トヨタ期間従業員に行こう

トヨタ自動車期間従業員であった筆者が期間工、派遣社員、非正規社員についてや雇用の問題そして1年間にわたる失業生活、その後のタクシー運転手としての日々なんかをぬるめに書いています。

哀しみの在りか
月曜日と木曜日が生ごみの日で、少しだけ朝は忙しい。
その2回が一週間の長さ。
月曜日と水曜日と金曜日に水汲みに行くので、夕方は忙しい。
その3回が一週間の長さ。
日曜日は生協の卵の特売日、それが始まりの合図。

その繰り返しが、今のボクの全てだったりする。
その繰り返しが、今のボクの幸せだったりする。

火曜日が資源ごみだったり、水曜日が埋め立てごみだったりする。少しだけ前日は忙しい。一週間に一度だったり、二週間に一度だったりするから、その日を逃すと、たとえば、寒い季節の海の家のシャワー室や、冬枯れた風景の中の蝉の脱殻のように、切り取られて置き去りにされ、ホルマリンの中にぷかりと浮かぶ深海魚の哀しき目で、重量感を増してゆく。

狭い部屋では、同居人ほどの湿度を保ってしまう。デッドロックの状態のまま、次の週、あるいはその次の週を待つことになるのだけれど、それまでにも木曜日や月曜日は当たり前のようにやってきて、そのホルマリンの中で暴れだしはしないかと、何度か、というよりもいつも、そこにいることを確かめようとする、ボクの小心さが、ますます嫌になっては、更に湿度を上昇させていくのだ。

腐敗しないという事実がたとえあったとしてもだ。

……。

昨日の朝のテレビで「格差だと言っても餓死者が出ているわけじゃない」なんて言っていた人がいたのだけれど、毎年3万人も自らの命を絶っていて、その自殺者が現在の雇用問題、格差問題に起因する(直接的に、あるいは遠因する)餓死者ではないと、どうして言い切れるのかと、どうしてそこを考えないのかと、ボクは少し落ち込んでいた。

確かに「蟹工船」の時代とは違う。(その小説がテーマとして扱われていたのだけれど)
過酷な労働が原因で死亡する人や、身体を壊して働けなくり食べることもできなくなる人は、その頃よりかなり少なくなったのかもしれない。だけれど「なくなった」わけではないし、ホームレスとなって、あるいは難民となる人は増加しているのではないのだろうか。そして絶望からの自殺…、そのことを検証もせずに「餓死者が出ているわけではない」と言う。

ボクは、小林多喜二の時代よりも、犠牲者は増えていると、考えていた。

……。

また、今朝のテレビでは「仕事はいくらでもあるのに選び過ぎ」なんてことを、まだ言っている人がいて驚く。九州や東北、北海道、いや大都市圏以外での雇用問題を分かって喋っているのかと、ボクは、考えていた。

「年齢制限」を原則できなくなった求人状況では、確かに30代後半や中高年者層の求人倍率が上昇したように見えるのだけれど、企業が実際に雇用するかと言うのは、また別問題なのだ。求人倍率だけを見て「仕事はある」と言う間抜けな評論家。

……。

と、それでも、ボクの月曜日の朝は、ごみ捨てが最重要課題なのだけれど。

冷蔵庫横のボクの4日分の性格のカスを、それがボクの生活の履歴ではあるのだけれど、それを入れた袋の中に、朝のお茶がらや卵の殻なんかを入れて、封をする。それはあと2時間とか3時間のうちには、パッカー車の中へと詰め込まれては、削除される。

その繰り返しが生きるということなのだろうと思う。

それでも、それでも全ては捨てきれないで、そして捨て忘れたものも多くて、あのホルマリンの中にぶかりと浮かんだ深海魚の哀しき目で、ボクをいつも見ているのだ。ちょうど冷蔵庫うの横で。それがボクの哀しみだったり、哀しみの在りかだったりするのだけれど…。

さてと……。



こうなると、も少しエロい。
社員-期間工・デュアルシステムについて
RAS、と言っても、ラスター、Rastafarianism(ラスタファリアニズム)ではなくて、Reliability(信頼性)、Availability(可用性)、Serviceability(保守性)の3つをまとめて、そう呼ぶらしい…。RAS と Integrity(完全性)Security(機密性)を加えて RASIS と言い、それが高いほど、システムの信頼性は比例して高まる。

システムが正常に動作している割合が稼働率なのだけれど、その稼働率が高いほどAvailability(可用性)が高くなる。そのために、システムは直列にするよりも並列につなぐほうが信頼できるものになる。

例えば

稼働率=全運転時間-故障時間 / 全運転時間
=MTBF(平均故障間隔) / MTBF+MTTR(平均修復時間)

なので、その値を設備Aが0.9、設備Bが0.8とすると

直列システムでは
0.9*0.8=0.72

並列システムでは
1-(1-0.9)*(1-0.8)=0.98

となる。
(#直と並の計算が逆になっていましたね。訂正しておきました。8/3)



直列システムだと、Aが壊れるとBも使えなくなるので、そんな計算をしなくても、上の図を見てもらえば分かるのだけれど…。

大企業というのは、いかに稼働率を上げて効率よく生産性を高めるかということばかりを考えているので、労働力もその設備の一部として、AとかBとかに区別して考える。そして信頼性の計算を行う。

最近思うのだけど社員と期間従業員はやはり対峙する存在なのだろうか?


システムは、シンプレックスやデュプレックスよりも、デュアルシステムにしとくほうがいいということで、その考え方がそのまま労働力にも導入されているのがトヨタシステムなのだろう。(トヨタだけではなくて、ほとんどの大企業なのだけれど)

稼働率ということもなのだけれど、AとBの処理をお互いが比較して不良品を流出しないというのは、このデュアルシステムの長所でもあるので、対峙する、ということは、悪いことでもないということが言えるのだろうと思う。また、対峙させているフシもあるしね。

結局

裏切りとかじゃなくてその人の目指した道が
分岐しただけだと思うんすけどね・・・
まぁ元々一緒の道とかじゃないものだし。


ということなのだろうけれど…。

そのシステムには「人」とか「ものづくり」なんていう体温のあるものは介在する余地はなくて、生産性とか稼働率とかの「〜性」「〜率」なんていう数字の問題でしかないのだろうと考えたり…。

それは何も大企業だけではなくて、デイトレとかFXなんてのにも、かなり似ていると思っているのだけれど…。


#また来週試験があるので、少し忙しいのだけれど…。ええ、ま、今日は「システムの信頼性」なんて授業があって、ふと、そっか、雇用問題もそんなところなんだね、なんて考えたもので…。
##容赦なく削除することにします。



んで、前々回と前回の画像もここまでくると、もう「欲情しないわけにはいかない」レベルになっていて、こうなるとオレの勝ち、ってことになるかな。
だって「あすこの写真」だし「わたしのいやらしいところの写真」だし「Hな写真」だし「恥ずかしい写真」だしさあ。
新型インフルエンザ
一昨日のNHK「ニュース9」は、意図的なんだろうけれど「日雇い派遣の原則禁止」「新型インフルエンザ流行時の厚労省発表ガイドライン」「メタボ犬」という順番だった。

おそらく、非正規雇用者の多くは、この意図的に配置されたニュースを見て「新型インフルエンザ待望論」なんてことが頭に浮かんだのではないかと思う。「戦争」よりはかなり現実的なこと、のようにも感じる。

社員の4割欠勤、病院業務中断も : YOMIURI ONLINE

経済活動を支える企業の従業員の欠勤率が40%に達すると、医薬品・病床数の不足や停電、銀行の現金自動預け払い機(ATM)が一時停止するなど様々な分野に支障がでる可能性を示した。


パンデミック状態(大流行)では、最大で3200万人が発症、64万人が死亡する可能性があるという政府試算なのだけれど、そうなるとガイドラインで求められているような企業の行動、例えば
(1)不要不急の業務を一時停止する
(2) 対面による会議を避け、出来るだけ電話会議やビデオ会議を利用する
(3)ラッシュ時の通勤を避け、時差通勤や在宅勤務を推進する

J-CASTニュース : 食料品が消え、ATMから現金が出ない 新型「風邪」で起きる未曾有の事態

なんてことは有名無実化して国中がパニック状態になるのではないかと思う。「一時停止する」のではなくて、業務が遂行できない状態になるのだろうし、家族がその「3200万人」の中に入る可能性も高いわけで、果たして電車に乗って会社まで行けるのだろうか、と、その前に電車が動くのか、なんて思ったりもする。

大流行はなにも日本だけということではなくて、世界規模でのことなのだろうから、そうなった時のこと、あるいはその後のこと、なんてのは、予想はできても、それがどれくらいの確率で的中するのかは、分からないのだから、「戦争待望論」や、この「新型インフルエンザ待望論」なんてのも、また非正規雇用者にとってのノアの方舟にはならないと思うのだけれど。

というよりも、ネットカフェなどは不特定多数の人が出入りする感染しやすい場所なのだから、64万人の中に入る可能性も高くなる、ということなのだろうと考える。ネットカフェだけではなくて、公共の施設に勤務している人たちも感染率は高くなるのだろうから、市役所は閉鎖され病院では医者も看護婦もいない、という状態もあり得る、という状態では、そして「普通」だったことが、たとえばスーパーには物がなくなり、ライフラインも停止して、なんてことになると、それが局地的な天災などとは違って、この国中で起こるとなると、「業務を一時停止する」というレベルではなくて、「国という機能が停止」して「人としての思考や行動も停止」するのだろうと思う。

戦争、あるいは、新型インフルエンザ渦後の大混乱に、この国の将来に希望とか夢という言葉はあるのだろうか、と思うのだけれど。今も絶望の淵にいるのならば、同じことなのかもしれないけれど、そしてそれが「待望論」と繋がっているのだろうけれど、おそらく非正規雇用者の多くは、その「3200万人」という大規模な人数を頭の片隅で計算して、「なんだオレたちと同じぐらいの割合じゃん」(労働者の35%と、人口の30%という「同じ」)と、「それが何か?」と、考えているのかもしれない。

そう思うことのほうが、問題なのだ。そう思う人が64万人よりも多い(と思うのだけれど)ということのほうが、この国にとって危険なことだということなのだけれど。もうこの国は新型格差のパンデミック状態にあって、多くは若者に感染するこのウイルスは、効果的なワクチンの開発もされることなく、厚労省から企業に対してのガイドラインも設けられることなく、見殺しにされている、ということなのだ。



「日雇い派遣」は悪か:J-CAST テレビウォッチ

この労働者派遣法(1986年施行)は当初、良好な派遣労働を目指し、専門知識を前提とする16業種に限りスタートした。通訳やシステムエンジニアなどで、賃金も高かった。

それがおかしくなったのは、元日本経営者団体連盟(日経連)のゴリ押しで99年に労働者派遣法が改正され、原則自由化になったことから。

改正いらい今日に至る10年程のあいだに、派遣労働者は320万人(2006年度)に達している。しかも雇用は不安定さを増し、賃金は低く抑えられたまま。ワーキングプアの原因とまで言われるようになった。


ダイエット成功の秘訣 メタボ犬に学べ:J-CAST テレビウォッチ

日本のイヌ、ネコの数は約2500万頭で、15歳以下の子ども1700万人よりはるかに多い。ペットフード会社の調査で、回答した獣医師の7割が、「メタボがふえている」と認めたという。



夏の終わりの夜行バス乗場とか
夏休みも終わりですね。
今日の夜行バス乗場は、複雑な気持ち、それは過去とか現在とかの、例えば自傷行為的な時間のやりとりみたいなものの流れ、そんな哀しみに包まれているのだろうと、思っています。

電車や飛行機は、動き出せば空間は二つに分離するのだけれども、バスは、いつまでも手を伸ばせば届く位置に、ふたりを残してしまう。別離という完全性と、出逢いという完全性が、そこで歪曲してしまう、そんな不自然な空間が、夜行バス乗場の夜8時だったり…。

トヨタ期間従業員に行こう | 別れのしかた

バスターミナル、夜8時。さよならという言葉を使うことへの躊躇い。ギリギリまで引き伸ばした時間は、ここになって歪んでくる。出発の合図と同時に、別れは決定的なものになる。

もう手の届かない場所にいることがワカレなのだろう。そして信号機に停まる。それでも手は届かないのだけれど、そのバスの前に身を投げ出せば、きっと…。信号が赤から青に変わるほどの時間。それがふたりの別れなのだ。


最初の夏、ボクが初めてトヨタに来た年も、オリンピックイヤーでした。ちょうど4年前。盆休みに帰省したボクは、ちょうど男子柔道の決勝が行われている夜に、豊田に向けて旅立ちました。次の日の知立駅や夕方の土橋駅の記憶は、まだかなり鮮明に残っています。

トヨタ期間従業員に行こう | 別れのしかた(2)

すべては仮想現実化した日常であり、虚構なのかもしれないですね。それは押しつぶされそうな現実に対峙しているということなのかもしれないし、処理しないほうが、スイッチを押さないほうが良くて、繋がらないほうが良いことなのかもしれないと、ボクは思っています。ボクたちの「期間」という時間は、きっと空白のものなのでしょうし。

通勤バスのあの沈黙が、寮の個室での寡黙な生活が、そしてタクトだけが制圧するリアリティが、幸せの反対側にあるとは思えないし、それはきっと幸せの裏側にあって、麻痺しているのかもしれない、やはりうまく処理できないでいる、嘘の自分だと思うのです。

ずいぶん笑顔のない集団だと思ったことが何度もあります。


期間工として働く理由、それはやはり「お金」なのかもしれませんね。それでも、それは取りあえずの「お金」であって、何もそれがすべてではなくて、一時避難的な場所としての期間工なのだと思います。

「期間工が似合っている」なんて言葉はないと思います。同じようなことを「あなたはパートタイムが似合っている」とか「アルバイトで十分な人」とか言えますか?

期間工という雇用形態は存在しても、そういう職種はないのだから…。例えば「あなたは畳職人が似合っている」と言わるのは良いでしょう。「あなたは営業が向いている」とか「建築現場の仕事が良いかも」ならいいでしょう。でもね、だれがすき好んで「期間工」という非正規雇用者として働いているのですか?半年後には同じ論争が起きるのですか?

「期間工」という働き方が悪いのではない。利用するのであればね。それを何度も何度も、ここで書いているにも関わらず、正社員化をもっとするべきだ、非正規雇用をなくすべきだ、というのもテーマにしているのに…。

「お金」は大切でしょう。そのお金を何に使いますか?
家ですか?
車ですか?
美味しいもの?洋服?旅行?

それがそのとても重要な「お金」の使い途ですか?物欲のために働く、それも良いことでしょう。多くの人はそのための労働をしているし、市場原理とはそういったものでしょう。そういった果てしない物欲のためにトヨタだってLexusを作るのだから。車なら何でも良いっていうのなら、軽自動車で十分なのだから。

だからオリンピックゲームのことを書くのだけれど。
全てが、例えば労働でさえ、商業化されてしまっているのではないのですか?前にいただいたコメントに「トヨタで働いて、トヨタホームに住んで、トヨタ車に乗って、トヨタ病院で死ぬ」というトヨタでの一生ってのがありましたが、それと同じで、働くということ、そういった単純化された物欲の中での循環になっているようにも思います。

それも、それで幸せならいいのですよ。それで経済なのだから。
そして家族のいる人は、子供のためにお金は必要ですし、そのお金がないために岡山での事件なんてのが起きるのだから。子供の夢のために、お金が使われるのは素晴らしいことだと思います。

でも、家も車も美味しいものも洋服も旅行も、必要なくて、家族さえいない人は、そんな大金を手にしなくても、もう少し簡単に生きられるとも思うのです。

お金お金、そして働け働け、というのが、ボクには、そんな消費活動に参加しろ物を買え、と同じように、あの耳障りな「エコ替え」のCMのように聞こえるのだけれど…。

「まだまだ働けるけれど、違う会社のほうが給料高いから…職替え…」
「十分なお金はあるのだけれど、もっと良い家に住みたいから、働け…」

なんてね:)

ま、いい。

お盆休みが終わって、あとひと月もすれば、いや10月の中旬からかなあ、そうすれば工場も涼しくなるでしょうね。お金は必要ですし、貯めたほうが良いと思います。満了後の「旅」のためにね。旅の方法や目的地は、あなた自身が決めることなのだから。そして、いつまでも「期間工」でいられるのは無理な話なのだから。別れのないお盆休みのほうが良いに決まっているのだしね。がんがれ。(オレも、てか、オレが一番頑張ってないのか)








「非正規雇用にも光を!」かあ・・・
どうなんだろうね、細かいことなんだけれど、こういう表現ってのは当事者たちには「イラ」っとくるんじゃないかと思っているのだけれど。

「非正規雇用に光を!」なら分かるけれど「にも」ってのは、ま、これを書いている労働組合の方たちは正規雇用で燦々と光りが当たっているので「ま、あいつらにも分け前を」なんてことなのかもしれないけれど。(そういうつもりではないのは分かっていますけれど)

それは良いとして、「9年問題」だけのことではなくて、労働者が物扱いされている状態は労働という概念がうまれた時から存在していたと思うし、「人を!人材を!労働者を!物のようにクーリングオフという言葉で右から左に扱っている」と大げさに書かなくても、労働力は物のように扱われて久しいのだしね。労働ダンピングなんて言葉もあるし、労働力市場なんてこともね。

非正規雇用にも光を! 製造業派遣「正規雇用逃れ」への指導を強化 厚生省 - 全トヨタ労働組合(ATU)

トヨタ自動車なんてのも、生産調整として期間従業員が存在するわけだし、そのことを納得してボクたちは働いてきたのだけれど、それでも非正規だからという理由で「光」が当たらなかったし、期間工という理由で工程変更もままならないし、なによりも同一労働同一賃金ではないのだから、同じではない、ということは人として扱ってない、と言われてもしかたないと思うのだけれど。

というか、もっと狡猾に「JOIN3」とか「期間従業員をダイハツへ期間工として斡旋」なんて、まるで「素晴らしいこと」のように本質のすり替えを行うんだから、さすがなんて思ったり。ま、それでも「仕事があるだけでもありがたい」という時代なのかもしれないけれど。

労働組合なんてものは労働者をそういった立場から解放するのが目的なのだろうけれど、もうそういう正義や倫理、権利なんてのは労働者、それも同じ職場にいる労働者に対して働きかけてくれるのではなくて、「組合費を払っている組合員」のため、というか「組合の組合のための組合員による闘争」なんてことで、ままごとみたいで、お遊戯会みたいで。

自民党総裁選みたいで、と言った方が良いのかもしれないね。

ということではなくて、こATUの記事を読んだときにムーディ勝山の「左から来たものを右に受け流すの歌」(だったっけ)が頭に浮かんで、クスクスしたってことなんだけれど。


右から右から何かが来てる
僕はそれを左へ受け流す
いきなりやって来た
右からやって来たふいにやって来た
右からやって来た
僕はそれを左へ受け流す
右から左へ受け流す
左から右へは受け流さない


ま、左から右には難しいんだよ、ってかなり深い歌なんだなあ、って、思っているんだけれど・・・。



人生の目標設定って、どうなんだろうなあ、有効なのかなあ?
目標を設定する、ということは有効とされている場合がほとんどなのだろうね。たとえば宗教も、たとえば啓発本も、たとえば教師もそう言うだろうし、人生ということだけではなくて、スポーツでも学問でも、結婚ということも、その目標設定のひとつだったり、出産(家族とか子孫なんて感じの)もそういった設定された目標のひとつになってしまって、なんだか「がつがつ」した感じになったりしないのだろうか。

人生の目標設定って、本当に有効ですか? : ライフハッカー[日本版]

目標のために、たとえば手段やコストやらを考えて、「最短で」なんて人も多くなるのだろうし、まさか「来世のため」なんてことは、一部の宗教者しか目標として設定はしないのだろうしね。

子供の頃の「夢」も目標の範疇にあるのだろうか。年齢にもよるのだろうけれど、ボクの場合は小学校を卒業するときの夢は宇宙飛行士だったのだけれど、それはまだ「可能性」としてあったから、やはり「目標」だったのだろうね。

可能性があること、しか目標として設定できないのだろうか?
そうなると、年齢とともにその目標も減ってくる。たとえばボクも、ある身体の異常で、その宇宙飛行士は無理だと思ったし、何よりも中学校卒業の頃には、その「夢」は雲散霧消してしまって、別の「外交官」とかにすり替わっていたのだから、というか、すり替えなければならない事情、成績やその異常が障壁を乗り越えることが困難だと思ったからなんだけれど。

目標をタイトに設定すると、生きるのが窮屈にならないかと思ったりもする。高めに設定すると良い、なんて言う人もいるのだけれど、達成できなかった時に、やはり自信喪失なんてことになって、そこから立ち上がれない人もいるわけだし。

あるいは「出産」という目標を設定すると、子作りさえその「目標」実現のための行動になっては、愛のないセックスなんてのが当たり前にならないのだろうか。「今晩は、お日柄も良いので、それに春に子育てするのには、ここらで一発やっときますか」なんて作業になりはしないのだろうか。そしてそれ以外は「目標達成したんだから」とか「それは計画外だね」なんて理由で、いわゆるセックスレスになったりしないのだろうか、なんて思っているのだけれど。

そんなもんで、自信喪失とは逆に目標以外の無駄なことには目を向けなくなるということはないだろうか。人間関係もその目標達成のためのものになったり・・・。

やっぱりがつがつした感じがする。やっぱり失うことも多いと思う。

だけれど有効だと思うけれど、今から何の目標を設定すれば良いのか、なんて考えると「仕事をする」なんてこととか「とにかく生きる」なんてことは、ボクにとっては重大事なのだけれど、はたしてそれが目標かと考えると、少し疑問に思ったり。

というか、目標設定の有効性をボクが語ったところで、ね。



派遣会社の品格
中学生派遣で容疑の社員逮捕 警視庁

中学生を派遣登録し働かせたとして、警視庁少年育成課は2日までに、労働基準法違反(年少者使用)の疑いで、東京都大田区の人材派遣会社「パワーステーション」の営業所社員の高橋寿弥容疑者(29)を逮捕した。

同課は同社がほかにも数十人の中学生を派遣していた疑いがあるとみて、本社の関与についても捜査している。


こういう事件も、派遣会社だけではなくて派遣先の企業にも責任があるんじゃないかと思うんだけれど。児童買春のと同じで買ったほうの責任を追及しないと、いつまでたっても同じようなことは起きるだろうし、一営業所の社員を逮捕したところで、問題の解決にはならないしね。

フルキャストのように「厚労省、なんぼのもんじゃい」なんて態度のところもあって、そうなると業務停止命令を出したところで、なんの効果もないということだしね。別会社を作るとか、派遣会社に派遣するというようなこともあり得るだろうし、派遣法や職業安定法、労働基準法なんてのは、もっと取り締まりを強化して、罰則も重くしないと・・・なんて思っているのだけれど。

そして今回の事件、受け入れた企業の責任も児童買春と同じほどの悪質なものだと思うし(知らなかった、なんてのは通用しない問題だと思うし、年齢確認ぐらいはしないとね)、買ったほうに責任を取らせないと、そこのところの法的な対策を強化しないと、労働者の地位とか条件なんてのはよくならないのだろうしね。

どんだけピンハネしてたのかしらないけれど、出会い系サイトで知り合って売買春するよりも悪質だと思うのだけれど。買った企業はあまり表に出ないのは、ちょっとおかしな話だと思うけれど・・・。こんなんだから児童買春なんてのがいつまでたってもなくならないんだよ。

フルキャスト、事業停止命令を無視 厚労省、2度目の命令へ(CHUNICHI Web)

厚生労働省は、日雇い派遣大手のフルキャスト(東京)が、昨年8月に同省が全支店の事業停止を命令した期間中に命令を無視して派遣を続けたとして、10月初めにもフルキャストの全支店に2度目の事業停止命令を出す方針を固めた。

期間は1カ月間の見通しで、期間中は新たな派遣契約が結べなくなる。厚労省は同時に事業改善命令も出して報告を求める方針。フルキャストの弁明を聞く手続きを進めている。


で、なんの「弁明」なんだろうね。それに「1ヶ月間」って・・・。その業務停止を命令した期間中に派遣を続けていたのなら、その派遣先企業名も公表しないと、そしてその企業も同じように業務停止しないと、また同じことが起きて「厚労省、なんぼのもんじゃい、派遣法?労働基準法?それなに?」なんてことになるんだからさ。
余波拡大だろうね
トヨタ自動車の期間従業員が半年で2割削減されたのだけれど、その削減はなにもトヨタ本体だけの問題ではなくて、関連企業、下請け業者、トヨタの街全体に影響がでるということ、さらに東海地方、しいてはこの国の雇用問題にも影響を及ぼすのだろうことは、誰もが分かっていることなんだろう。

雇用問題だけではなくて、愛知県の2009年度の県税収入が今年度予算と比べ1000億円を超える減収になる、ということもトヨタの販売不振に関わるもので、その余波の拡大はある程度予想されているだろうが、どこまで及ぶか、ということは予断を許さない状況なのだろうと考えている。

トヨタ 期間従業員大幅削減: YOMIURI ONLINE

トヨタ自動車の期間従業員の大幅削減に合わせ、グループ各社でも雇用を絞り込む動きが広がっている。8月の愛知県の有効求人倍率は3か月連続で前月を下回っており、トヨタグループの動向が東海地方の雇用情勢にも悪影響を及ぼし始めている。


関連企業の動向はというと、デンソーはその削減率が低いのは、トヨタ自動車のように自動車だけということでもないので、そのあたりが防波堤になっているのかもしれないと考えている。

デンソーは3〜8月の5か月間で、期間従業員は正社員に登用された220人も含めて400人減り7800人になった。アイシン精機でも9月末までの半年間で、正社員登用の130人を含めて期間従業員を300人削減し、現在は2650人だ。トヨタグループ各社とも7、8月から期間従業員の新規募集を一斉に停止している。また、トヨタ紡織は8月、契約期間が切れた派遣社員250人の契約を延長しなかった。


それでも、「トヨタグループでどんだけいるんだよ〜」というぐらいの「非正規雇用者」はこの日のために「調整弁」として車の部品の一部のように雇用し続けられて、史上最大の利益を上げた年にもその日給は10年前と同じという、CCC21というトヨタのコストカットの施策に従って、人件費だけではなくて人権ということまで、なんだか削減されたように、ボクは感じている。その流れが社会に蔓延している、ようするに日本の企業すべてがトヨタ化しているように、しようとしているように感じる。郵便局の「期間社員」なんてことにもそれを感じる。

グループ各社はトヨタが生産計画を下方修正したのに合わせて、自社の生産計画も見直した。トヨタ本体もグループ各社も、正社員の雇用には手を付けない点で一致しており、余剰となった労働力の調整を期間従業員などの削減で進める方向にある。


「正社員の雇用には手を付けない一点で一致」なんて、軽く言っているけれど、これが同じ仕事をしている人の前で言えることなのだろうか、なんて思っては「余剰となった労働力の調整を期間従業員などの削減で進める」と、結局はその程度の意識ということを、逆に(というのは、ほとんどの人が、期間従業員というのはそのためにあると理解していても)「トヨタなんてところで真面目にやってもしかたないんだよ」ということを、分かった人もいるのだろうと、そういう努力への信憑性が失われること自体、日本の労働資産の喪失だと考えているのだけれど。

努力とか希望、目標を持つということへ懐疑的になる社会、そういった風潮が「生きてゆくのが嫌になった」ということへ繋がると考えるし、(社会の)安全よりも(企業の)利益を考える姿勢ってのは、大阪の個室ビデオ店を同じレベルなんだということなのだ。




希望格差社会
という書籍が出版されているらしいのだけれど、まだ読んでいな。格差問題というのは、収入ということの格差を主に語られるのだけれど、そこに至るまでの問題、例えば希望とか、例えば人間関係とか、偏差値とか、それらいろいろな問題の合併症なのだろうと思う。

現在の日本は職業、家庭、教育のすべてが不安定になり2極化し、「勝ち組」「負け組」の格差が拡大している。「努力は報われない」と感じた人々からは希望が消滅し、日本は将来に希望が持てる人と絶望する人に分裂する「希望格差社会」に突入しつつある。


というのが「希望格差社会」の説明なのだけれど、ボクもそう思う。そしてそのようなことを前のエントリーにも書いた。『努力とか希望、目標を持つということへ懐疑的になる社会、そういった風潮が「生きてゆくのが嫌になった」ということへ繋がると考える』とすると、日本の、自分の将来に絶望するということは、とても危険な世の中になるのだろうと、大阪個室ビデオ店放火にしろ、秋葉原無差別殺人事件にしろ、リンクして考え込んでしまう。

というボクも、ほとんど希望が消滅している状態なのだ。それでも、まだ絶望してはいなくて、それなりの人生というものを考えてはいる。それなりの・・・・・・例えば、派遣社員でも内職でも、なんでもいいから、とにかく住むところがあって食べ物があるという生活、そしてたまに、例えば18キップで野宿の旅が出来る程の生活。そこがボクと希望を繋ぐ位置のようでもある。

8月の初旬に、家族へ仕送りするため北海道から一人で出てきた18歳の青年が、延長できず短い期間で帰ることになりました。
赴任当初、手首がパンパンに腫れあがっても安全衛生すら行かせてもらえず、それでも帰る訳にはいかず必死に耐えていました。


期間工は使い捨てられる。それは契約する前から分かっていることなのだけれど、2年11ヶ月もの長期間に渡って使えるという「期間工法」を作ったのは一体、どういう意味なのだろうかと、誰もが考える。雇用保険も1年間勤務しないと給付されなくなった。期間工は死んだ。

誰が得したのか、ということから考えると、やっぱり企業が得をしているように思う。2割削減はと言っても、一般期間従業員を削減すればいいだけのことなのだから。

分かっているのだよ。その18歳の青年もね。「調整弁」「使い捨て」という己の身を。

ただ、「頑張れば延長できるかもしれない」と思うし、そう思わせるようなことをことも言われるのだろう。でも、身体を壊してまでの努力でさえ報われないのが、期間工なのだろう。そういう努力への信憑性の喪失が蔓延するということは、この国の唯一の資源である人材をも喪失するということ、そしてそれはなにも他人事ではなくて、絶望するということの危険性は、個室ビデオ店でも秋葉原でも、みんな分かっているんじゃないのかと思うのだけれど。Made in Japan も、死んだ。若者は見殺しにされる。企業という神の手によって・・・。

それでも、今は、努力は報われなかったとしても、その努力は、きっと、なにか「達成感」みたいなものになって、きっと、役に立つと思う。そしてそう思っていないとダメだ、ということなんだよ。まだ若いのだからね。30歳、いや40歳まで努力して、そして「報われなかったのかなあ」と考えてほしい。あと20年、チャンスはいくらでもあるしね。

でもギャンブルはダメだ。デイトレとかの水位差のゲームもね。無駄の積み重ねこそが、人生というなんだか分からないものを美しくするのだろうと思っています。きっと。それは、金とは対極にあるものなんだけれど・・・。

それに、基本的なことなんだけれど、期間工ってのは、そういうもんだよ。

同じ職場にその「希望」と「絶望」が並んで同じ仕事をしている。そしてその格差も製造している人たちは言う「仲間」だとね。日本人も死んだ、と思っているのだけれど。




非正規労働者の大量離職、助けあえませんか?
膝を痛めてしまった時に、ボクはもう帰ろうと本気で思っていた。あとは誰かがタオルを投げ込んでくれるのを待つだけの状態だった。

3日間停滞した。一泊目は民宿に泊まった。とにかく体をきれいにしたかった。それから2日間は海辺のキャンプ場にテントを張って痛みが癒えるのをじっと待っていた。結局、それぐらいの時間では治癒するはずもなく、足を引きずりながら歩き始めたのだけれど。

キャンプ場は一泊1000円だった。支払いに行くと「お遍路さんからはお金はいただいていません」と無料にしてくれた。みかんをいただいた。お昼休みにご飯を食べに来ていた工事現場の夫婦の方からもチョコレートや煎餅をいただいた。

身体も心も弱っていたので、ずいぶん泣いた。それは寂しさとか悲しさなんてことからではなくて、そういった人の情に対しての感謝とか人の温もりに対しての感激とか人の心の部分に対しての感動とかいったことからのものだった。



四国を歩いていると、仏に出会う。

それは人という仏。
へんろ小屋というのもある。善根宿というのもある。接待という文化。
人が仏に見える。
ボクたちが忘れてしまった助け合いということの日常。「善」ということが当たり前に行われる。軒下を借りる、水をいただく、そしてボクたちは四国を歩かせていただく。

非正規雇用者という弱者の大量離職が問題化している。
そもそもそういう「非」という雇用体系を作り出したことに問題がある。こうなることは分かっていたはずなのだ。それぐらいのイマジネーションがなくて、政治が出来ようか。労働問題を語られようか。

その「非」という人たちをなくすことが全てなはずだったし、それをここでも言ってきたつもりだ。「どうする」とかではなくて「なくす」ことが本質なのだ。そうしなければ、市場経済という情容赦ないシステムの中にあっては誰も助けてはくれないし、見殺しになってしまうということは、分かりきっていたことだったのだ。

追加雇用対策:雇用対策に1兆円、80万人創出へ 内定撤回社名を公表−−自公方針 − 毎日jp(毎日新聞)

現在は、雇い止めされても離職前の2年間で雇用保険に12カ月以上加入していないと失業手当が受けられない。これを「1年間で6カ月以上」などに短縮。派遣社員を正社員などに採用した企業には、1人当たり最大100万円を支給する。


愚かな政府。
改悪された雇用保険法を1年も過ぎていないのに「短縮」などと元に戻す。

また、正社員にするだけの体力がどれほどの企業に残っているというのだろうか。政府が労働者の「非」化を進めてきたのではないのか。大企業とグルになって。そして非正規雇用というチープな雇用力を使って儲けるだけ儲けたのではないのか。

トヨタ自動車を見ろ。正社員ひとりも解雇されていないではないか。切られるのは弱者である派遣社員や期間従業員という「非」と呼ばれる人たち。

100万円もらわなければ助けられない企業しか存在しないこの国に、いったい希望はあるのだろうか。雇用、「非」から「正」になるための上納金が100万円。労働ダンピングを公認してきた政府が今更何を…。こんどは人身売買か。

「1200人を正社員化した」と豪語していたトヨタ自動車は今年はどうするのだろうか。今年の4月には「例年通りの900人」というアナウンスがあったのだけれど、その約束も反故にされるのだろうか。

「JOIN3」という鳴物入りで進められた就職斡旋制度はどうするのだろうか。結局3年間働いても「使い捨て」されているのではないのか。儲ける時はたっぷり2兆円も儲けといて、悪くなると全て無かったことにするのだろうか。結局、全てがポーズだったか。欺瞞。

愚かな政府に貪欲な企業、この世は鬼ばかり。



少しだけ旅のことを書いています。
旅立つ前に書いたものです。新しいブログ今回の旅のことは書きます。よろしければ見てください。
四国遍路

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