トヨタ期間従業員に行こう

トヨタ自動車期間従業員であった筆者が期間工、派遣社員、非正規社員についてや雇用の問題そして1年間にわたる失業生活、その後のタクシー運転手としての日々なんかをぬるめに書いています。

そして哀しみとか
そのバス停のベンチでボクは、遠い昔の哀しみを思い出していた。
午後2時の街は、うまく表現できないのだけれども、キツネの襟巻きほどの重量感でボクの目の前にあって、それは十数年前とか、あるいはもっと前とかとほぼ同じ感覚で、ボクから時間を奪い去ってしまう。

今は哀しい。
そしてこの先も哀しい、と、思う長距離バスを待つほんの30分ほどの時間に圧縮されたボクの哀しみは、もう逃げ場をなくしていて、塗り重ねられてゆく、そして記憶の空間に浮かんでいく……。

春は来る、それは確実に、そしてゆく。
ゆっくりした時間の中でボクたちは、想い出を袋詰めする作業をして、それが一杯になると圧縮する作業を行っている。だけれども、それはけっしてどこかに捨てる事も出来ずに、いつもでもどこにでも、もうボクの身体の一部となっているのだ。そしてその哀しみの空間という特別な位置にあっては、不愉快なほどの軽さで、例えば午後2時のバス停にいる時に現れる。

雨、の日曜日。
ボクは部屋の片付けをしている。
かなりの量の荷物を整理して捨てても、まだかなりの量の捨て去れないものがあって、それに囲まれていると、染み付いてしまっている記憶が抜け出してはボクの身体の周りを漂いはじめる。

手紙も捨てている。
ここの前の住所や、その前の住所、そしてその前の住所…。

写真も捨てている。
もう何年も前のボクだったり、そして風景だったり…。

月曜日の朝、その思い出たちは、ごく普通に、そして残飯や履き古した靴や紙くずと共に、ゴミ収集車の中にほうり込まれて圧縮され、そして燃やされて、一部は土に積もり、一部は空に漂い、雨に溶けそうして元の位置に還る、だけのことなのだけれど…。

重量を変えてしまうだけと分っているのだけれど…。

哀しみだけが増えている。
そして軽量化されていく。

もう一度帰ることがあるのだろうかと思っている。
もう一度帰ることがあったとしても、きっと、なにもかも変っていないのだろうし、なにもかもが消えることはないのだろうと、思っている。

火曜日には、またこの街を後にする。
バスに乗り込んで帰って来たこの街を後にするのだけれど…。






離愁(2)
最後の日はニ直、そして残業1時間。
ロッカーの鍵、従業員証、保険証を返す時の、なんというか、少し張り詰めた気持ちのは、少し緊張している時と似たような感じもしたのだけれど。

最後の日にPコンをしてもらうのは、うれしいもので「もう残り半日かあ」なんて少しだけ気持ちが哀しみの方向へと傾く。もう1日あったりすると、なんとなく「さよなら」の感じが薄らいでしまうと、思う。

それでも、終わったとか、という達成感はなくて、ただただ明日のことを考えていたんだ。

みんながね「お疲れ様でした」なんて言ってくれて、Cくんは握手までしてくれて…。GLと前のGLもいて、そんで「ご苦労様でした」って言ってくれて。

この3年間は、無遅刻無欠勤だったのだよ。
それだけが、ボクの出来ることで、仕事もそれほど出来る男ではなくて、後工程のTさんにはかなり迷惑をかけてきて、それでも気を使ってくれて…。

年休も、みんなには「権利だから」なんて書いているけれど、前回は6日も使わなかったし、今回も5日残して、そして今回はGLから「残してもしかたないから」と貰ったようなもので…。

期間工なんてね、半年とか1年だけなんだから、そんなもんだと思っている。
痛みもずいぶんと我慢してきたんだ。診療室にも行かなかったしね。それは本当はダメなことなんだけれど、それはボクの美学でもあるのだけれど…。
離愁

窓の外にはいつも見ていた風景で、そのことがなおさらボクの気持ちを悲しくさせるようでした。もう何百回も見たその風景も見ることができないと思うと、ボクが想像していたよりも最後の送迎バスは悲しいものになりました。

Sくんと一緒に帰りました。Tさんは寮が違うのでバス停で別れました。Mちゃんは年休でした。あのね、別れるのってのはけっこう後からくるもんなんだよ。

ニ直のバスは、も少し悲しいものだったのだけれど…。

ただ今回は期間従業員としての離愁とは別に、この街から離れることもあって、そのふたつの別離という「悲しみの素」から逃げられないでいるのだけれど…。そしてそれは、かなりの疲労感を伴っていて…。住む場所がまだハッキリしないことや、それでもここを明日には出て行かなければならないこと、そんな苛立ちみたいなものが重なり合っているのだよ。もう何もかも投げ出したくなるような、気持ちだったり…。それは、ボクの将来というかなり不確かなものからの、容易な逃走をも意味していたりしているのだけれど…。

ボクは寮の部屋に戻って、そこもいつもの風景で、思い出だけがそこいらに散らかっていて、そのひとつひとつ、例えばあの寒い日の笠山や、桜が散りそうになった春の雨の日、夏が来て同期の人たちがいなくなったあと、夏休みの18きっぷ、その後の長野や糸魚川までの旅なんてことが、まだまだ声をかければ返事をしてくれそうなぐらいで、そしてその思い出たちはこの部屋の住人となっていて、ボクの後を追いかけるのではなくて、ボクにさよならを言う役回りになってしまっていることに今頃気付いているのです。

ボクはその部屋の中で、何をすることもなく、実は、少し恥ずかしい話なんだけれど、かなりの涙を流して、そしてその涙の中に嫌なことだけではなくて楽しかったことまでも入っていて、別れの悲しみもなんだけれど、なにかが終わった瞬間の悲しみというか、ちょうど紅葉していく木々の終わりのような離愁に打ち震えていたのです。

多分ね、もう二度と出逢わない瞬間てのがあって、それは送迎バスの中で見た夕陽とか、二直の昼食の時に工場の上に出ていた月の姿なんて風景だけではなくて、その日その時のボクの心もようなんかで、別れるために出逢うような期間工たちの関係もそうなんだろうと思っています。

実はボクたちは「悲しみの素」ってのを嗅ぎ取る能力を持っていて、それを避けるように生きようと思えば生きられるようにできるのだろうと思います。それでも悲しみや淋しさというのが人の心にある限り、その「悲しみの素」から避けられないようになっているのも確かです。

出逢いなんてのも、その「悲しみの素」の一要素なのでしょうね。

「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ。」

離愁」を再度掲載するかたちになりました。

そしてまた哀しみは訪れる。
きっと、その繰り返しなのでしょうね。
それは、呼吸のようであり、胸の鼓動のようであり。

じゃあ、また。ありがとうございました。


また終わったよ、まるお。
そうなんだよね、愛
疲れていても、嫌なことが沢山あっても、年単位でお世話になった職場(会社じゃなくてね)には愛着を持ちたいし、一生の想い出にしたくなります^^;

* ぷっくる * 2008/03/25 3:10 AM *

結局そういうことなんだろうと思う。
「会社じゃなくてね」ってことなんだよね。

トヨタ期間従業員に行こう | 忠臣蔵の時代なのだ にまとめて書いているのだけれど「何もトヨタという怪物のためじゃなくて、それはやはり自分のためだろうし、少し広げて同じ組の人のためとか、GLのためとかTLのためとか、ええ、ま、仲の良い社員のためとか、同郷の社員に恥をかかせるわけにはいかないとか、そんな身近なことなんだろうと思う」、やっぱり思う。

中にはひどいGLやTL、社員もいるようなんだけれど、それは逆に「中にはひどい期間工もいるようなんだけれど」ということと、同じなのかもしれないと考えている。バランスの取れた思考をすることは、かなり難しいことで、例えば相手の位置に立ってものごとを考えるなんてことは、簡単そうで実はかなり難しいことだし、そんな思考方法なんてのは歴史的に見てもつい最近始まったことなんだけれどね。

中にはひどい期間従業員も、確かにいる。というか確率的には「ひどい期間従業員」と出会うほうが多くて、社員には嫌な思いはされなくても、期間従業員にはとても嫌な思いをさせられる、ということは、みんなが知っていることだろうし…。

それは通勤バスや寮でのことだから、遭遇確率も「ひどい期間従業員」のほうが高いので、安易に比較するのはどうかと思うのだけれど、それに公共の場所でのマナーが「ひどい」のと、社員の立場を利用してパワハラもどきのことをする「ひどい」のとは違うのだけれどね。

「ひどい期間従業員」ばかりが配属される(そんなことはないだろうけれど)組の社員たちにとって期間従業員は「なにがなんでも“ひどい”」ということなんだろうし、それは話す余地もないぐらいに確固たる期間工観になっていて、もうそういった偏見からは逃れようもないようになってしまったのだろうと、あるいは、逃れようもないようにされてしまったのだろうと思う。

人は人がつくる、のだろうと思う。

それを人間関係なんて言うのだろうけれど。
「愛着をもちたい」という気持ちがきっと良い人間関係をつくる一歩なのかもしれないし、それはボクたち期間従業員が考えることではなくて、はじめに社員の方たちに考えてもらいたいことだと思ったりもしているのだけれど。

もう「期間工は死んだ」ので(このことはまたあらためて書きますが)、1年なり2年の長いスパンでの人間関係構築ということを考えないといけない時期だとも思ったりしています。ま、それは、もう形に現れているようにも感じたし、期間従業員の組合員化なんてこともそのひとつだろうし。

ま、そんでも、街場の工場だと、頭ごなしに怒られたり、それは人格なんて無視した怒りかたで、言葉だけならまだましで、手も足も出るようなところが、まだまだ多いということも聞いてるし、それに比べればトヨタの社員の方たちは神様みたいなもんかもしれないと…。ま、それを言ったら前には進まないし、期間工どころか、このブログも「死んだ」ってことになるのだろうから…。


だから、これが手造りコンニャク、じゃなくて、手造りわらび餅。
サクラ drops
努力しなかったんじゃなくて、努力したとしても、少しの差異で結果に大きな違いが出る、というのが「結果の平等」という「悪平等」なのでしょうね。その結果の平等、あるいは機会の平等というのは、あくまでもみんなが「平等」である/あったということを前提としていますから、例えば少し目つきが悪い、とか、例えば人前でうまく話せない、要領が悪いなんてことで括られる行動、そんなどうでもいいような差異が、結果として大きな差異になる、というのがどうも実態のようです。

メリトクラシーなんていう考え方は、社会的な問題とかあるいは疾病なんてことを全て隠蔽してしまう「罠」が潜んでいるように思います。そしてそれが15歳とか18歳というはやい時期に決定してしまうということにも問題があると思います。そしてそのレールは生まれた時点で用意されていて、乗り遅れた子どもはそこから機会の不平等に苦しまなければならないのだろうと考えています。
Nothig like a sun(太陽と似て非なる物) | レールに乗れなかった人間は(再チャレンジの許されない国、日本)

『結果の平等』は悪平等に繋がりかねない
しかし
『機会の平等』は均等に等しくすべての国民与えられるべきだ

たとえ個人が社会からなんらかの形でドロップアウトしたとしても
その人間が這い上がろうとする時に

蜘蛛の糸のようなかぼそい物ではなく
頑丈なロープを何本も用意するだけで

『再チャレンジ』がしやすい状況に少しでも改善されるのではないだろうか

とボクも思います。そしてそれは、みなさんが普通考える努力ではなくて、努力してもどうしようもないことも含むってことを、考えなければならないだろうと思っています。(いろいろな意味で二極化できないこともあるだろうしね)



そう言えば18きっぷ。10日が使用期限ですね。まだ3日分(も)残っていて、今日から毎日使わないと…。ということで今から旅に出ようと思っています。本当は始発電車に乗って行きたかったのですが、雨。

もうサクラも散ってしまったのでしょうね。
#「SAKURA ドロップス」じゃないからね。

で、4月7日のいちにち

06:00 起床 コーヒー飲んでゴロゴロ
08:00 電話とかメールとかネットとか
10:00 ブランチ 野菜ラーメン
14:00 ホッチキスが来た
15:00 帰る ネットとか
17:30 夕食準備(大根、タマネギ、豆腐入り味噌汁、プロテイン)
18:00 夕食
19:00 ゴロゴロ テレビとか
23:00 寝た
03:00 起床 始発に乗ろうかと迷うけど寝る
05:30 起床

非正規雇用 ここが問題だったりする
2007年度の非正規雇用者の比率は33%強ということですが、その中でも北海道が36.6%、完全失業率も5.0%とともに一番高くなっています。ただこの33%と36%だけを見ると、それほどの差はないように思われるのですが、年代別にみると
北海道 15〜24歳 52.3%(うち在学中を除くと45.0%)平均36.6
東海  15〜24歳 37.5.4%(うち在学中を除くと25.4%)平均33.4
九州  15〜24歳 44.14%(うち在学中を除くと32.7%)平均33.6
というように、スタート時点で大きな差が出ていることが総務省の労働力調査19年度「年齢階級,就業状態・配偶関係・従業上の地位・産業別15歳以上人口」の統計表を見ると感じます。 政府統計の総合窓口 GL08020103

その統計表をグラフにすると分かりやすいと思って、作ってみました。



若年層に非正規雇用者が多いということ、そしてそれが25歳からは全国平均に近くなっているという事は、雇用状況が年齢によって改善されて正規雇用されたというよりも、労働力が北海道から流出したのではないかと考えています。例えば期間工として関東や東海地方にやって来るとか、そのまま移住してしまう、ということなのだろうと思っています。

完全失業率が高い理由も、そうした就労年齢に達した時点で正社員として雇用されない、そして非正規雇用者として資格などのスキルを習得できないという状況から来るものだろうと思います。

ワーキングスキルを学ばなければならない時期に仕事がない、ということが雇用状況を悪化させるという悪循環を繰り返すのでしょうね。そして期間工としてトヨタ自動車や関連企業に来たとしても、それはただ単に金を稼ぐということだけで、2年11ヶ月後には失業者になる、ということだけで、雇用状況の悪化というだけではなくて、国力の悪化をも引き起こすのだろうと、思っているのですけれど。

就職って、いろいろな条件があるにしても、やっぱり自信なんてものが一番必要だと思っているのだけれど。非正規雇用者で長くいると、自信、特に人間関係に対して恐怖すら覚える人もいて、それなら製造業の期間工で良いや、なんて考える人も多いのだけれどね。ま、ボクも、少しそんなところがあるのだけれど。

資格も、持っているのと使えるのは別物だから、そういった自信なんてものもなかったりで、やっぱり若い時は期間工で働くなんてことは無駄な時間を過すようなもので、金に困ってないのなら違うことをしたほうが良いと思うのだけれど。若い時に、それも3年もすることじゃないと思うのだけれど。
#次の目標があるのなら別だけれれど、取りあえず、なんてことならねえ。

なんて、ま、なんの目標もないボクが言うのもアレなんだけれどね。


期間工の死
派遣法を労働者保護法に/共産党が立法提案/抜本改正を志位委員長発表

志位氏は、「不安定で非人間的な使い捨て労働を許していたら、働く人はもとより、日本の経済と社会の未来もない」とのべ、立法提案に貫かれている「二つの基本精神」を紹介しました。


「派遣労働は臨時的・一時的な業務に限定し、常用代替としてはならない」ということが、とても重要だと思います。だいたいトヨタにしても「期間」なんてことにして2年11ヶ月という期間が、その期間従業員の意味する「期間」とはまったく意味が異なる雇用形態になっていることが問題だと思います。

期間工というのは、半年、せいぜい1年間という旧労働基準法で定められていた契約期間だろうし、その半年間という期間が出稼ぎという働き方や、それを基にした農業や漁業への繋がりを可能にしていたのだろうと思います。雇用保険法が改正になって、短期雇用特例一時金が減額されるにいたっては、出稼ぎ労働者の切捨てか、という感じもしています。雇用保険法でも非正規雇用者イジメが始まったのです。

期間工がその本来の目的として存在していたのならば、その「使い捨て」はなにも企業側だけの特典ではなかったのですが、派遣法や短期雇用法、雇用保険法など全てが非正規雇用者にとって不利に改正されたと思います。そういう状況では、もう一方的に「使い捨て」られるのは労働者側になりました。それが「期間工の死」なのです。

3年間という長期間を、果たして期間工として雇用し続けていいのか、ということです。日給で1000円上がる(トヨタの場合ですが)というだけで納得する人もいるようですが、2年目からの雇用契約が1年間ということも、正規雇用者になるということを阻んでいるものだと思うのです。

問題は、その1年という期間というよりも、1年間は身動きできないということです。さらに、その自由を拘束しておきながら、2年11ヶ月という上限を設けるということが、いわゆる「使い捨て」ということなのだと思います。労働者側、期間工側になんら「期間」という権利も有しないのに呼び方だけが「期間工」なのです。

期間工は死んだのです。

初回契約時に4ヶ月と6ヶ月という選択はできる、という向きもいるかもしれません。しかしそれもどれほど期間工側に有利に働いているのだろうか、と考えるとかなり疑問なのです。それでは、その4ヶ月後あるいは6ヶ月後に延長する権利が期間工側にあるか、というと、答えは「NO」ですからね。
11 労働者派遣法の改正とは別に、労働基準法を改正します       
 大企業の製造現場では、派遣労働者を期間工として直接雇用しはじめていますが、雇用期間を最長二年十一カ月に制限することが常態化しています。これは、労働基準法が有期雇用契約の上限を三年にしていることと密接に関連しています。三年以内であれば、いつでも自由に雇い止め(事実上の解雇)ができるためです。こうした脱法行為を防止するために、労働基準法を改正し、期間の定めのある契約を制限します。

トヨタ自動車では1年間という契約期間を設定して、その間は解雇はないと思いますが、繰り返しになりますが、その1年間という長期間、満了金や慰労金で拘束して非正規雇用からの脱却を阻んでいるということも、問題だと思います。

2年11ヶ月もの長期間に渡って、この国の未来ある若者達を使い捨てているトヨタをはじめとする大企業が「日本の経済と社会の未来もない」ものにしているのかもしれないと考えています。特にその「期間工として直接雇用しはじめて」いるカメラ会社なんてのは、本当の意味での直接雇用を増やさないと、アレだろう、なんて思っているんだけれど。



これはメジロン。今年の国体のマスコット。今年はキャノン国体だからねえ。
イー・モバイルが良いみたい
寮でのネット環境がかなり改善さえたとは言え、一部ではまだケーブル接続できなかったのかな?ま、たとえ出来たとしても、契約とか解約とか、立会いとかいろいろ面倒だ、なんて人には良いかも。それにかなり早いしね。WILLCOMのエッジなんて比べものにならないし:)
#てか、ボクはずっとエッジ接続だったのだけれど、あの速度はストレスフルだしね。時間のムダだし…。



イー・モバイル公式サイト

田原地区の寮は全てサービスエリア内みたいだしね。休日には蔵王山や滝頭公園なんかの屋外でネットなんてのも気分転換に良いかも。ま、エロサイトを見るのは、ちょっとアレだけれど…。んでも、速度的には動画もストレスなしに見ることが出来そうだなあ。ノート買うのなら、思い切って小さいのを選んで、そんで自宅や寮では大きいモニタで見るとかが良いかも…。

希望は聞きいれません
2度目の赴任の時には、あのトヨタ健康会館での健康診断時に「なにか希望は?」なんてひとりひとり呼ばれて聞かれていたのですが、最近はそれがなくなったそうですね。2度目、3度目と再赴任した人の特権みたいなもので、それがあるために「じゃ、もう1回行くか」なんて思った人も多いでしょう。

あの数百人いるなかで「○○さん」なんて呼ばれて「また同じ所で良い」とか「なにか希望は?」なんて聞かれて優越感を抱く人が多いと思し、初めての人にとってはその先輩たちが前に行きそして戻ってくる姿に、ちょっとだけ羨望するのだろうと思います。

赤紙で面接がないとか500円/300円の昇給よりも、その希望を聞き入れてくれるという優遇、それが「もう一度トヨタ」という気持ちへさせていると考えていたのだけれど?希望が聞き入れられないということになれば、田中和風寮や富士見寮、あるいは仮設寮に再入居したり、「あんな組には」なんて思っていた職場に再配属されたりするのだろうから、赤紙の効用というのは、これまでの半減、いや無効となるのでしょう。

希望が聞き入れられなくなった背景には、応募者の減少とリピーターの増加によって、経験者比率が上がっているからでしょう。希望を聞き入れたら、きっと本社地区の工場に、そして綺麗な寮、楽(と言われている)な職場に、その経験者が集中してしまうからでしょうね。

期間従業員の組合員化の時に発表されたシニアの数も「4000人」ということで、約4割が1年以上勤務していて、2年11ヶ月もの長期間雇用されています。そして今後もそのシニア比率は上昇するのだろうし、リピーターの比率も上がるとなると、時間的な期間工という本来の意味はもうなくなってきています。

常に経験者によって、そしてその4000人から5000人という長期工によって、自動車が作られてゆく。質の良い労働力の囲い込みは、企業にとっては好都合なのでしょうが、労働者にとっては機会の喪失だと思います。「期間的な雇用」ではなくて、利益追求のための「常用代替」ということにほかならないのです。

期間工という常用工の登場、期間工の死なのです。

企業の利益、そして存続は重要なことでしょう。大企業は雇用も創出していますからね。それも数十万人の規模で。しかし、その利益だけが何事ににも優先されて、一時的な雇用体系であるはずの派遣社員や有期雇用者が、本来の意味を大きく逸脱してしまっている。「常用(的)」社員なのに「期間」社員として、長期間拘束されるにいたっては、希望のない「絶望工場」というよりも、「非人道工場」という感じもするのです。

そんなこと言うのなら行かなきゃ良いじゃないか、という人が必ずいますが、それを言ったら何も始まらないしね。ま、それにトヨタはマシなほうなのだろうけれど。てか、先が見えないし、トヨタでの日々って結局、身体を売っていたようなもんだしね。そういった、なんというか空虚な喪失感みたいなものが、いつもつきまとっているのだけれど。

若い時は、それでも、夢も希望もあったのだけれど。それは根拠なんてものはなかったにしても。今は、自分自身に自分の希望を聞き入れる場所がなくなってしまっているような、そんな感じがする。

あ、「ごくせん」が始まる…。





やっぱりGLとか配属された組次第なんだよね
そういえば創意工夫案件提出の賞金が振り込まれていたのですけれど、中には提出することだけを目的に出したものもあって、そして何度も使い古されているものだったりする案件もあったのだろうと思いますが、とにかく1件につき500円振り込まれていました。

トヨタ自動車の良いところのひとつに、どんな意見だろうが吸い上げてくれるということがある、と思います。「そんなのはダメだろう」なんてことはほとんど聞かれなくて、一度は耳を傾けてくれましたし、やりにくい作業については、それこそカイゼンをしてくれました。それがライン外の仕事なのでしょうが、組や職場によっては露骨に嫌な顔をする上司もいるということも聞きます。

ボクが上司に対して「どんな意見だろうが吸い上げてくれる」という好感を持ったとしても、同じ組の中でも「いやなTLだよ」なんて言う人もいるのだろうし「なんであんなヤツが」なんて思っている人もいるのだろうと思います。

それは、どんな職場でも、というか、人がいれば必ず存在する問題でもあって、トヨタのように従業員数が多くなればなるほど、顕在化するのだろうと思います。感じ方は人それぞれで、それをその人の感性とか感受性とか、あるいは価値観なんてことでひと括りにして、カイゼンできないものとする傾向もあるのだろうし、そのカイゼンというのは常に弱いものに振り向けられるのも、よくあることだと思います。社員が悪いのではなくて、期間工が悪い、という感じで。
期間工は奴隷 - トヨタ自動車期間従業員 物語

もはや注意・指導の域を超えた パワーハラスメント !!
あるEX N は「俺は作業者を信用していない、不具合は出すし、手順を勝手に変えたり、ごみの分別もろくに出来ずにポイポイ捨てる」と言っていた。
EX・TLは上司 上司に信用されていない部下が造って出来上がった車を レクサス と言います。

こういったパワハラと感じられる言動を取る人もいるのでしょうね。工程に入っているEXはともかくとして、TLにこのような態度の人がいるのは問題ですよね。他の人には優しいとしても、それに期間従業員側に落ち度があったとしても、「作業者を信用できない」なんて言う人は、その職を辞するべきだと思います。その職に対して給料も出ているわけですしね。そしてなによりも、信用することができないという能力の欠如なのですから。
放置プレー|柝の音(きのね)

社員の向けのテキストでの座学だったり、実技練習をやってます。
でも、正社員の職制の人たちは、
合間あいまに声をかけてくれたり、
ケアしてくれてます。
やはり、期間従業員を数多く受け入れているだけあって、
心配りだったり、ケアの仕方は、プロだなと思います。

「トヨタ自動車期間従業員 物語」の方は組立、そして「柝の音」の方は運搬という「たまたま、僕が運がいい配属先だったのかもしれません」という運はあってもしかたないと思いますが、こういった感じ方の運不運ってのは、どうにかカイゼンしないと、結局「トヨタ悪」ってのは、こういったことから言われるのでしょうから。
無職の地平線 期間工

くっそたれ
工場で働いてる人間て何であんなにつまんねーんだww
挨拶もしねぇ、ミンナぶすっとしてるし…
大手になれば、なるほどヤバイのがたくさんいるぜ…
くそ、早く期間工満了してくれねーかなw

「それは違うよ」とは言えないですよね。「挨拶もしねぇ」し「ぶすっとしている」人も/が多いですからね。それでも、誰かひとりきちんと新人の人をケアする人がいれば、この文章の後ろに

「それでも、TLだけはオレに話しかけてくれるから、ありがたい」とか「やっぱり、トヨタの職制は人間が出来てる」

とか続くのでしょうが、もうなにもかも否定してしまって「早く期間満了」となっては、読む人は「いったいトヨタってどんな会社だ」なんて思うだろうしね。
ある期間工の4ヶ月 空気

皆がみんな仲良くなれるとは思わないが、もう少しどうにかならないものか…。
ここの仕事は一人一人単独の仕事をしているが、最終的には一つの物を作り出すためチームワークが必要。
今のままでもしっかりと仕事は出来ているが、休憩の時くらい会話をすれば、チームワークはもっと良くなるのに…。
こういう空気ってあまり好きじゃないんだよな。

そうですね。特に新しい人に対しては、誰か話しかけてあげないと。でも、あまり親しく会話があると、聞かれたくないことまで話題になったり、聞かれたり、そのあたりはとても難しいことのように思います。それを考えると、結局、社員の方の沈黙ってのは、気配りかもしれませんしね。聞かれたくない人も期間工の中にはかなりの数がいるってこと、そしてそのことを話題にすることで傷付くってことを認識しているのかもしれませんしね。

いろいろな考え方があるでしょうが、例えば田舎に小さな子供を残してきている人の目の前で、自分の子供の成長を楽しそうに話すことは、勇気のいるころだろうし。

そのあたりは年次教育とかで「休憩室での会話について」なんて講義があるのかもしれませんね。

恋愛と同じで、相性みたいなものもありますけれど、最低限のことは守らないと「トヨタ社員=非常識」なんて思われるから…。

って、お前が言うか、ってことも分かってるってば。



中国行きのフロー・ボート
昨日は今年度第一回目の準社員登用試験(が正式名称なのだろうか?)だったようで、昨年度は1200人ほど採用したらしいのだけれど、今年度は例年並の900人ほどだそうですね。ま、新卒入社者数の増減は極力少なくして、期間従業員からの登用者数で全体数の調整するということなんだろうと考えています。

「団塊世代の大量退職」その差分を埋めるための登用枠の拡大、なんてことも言われたのですが結局は1年だけ、なにも団塊世代が昨年度に全て退職したってことでもないのだろうけれど…。それに昨年の春闘の争点のひとつ格差是正がそのたった300人増で解消できたわけでもないのだろうけれど…。

円高による減益(一説には1円につき350億円の営業減益要因とされるそうなのだけれど)が登用数に影響していて、300人が切り捨てられてゆく。

「格差是正」を登用数拡大の理由に大々的にアナウンスしたのは、きっといつものポーズだったのだろうと、考えています。現在の円高を昨年のうちに予測できない企業でもないのでしょうに。(企業だからそれは登用数の変化はしかたないにしても、「格差是正」のためなんてことは言わないほうが良いということなんだけど)

その円高による減益、国内やアメリカでの販売台数の減少分は、オイルマネーにわく中東やオリンピック景気の中国向けの生産拡大で補うのでしょうね。そして生産拠点も海外に移してゆくのでしょう。昨年の中国での販売数は前年比で60%以上も伸びたそうで、今後はさらに増えるのでしょうから。

食だけではなくて日本の経済自体も中国に依存しなければならない時代になってしまうのでしょう。車をギョウザに置き換えると、あるいはそのほかの食料品、衣料品、雑貨に置き換えると、少し怖いようにも思うのですが、それも日本の選んだ道ですから、ボクたちは陰口を言いながらも中国のコントロール下に置かれるのだろうと思っています。

歴史は繰り返される。

グローバル化ってのは、依存するってことだったのでしょう、きっと。この国は島国なんだけれど、もう中国なしには浮いていられない状態、いえその状態はすでに過ぎていて、中国大陸に向っている難破船のようなものかもしれませんね。



4月21日のいちにち
04:50 起床 一直の朝は早いのだ
05:30 テレビ見ながらまた寝た
07:30 起床 コーヒーとか電話とか
10:00 ハロワ 就職活動なのだ
11:30 郵便局 水汲み 買物(オイスターソース、中華だし、ゴボウ、牛乳)
12:30 帰宅 食事準備(きんぴらごぼう、カボチャの煮物、お粥)
14:00 食事(ジャガイモのコンソメ煮、おから{って、昨日の残り}きんぴら)
15:00 来客 お茶(リンゴゼリー、きな粉餅、紅茶)
16:00 帰った
16:30 洗濯
17:00 ブログのレイアウトを変えたり、洗濯も干したり
19:00 夕食(お粥、カボチャの煮物、カップ麺)
20:00 ネットとかテレビとかいろいろ
22;00 明日の準備(ハロワ)
22:30 シャワー
23:00 ブログとかネットとか
25:00 寝る予定

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