことだ。売上=労働力なのだから。

タクシー運転手の平均賃金が全産業労働者の62%しかないとしても、大雑把に言えば、そして語弊があるかもしれないが、企業の利益率とは関係ない話。経費の大部分が人件費であるのだから、賃金の減少はそのまま経費の減少になる、ただそれだけのことなのだ。

本当は、というか、まっとうな経営者であれば、単純な歩合給ではなくて、パフォーマンス(もちろんクオリティも)で賃金を決める。そうして賃金思想を持ち合わせていて、従業員の頭数だけを数えるなんてことはしないで、従業員個々人の生活まで踏み込んで賃金を考えるに決まっている。だって企業は人なのだから。

そうすることによってさらに従業員個々人のパフォーマンスが向上し、企業全体の生産性や品質も向上する。あるいはとんでも社員の退場を促すことにもなる。

タクシー業界が100年間ほとんど同じような仕組みと状況で、いや駕籠かきの時代とほぼ同じである理由は、その駕籠かき時代と同じような歩合給をいつまでも目先の利益だけで続けているからなのだ。

思想なき企業に成長なし、そう思う。業界自体が退場して、新しいプレイヤーたちがタクシーというものをリードしないと、いつまでもボクたちは労働力という鉄砲玉だけで終わってしまい、ライフワークバランスやクオリティオブライフなんてことことは疎遠な人生を強いられるに決まっているのだ。

菊水 純米酒
鰯食ふ大いに皿をよごしては  八木林之助
上級国民について考えたこと
日本人の自動車に対する観念は、諸外国のそれとは少し違うのではないかと考えている。三種の神器のひとつに数えられた時期があったり、フロントグリルに注連縄を飾っていたことを考えると、道具ではなくて人格化され、あるいは神格化されてきたように思う。現在も新車を買ったら神社でお祓いする人も多い。

自動車だけではなくて、道具や物という考え方を超えている物も多い。

自動車とは尊いもので、それを運転するにはそれなりの人格も必要とされる、という深層心理が日本人の精神の奥底にあるのではないかと思っている。自動車が神器だった世代の人たちにとってはステイタスシンボルという薄いものではなくて、自動車を運転すること、所有することは、身分制度での武士の刀のようなものに感じているのかもしれない。

だからいくつになっても免許を手放せない。三種の神器で、武士の刀なのだから、やすやすと手放せない。道具として必要なくなったとしても、身分制度の象徴的な存在、三種の神器なのだから、それを捨て去るということは恐れ多いこと、神罰が下る、祟りが末代まである、なんてその潜在意識の中にあるに違いない。

免許証制度も同じで、だいたい世の中の免許は、例えば免許皆伝、師範、大師範、というふうに位が高くなり、名誉師範なんて人生の終わりに授けたりすることのほうが多い。そしてそれはあの世まで持っていくものなのだ。草月流の師範が年齢を理由に免許証を返納しているか?池坊の大師範もだ。都山流の竹林軒大師範だって技術よりは貢献度みたいなもので・・・。

高齢者の事故のニュースを見るたびに、18歳からなんて年齢制限があるのなら80歳までという年齢制限もあっていいのではないかと思う。お茶屋お花とは違うのだから。

免許証制度だけではなくて、乗るのなら古い車を乗り続けるなんてことも止めていただき、最新のシステムを装備している自動車に乗るように義務化するようにしないと、どうも「もう人生最後の車だから」なんて自動ブレーキも装備されていない10年も前の車を大切に乗っている人も多い。なんせ道具じゃなくて神器だから簡単に捨てられない。

またタクシーをはじめ交通インフラの整備と自家用車がなくても不自由のない街づくり、脱自家用車社会を目指すべきなんじゃないかと、あらためて思う。公共交通だけでは供給不足だって分かり切っているんだから、もっと自家用有償運送を、もっとUberを、もっとCREWを、なんて思っている。

政府は自家用車を所有してもらえば税金が入ってきて、車検に保険なんて消費も生まれるけれど、返納されて公共交通依存されると、税金を使わなければならなくなるから、上級だろうが下級だろうが、いつまでの元気で働いて消費してくれってことなんだろう。

まあ、いつものことで、経済優先主義の病理でありジレンマで、国民の生命より自動車産業のほうが大切で、「何人死んだんですか?」なんて上級国民である経営者も官僚も政治家も思っているに違いない。

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母の日のプレゼントで考えたこと
盆も正月もゴールデンウィークも、それに自分の誕生日も、まして人の誕生日なんてものも関係ない人生を送っているのだけれど、唯一母の日だけは気になってしまい、毎年悩んでしまう。

カーネーションの鉢植は贈らないほうがいい。そんな話をGさんとした。「夏になって根腐れして枯らしてしまう」そうなると、もらった母親は罪悪感に苛まれる。捨てるに捨てられない贈り物は、そのうち庭の片隅に置かれる。土と鉢と燃やすごみに分別するもの面倒で、庭の隅の隅に追いやられる。

送り主である子どもが帰省して、その見覚えのある粗大ごみを発見して、なんだか気まずい思いをする。

なんてことになるに決まっている。枯れた後に片づけたとしても、その感覚は、例えば「楢山節考」の息子・辰平の背中の感覚に違いない。

「今さらカーネーションの生花をもらっても・・・」。確かに「今さら」感があるに決まっている。花を贈るのならば、毎年違った花のほうが、ボクならうれしい。「今年は薔薇の花束だったね」とかとか・・・。

母親が高齢になればなるほど、壊れない物は、今度はその日に「遺品」として残ってしまう。それを想像してしまったりもすると、哀しくもなる。処分する時に哀しみが増幅されてしまう。

そうなると、毎年消化されてしまうもののほうが良いと思う。食事、旅行・・・。食べ物、飲み物・・・。

まあ、実のところは、「なんでもうれしい」なんて言いながら、「なんても良いんだけれど、面倒くさいものは嫌だからね」なんて母親たちは思っていたりするのかもしれない。そしてその「面倒くさいもの」が「鉢植え」だったりする、そう思う。

じゃあ、今度の父の日、ボクが父親だったら・・・「面倒くさいから現金で、それも万券でね」と言うに決まっている。「食べ物なら、保存が効く米とか。まあ、こっちで勝手に買うから商品券で良いよ」と言うに決まっている。

そう思うのも、今年もまたけっこう考えてしまったからで、面倒くさいと思っているのは、贈る息子/娘だったりすのかもしれないと、ふと気づいてしまって、やっぱりダメ息子だとまた反省する、今年も反省の日だったりするのだ。

延命地蔵尊 母の日に
春の全国交通安全週間 2019年
10日、西尾市で道路脇を歩いていた母親と三歳の息子が乗用車にはねられるという事故が起きた。8日には大津市で幼稚園児の列に車が突っ込んで2人の幼い命が奪われた。相変わらず自動車は殺人兵器のままで、相変わらずモビリティの主体はその殺人兵器で、相変わらず野放しだ。

春の全国交通安全週間が今日から始まった。兵器製造王国愛知は相変わらず交通死亡事故数ワースト1、それも16年連続全国1位。人の命よりはその殺人兵器である自動車のほうが大切なのだから、誰も驚かないし、もう県民性とか風土なんてことで語られるようになっては、そのワースト1位を自慢にしているように思える時もある。

近年の事故は、今年のポスターが物語っているように、高齢者、自転車、歩行中の子供。西尾市、大津市の事故の犠牲者も歩行中の子供だった。ポスターで啓発しても、分かっているのに起きてしまう。

 2019年の春の全国交通安全運動

春の交通安全週間は毎年4月に行われる。ボクたち事業用自動車で生きている者にとっては周知の事なのだが、4年に1度だけ5月になる。その4年に1度の年が今年だったのだ。

統一地方選の年には5月に行われる。国民の命よりも選挙のほうが重要事ということなのだろうと、考える人も多いはずだ。人の命、というか4月だろうが5月だろうが、すでに形骸化されてしまっていて、その持つ本当の意味なんてものを忘れてしまっては、ポスター制作と配布が主題になっている。そもそもこんな連休明けの土曜日から始めること自体、なにも考えていないのだ。いったい誰が主体になってこの運動を盛り上げていくのか。内閣府、公務員は休日だ。その殺人兵器製造企業も休日だ。

本気で事故を減らす気持ちがあるのならば、安全週間のスタートは平日にして、例えばカーフリーデーにして、そのポスターに載っている自動車には使わない、横断歩道で立哨して安全活動をする、なんて運動を盛り上げることをすべきなのだ。

そうすれば、西尾の事故も起こらなかったはずだ。大津市の幼稚園児も死ななくてすんだのではないのか?

全てが形骸化されている。業界も「事業用自動車総合安全プラン2020」なんてものを策定し、交通事故を減らそうとしているが、どれほどの運転手が、どれほどの管理者が、あるいは経営者が知っているのだろうか。

そんな立派なプランを策定したとしても、タクシー車内で焼酎を飲んで事故を起こす悪質な運転手もいる。業界がいくら「白タク反対」なんて叫んだところで、「Maas」なんて横文字並べたところで、相変わらずタクシー業界なんてのはこんなもんで、配車アプリを開発するよりも、安全に運行させるようなアプリを開発すべきだと思ったりもする。

「アプリで呼べる。全国タクシー」という事故車両の広告が「アプリで呼べる。飲酒タクシー」に、あんどんのNのマークが「日本酒交通」に見える。

頼むから、そうして恥ずかしいから、事故なんて起こさないでくれ。ましてプロなんて言うのならば・・・。

タクシー飲酒運転事故
飲酒運転常習か タクシー運転手が車内で“トマト割り” - YouTube

【事故】愛知県西尾市平坂吉山 道路脇を歩いていた母親と3歳の子が車に跳ねられる事故 20代の男を逮捕 : まとめダネ!

春の交通安全週間で考えたこと | トヨタ期間従業員に行こう
ホームレスの実態に関する全国調査(概数調査)結果について考えたこと
ホームレスについて、このブログでもずいぶんと書いてきた。というのも、派遣社員や期間工、そうしてそこから流れてくるタクシー運転手はホームレスの予備軍でもあると思うからだ。

ホームレス  「トヨタ期間従業員に行こう」

そうしてボクもそのひとりだと思うからだ。

ボクはホームレスのいる街は住みやすい街ではないのかと思う。豊橋という大きさの街で、あの数のホームレスは多いかもしれないと思うかもしれないけれど、たぶんそれが街の懐の深さだろうと考えている。宿場町やだったことや東海道筋ということもあるだろうけれど、土地自体が持っている温度、あるいは霊気みたいなものは、100年とか200年の単位で作られるものだとうと思う。そして不毛な土地だってきっとあるのだろうと思う。そういう場所には人々は住みつかないものなのだ。

「何かがある」とか「何かがいる」気配を感知する力が普通、人には標準装備されている。そして個人差があって互換性がなくて汎用もできない、のだろうと思う。人の精神なんてそんなに帯域幅のあるものではないのだろうし。

ホームレスのいる街 | トヨタ期間従業員に行こう

なんて昔書いた。

そんな懐の深い、霊験あらたかな豊橋市では30年度の調査で23人いたホームレスが、31年度の調査では12人と半減している。住みにくい街になりつつあるのだろうか?あるいは路上生活から抜け出すことが出来たのだろうか?それとも亡くなったのだろうか?
ホームレスの実態に関する全国調査(概数調査)結果について

豊橋駅にいた、ちょうど10年前から住み着いていたホームレスのオジさんは亡くなったそうだ。タクシー乗場近くを塒にしていた。人の良さそうなオジさんだった。その人の良さが運の悪さをまねいたのかもしれないと、思ったことがあった。

11人はどうなったのだろうか。

唯一彼らと社会を繋いでいたビンカンボックスが街から撤去され、わずかばかりの収入減を絶たれてしまった。そのことも減少に関与していないわけがない。今年は降雪もなく暖かな冬だった。いったいこの街のホームレスはどこに行ってしまったのだろうか。

そういえば7〜8年前、豊川の河川敷でブルーシートの家に住む2人のホームレスがいた。彼らは河川敷の整備、それはゲートボール場を作る整備だったのだけれど、その工事開始時期からいなくなった。

その時、なんとなくだけれど、ボクは、嫌な気持ちになった。異界、確かにそういった雰囲気がして、多くの人は忌々しく感じていたかもしれないけれど、彼らにとっては、例えば浄土だったかもしれない。仮に救済されたとしても、それはまるで追放ということだったのかもしれない。排除するために開発をする。嫌な気持ちの源流は、そんな思いからだった。

今回も、半減したことは、きっと良いことなんだろうと思う。多くの人がそう思っているはずだ。なにかの結果がその半減に繋がっているのだろう。どこかでその成果を喜んでいる人もいるはずだ。生産性という数値で優劣を決める世の中で、生産性のない人々の退場は喜ばしいことだろう。

ただ、やっぱりボクは、なんだか不安になっている。この調査が文字通り「ホームレスの自立の支援」のために行われ、その結果として半減したのならば良いのだけれど、住みにくい街になりつつあって、100年200年の歳月を経て熟成された街の温度や風土が、なにかの力によって取り崩され、人びとが住みにくい街に変わりつつある、その結果として半減したのではないかと、なにか悪い予感がする。それが不安になっているのだろうと思う。

たった12人、それなら全員救済されてもいいはずだ、そう考えたりもする。ただし彼/彼女たちの意志でだけれど。

豊橋駅のホームレス

豊橋漂流(3) | トヨタ期間従業員に行こう

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