トヨタ期間従業員に行こう

トヨタ自動車期間従業員であった筆者が期間工、派遣社員、非正規社員についてや雇用の問題そして1年間にわたる失業生活、その後のタクシー運転手としての日々なんかをぬるめに書いています。

タクシードライバーになる
失業、就活……、慌しい日々が続いた。
タクシー会社に就職した。二種免許取得込みの、いわゆる養成員からのスタートだ。約2週間の自動車学校での授業が終わり、そして公安員会で学科試験を合格して免許取得した翌々日には「横乗り」と言われる新人教育プログラムが始まった。文字のごとく班長さんの運転する車の助手席に乗っての実地研修、そして班長さんを横に乗せての研修、あわせて9日間、そして「新人乗務員適性検査」というのが1日、合計10日間のプログラム、その9日間が今日終わった。疲れた。

明日明後日と連休、そしていよいよデビューとなる。

不安だけしかない。
9日間も研修があったのだけれど、得たものはやはり「不安」、そして喪失したものは少しばかりの「自信」とか根拠のない「可能性」とか…。

疲れた。

今、ボクの脳の中は「辞めたい」が80%。
ただ、明日からの連休が、その鬱々とした気持ちを少しだけ晴らしている、ようだ。

少しずつ、免許取得のことやら、研修中のことやら、デビュー戦のことやら、日々のことやら書いてみたいと思っている。

思っているのだけれど、今は地理を覚えることで精一杯で、例えばご飯を作るのも面倒で、そんな日々を送っているので、ブログを書ける余裕が出来るのか、あるいは、その余裕が出来るまで辞めていないのか、心配だけれど…。

という「タクシー物語」の始まり始まり…。
もぐら
へんな話なんだけれど、どうしても人と話したくなる時がある。
いつもは寡黙な日々を過ごしていて、それをなんとも思わないにしても、どうしても直接なにかを伝えたい時があって、どうしようもなかったり。その「伝えたいこと」なんてのは、それほど意味があることではなくて、例えば思い出話だったりで、少しだけ装飾できるボクたちの間の出来事ということなんだけれど。

活字、あるいは、ディスプレイに表示されるドットではなくて、旋律を伴った音。話。

最近のボクはといえば・・・、なにか、というか、うまく表現できないのだけれど、物事を組み立てられないというか、出来事を並べられないというか、そんな感じで、なんというか、断片的な時間があっちこっちに散乱している、というような感じで・・・。そうそう、点でしか考えられないと言うか、線にならないというか・・・。

・・・・・・。

23時、終電の通り過ぎた駅は、クリスマスのイルミネーションの青い灯が、全ての時(昨日、今日、昨日なんていう)過去と未来を撹拌するように瞬いている。夢や希望や悲しみや苦しみなんてものも一緒に。(ボクはしばらくの間、それを眺めるのが日課になっているのだけれど)

「モグラ」とタクシードライバーたちが言う人たちが、地下道や駅の待合室からポツリポツリと現れてはどこかへ消えてゆく。地下道から現れる姿は、ドライバーたちが言うように「モグラ」みたいなのだ。

モグラたちは、きっと、「普通」と言われる生活ではなくて、駅の売店や近くの飲食店で働く人たちだったりする、土日祝祭日とは無縁の人たちだったり、あるいは引きこもりの青年だったりするのだろうと思う。その時間、1日のカーテンコールのような終電の喧騒が終わった後の、撹拌されたドロリとした時間の隙間に現れては消えてゆくのだから、それはやはり「主」とか「普通」とかとは反対の意味をあてられる生活の人たちには違いないと思う。

ボクもそのひとりなんだけれど・・・。

「モグラ」と呼んでいるタクシードライバーたちとて、緞帳の下りた舞台を見ている間抜けな観客のようでもある。果たしてモグラが主役になる時間でもあるのだけれど・・・。

・・・・・・。

お米が届いたり、牛肉が届いたりした。ありがとう。

「誰か逢いに来てくれませんか」なんて思ったりもする。
知人が死んだ。死人が羨ましかったりもした。遠くからなにがなんでも仕事を休んでまでも葬式に参列する。「生きている間に逢いに来れば良いのに」なんて思ったり。そして「そんなに死人が大切なのか」なんて考えたり。ついに葬式にも行かなかったのだけれど、それどころか哀しいとも思わなかった。ボクも死人みたいなものなんだし・・・。

死人みたいなもんなんだけれど、なかなかクタバラナイからタチが悪いのだろうね。

うまく書けないけれど、モグラのような毎日だったりしている。

なんだかどうしようもない文章になったけれど・・・。なんというか、こうして書くよりも、ボソボソと話すと気持ち良いんだろうと思ったり。よく分からないけれど。
片山右京さんの決断
片山右京さんが富士山から下山(救出)されたテレビ中継をリアルタイムで見ていたボクが一番に思ったことと言えば「モンベルのウィンドストッパーEXP.ダウンジャケットとパンツだろうなあ」と、あの鮮やかなオレンジ色のジャケットとパンツのことを考えたんだけれど。そしてそのモンベルの社長、登山家の辰野さんに「似ているなあ」なんてことも次に考えたんだ。

どうなんだろう、たぶんそのジャケットとパンツという姿から装備の問題はなかったのだろうけれど、「亡くなったふたりも同じ装備だったのかなあ」なんて考えたり、寝袋に入って寝る時に軽装になって、その時にテントに異変があったものだから、凍死するような寒さになったのだろうと思うのだけれど…。

テントのポールが折れるという想定される事態になったとしても、その極地用の装備があればなんとかビバークできたのだろうけれど、結局はその完成された装備が痣となってしまったのではないかと思ったりもした。どういうことかというと、マイナス25度でも耐えられる装備、暖かすぎる寝袋の中で無防備になってしまったということで、羽根を毟られた鳥のような状態になってしまったのではないかと・・・。

テントに泊まらなくて、そのまま下山していれば・・・ということも考えたのだけれど、今回の登山は登頂というよりも、高度順応なんかが主目的だったのだろうから、吹雪く山中に泊まるというテストなんてことも考えて、下山ということはほとんどイメージしなかったのだろう。要するに今月末に予定されていた本番への練習ということ、そのことが少しだけだけれど気の緩みみたいなものを生んだのだろうね。だって本番じゃないのだから。訓練というのは少しばかり、その本番よりは安全な場所で行われるものだから。本番と練習とでは緊張の度合いが違うのだから。

文明もにたようなもので、例えば人々はかなり安全に快適に暮らせるようになっているのだけれど、今回の右京さんの事故のように、一瞬にして身にまとった文明を剥ぎ取られたら、たぶん、多くの人々は死んでしまうのだろうと考えた。それほど無防備に文明に包まれている。ほとんど裸同然で寝袋に入って熟睡している状態だったりする。そして突風が吹いて、テントが飛ばされて寝袋から出なければならない状況になった時…、マイナス25度なんて環境に裸で出なければならなくなる。

どんな環境でも人は生きられるようになっているのだろう。そしてなるのだろう。このまま温室化が進んだとしても。それでも、ちょっとしたことで裸になるという状況が起こるようになる。その時にはもちろんボクたちは即死に近い状態になるのだろう。今だってそうだろうと思う。電気やガス、石油が無くなったら、たぶん多くの人が凍死や熱中症で亡くなるのだろうね。

というか、ボクたちはそういった悪魔と契約してしまったのだから、あとはほんのちょっとしたこと、例えばテントのテンションのかかり方みたいなものだけが、生死の運命を分けるのだろうと…。

遅かれ早かれ滅亡するのだろうけれど…。ね?

2010年
Sくんとの出逢いがボクを少し前向きな思考にさせてくれたことは間違いないと思う。Sくんもだけれど、彼のお父さんと話すことが出来たこと、そのことがボクに何か生きる力みたいなものを与えてくれたように思う。


そのSくんの家に呼んでいただいて、年越しをした。久しぶりに「家庭」を感じることが出来た。

キッコーマンのコマーシャルで明石屋さんまさんが唄っている「幸せって 何だっけ 何だっけ。美味いしょうゆのある家さ。」というのがあるけれど、家庭というのは、醤油と砂糖のにおいのように思う。夕餉の頃、煮物のにおいに家庭の温もりや幸せを感じる、そう思うのだけれど。

料理の香り、それが幸せのにおいなんだろうし、やっぱり「美味いしょうゆのある家」ということになるのだろうと思ったりした。

そう言えば昔、そんなことを書いたなあ、なんて探してみたら、2006年の11月の日記にあった…。

ご飯の炊ける匂い、煮物の醤油の香り、そして部屋に漂うそれら暖かいものの空気、なんてものが懐かしく思われれます。誰かと話していたい、なんて人恋しい気持ちが、昔のことなんかを思い出させては、何年も逢っていない人や、もう再会することもないだろう人のことを考えると、少し息苦しくなります。


食べ物の匂いや香り、それが家庭でもあるし国でもあるのだろうと思う。味噌や醤油の匂いや香りが日本の匂いなんだろうしね。

日本食から離れて暮らしている人の多くは「寿司を食べたい」なんて言うのだけれど、寿司というよりも醤油じゃないのかと思う。刺身が食べたいというよりも、刺身につける醤油が食べたいのじゃないかと思う。ま、どこへ行ってもsoy sauce(それもキッコーマンのやつだけれど)が入手できるのだけれど。(例えば20年前のエチオピアでさえ)「入手できる」というか、それだけ需要があるということで、やはり日本の食文化になくてはならないものが醤油なんだろうね。

あ、いや、醤油の話ではなくて、人と人の関係性というのは、たぶん、そういった幸せの交換(交換ではなくて贈与だけでも)だと思う。逆もあるのだけれど。それは何も言葉を介してだけではなくて、匂いとか音とか…。たぶん。そういえばSくんのお父さんのことは少し前にいただいた柿のことで書いたことがあるのだけれど、ひとつだけ枝をつけていたそのいただいた柿に、やっぱり何かを感じる。そういうものだと思ったりした。

今井Kさんやじょんからお米や肉をいただいた。まみたんからはクリスマスにバレンタインのチョコをもらった。(本人はクリスマスのチョコだと開き直っているけれど)…。そう考えると、まだボクは幸せなほうなのだろうと思った。街には多くのホームレスの人たちがいる。ハロワには相変わらず大勢の人たちがいて苦渋の表情を浮かべている。そういった人たちは孤独の中にあって、新年と幸せが結びつかないでいるのだろう。年号が新しくなったところで、本人たちの生活は変わらないのだろうし…。

「ありがとう」と言ったり言われたり、それが幸せなのだろうと思った。
今のボクは言われることも少ないのだけれど…。

そんなことを考えながら、そしてあのCMは幸せの在り処を再確認(当初23年前とは違った場所)させるものだろうなあ、なんて考えながら、Sくんの家を後にして、紅白を見ないでダウンタウンを見ていたらこたつの中で眠ってしまって、いつの間にか朝が来ていた、そんな大晦日だった…。そして元旦には少し雪が舞っていたのだけれど。

明けましておめでとうございます。
2010年もよろしくお願いします。

2010年が素敵な1年でありますように。

神山の夕陽
四国、神山の夕陽だけれども・・・。
初恋
同窓会をやっているのかどうかも分からないのだけれど、まだボクが実家や家族とつながりがあった頃の5年前に1度、中学校の同窓会の案内が来た事があった。その同窓会も十数年ぶりだったのだけれど、どうも参加する気になれなかった。だって、何の話をするのだろうかなんて思うし・・・。

今現在どれだけ幸せか、とか、どれだけ出世したか、とか、旦那自慢や嫁自慢、子供自慢…、そんな自慢話合戦になるに決まっているのだから、そんな会にわざわざ出向いて、こんな現状を話すこともないだろうし、惨めになることもないだろうから、同窓会や同期会なんてものには参加することはないだろうと思う。

唯一自慢できることと言えば、あの頃と変わらない体型とか、10歳は若く見える(だろう)外見とか、何ににも囚われることの無い自由な身とか(貧乏神には憑かれているのだけれど)、そんな「だからなんなんだよ〜」って一蹴されるような表面的なことなんだけれど。

それでもこんな特異な人生に何人かは惹かれたりもするかもしれないし、きっと捨て猫を拾うような気分で二次会に誘ってくれたり、その後も何度かご飯を食べに行って、そのうちに昔の恋の続きになったりもするかもしれないなあ、なんて思ったりもする。

その5年前の同窓会の幹事の1人が、ボクを好きだった(好きだったんだからしかたないのだ)Yという女性だった。Yがボクのことを好きだった頃、ボクはMと付き合っていた。付き合っていたと言っても、純情な中学生の頃、キスするとかラブホに言ってHするとか、今時の中学生の30%はやっているようなことなんかはしていなくて、ただ交換日記を書いたり、日曜日にデートしたりするだけの恋だったんだから、今だとメル友ぐらいのカテゴリーに分かられる程の関係だったのだけれど、胸は異様にドキドキしていた記憶がある。

その頃、もう1人で濡れることをおぼえていたとしても、そのMとかYが性の対象になることはなかった。もう少し大人になるとドキドキする部分が胸から下に移動してゆくのだけれど、まだその頃は、たとえMやYの胸の膨らみを気にしたとしても、その内部を押し広げようと思うことはなかったのだ。

初恋は、やっぱり村下孝蔵さんのものとか矢井田瞳さんのとかが好きかなあ。福山雅治さんのは中学生の頃感じた「はつ恋」ではなくて、もう少し大人になってした恋に対する思いのようであり…。

まだあの頃、ボクたちが中学生の頃は恋の結末なんてものをそう深く考えていなくて、福山さんの言う「傷」なんてことよりももう少し乾いた感じの痛みのように思う。「胸がキュんとなる」というとても良い表現で表されるような・・・。もう少し時間が過ぎて、そして実篤の「友情」を理解するようになった頃の恋になると、いろいろな人間としての本性、嫉妬心なんてもので傷つけ合ったりもしたのだけれど。

ずいぶんと人を好きになった。
それは全て恋なんだろうと思う。そして恋をするのが人間なんだろうと思う。

恋をして結婚をする。というのが由緒正しい順序なのだと思う。恋の結果が結婚なのだ。となれば結婚は二の次ということになる。そう考えると別に結婚しなければ子供を産んではいけないということもない。恋の結果において子供が生まれるのだから。そこが動物と違うところだと繰り返す。子供を産むだけなら猿でも出来るのだ。(ま、そのあたりが少子化問題を解くヒントなんだろうけれどね)

人としての由緒ある順序が変化しているから諸問題が発生する。「恋をして結婚をする」なのだ。例えば「朝起きて夜寝る」のが人としての正しい行動なのだ。「ご飯を食べてお腹がいっぱいになる」のだ。「お腹いっぱいになるためにご飯を食べる」のではないし「美味しいものを食べる食べためにご飯を食べる」のでもない。仕事もそうだろうと思う。「家を建てるために働く」のでもなくて「車を買うために働く」のでもなくて「働いてお金をもらう」というのが正しい順序なのだ。

順序が変化しているから結婚も労働も複雑になる。「結婚するために恋をする」のだから婚活が必要になってくる。「家を建てるために働く」のだから年収が気になる。逆に考えると、けっこう働くことも結婚も簡単じゃないかと思う。「働いたらお金をもらった」でもいい。「人を好きになったら結婚した」でも良い。由緒ある順序がなくなったしまったのだ。

「寝るために酒を飲む」とアル中になる。「もてるためにカッコよくする」と際限がない。「痩せるためにダイエットする」もしかり。「健康のために禁煙する」なんて、自分にプレッシャーかけるからイライラする。

……。

なんて思った。

で、結論なんだけれど、やっぱり人は恋をしなければならないのだ。
いや、恋はしなければならないものではなくて、やっぱり振り子細工の心なのだ…?

室戸の朝
NHKの「7サミット 極限への挑戦」という番組を見た。そのことについて、上温湯隆さんのことを織り交ぜて書こうと思ったのだけれど、長考しそうなので諦めた。ただ、コメント欄にも書いたのだけれど、それぞれがそれぞれの7サミットへの挑戦をすれば良いのだろうと思う。

重要なことは自分が主人公になって、そして人生そのものをドラマ仕立てにすることなのだろう。自分をビデオで写すということはそういうことだ。辛いことや苦しいことも撮影者という第三者になって自己観察すると、ストリーを考えられるようになるだろうから、前向きにも後ろ向きにも自分の行動をコントロール出来るようになるのではないかと思う。自己暗示出来る。そういうことは大切なことなのだ。

人生はドラマだ、なんて言われるけれど、そのドラマの脚本は自分で作るということなのだ。たぶん。自分の行動に感動し解説すること、そしてストリーを作って未来と繋げること、そうするとけっこう楽しい人生になるのではないかと思うのだけれど…。

人生は自分を主人公としたドラマを作ることなのだ。それが「人生はドラマだ」ということなのだ。たぶんね。

コメントにも書いたけれど、じょんは明日から彼の「7サミット 極限への挑戦」を始めるに違いない。きっと明日から独り言が多くなる。無声映画ではないのだから。「ちくしょう〜、もうダメだ。苦しいです、それでももう少し前進してみます。ハー、ハー」なんてね。きっと。「7サミット 女体山への挑戦」というタイトルでもいい…。

・・・・・・。

「死」

交通事故死が57年ぶりに5000人を下回ったそうだ。
交通事故死、57年ぶり5000人下回る 09年、「飲酒」減少映す

「飲酒」の罰則が厳しくなったということだけではなくて、この間、トヨタ自動車などの自動車メーカーは「安全な車」造りに膨大な予算を使い研究開発してきた。例えばエアバックやABSなんてものがそうだ。そして道路も安全のためにいろいろな研究が行われて、そして整備されてきたのだろう。光るだけではなくて、最近は色の付いた道路もある。

交通事故死を減らすためなのか、車を売るためなのか、自動車関連に莫大な予算が使われ、そして使われていることには間違いない。とにかく車が売れなければこの国の経済は破綻するという話の筋のもとに国も国民も生活しているのだから。

全ては車のために、なのだ。派遣切りなんて人切りも簡単に行われる。人権よりも車権だから仕方ない。そうしなければこの国は滅亡する。

自動車は安全な乗り物になった。もう走る凶器なんて言われない。タガーナイフは禁止されても自動車は禁止されない。たかだか5000人しか死なないのだからだろう・・・。

国や自動車メーカーの努力の甲斐あって5000人に減少した。その裏で自殺者は30000人もいる。交通事故死が減少した分、自殺者は増えた。自動車メーカーから派遣切りをされて自殺する人もいるだろう。ハロワ経由で自殺する人もいるだろう。生活保護を受給できなくて自殺した人もいるだろう。

国や自動車メーカーが殺した人たちが、その30000人の中にはかなりの数いるだろう。前年より241人(4.7%)少なくなったというけれど、派遣切りからホームレスになった人の数はその数倍の数いるだろう。派遣村も昨年よりは300人ほど増えた。何も減ってはいない。不幸な人たちは増えているのだから。

走る凶器、ではなくて、自動車メーカーそれ自体が凶器だったのだ。

その凶器を禁止したら国家が破綻するのならば、安全対策をもっと考えるべきだったし、考えるべきなのだ。国民の生活を守るエアーバックの開発こそメーカーはするべきだったと思うし、これからするべきだと思う。国民を救うABSの開発を優先すべきなのだ。排出ガス規制をするよりも、労働者切り規制を厳しくし、企業も研究開発すべきなのだ。だって、戦争で死ぬどころの話ではないぐらいの同胞の命を奪って成長したのだから。そして今も成長しているのだから。

飲酒が悪者ではなくて、正しい順番においては、車が第一の悪者なのだよ。そこをよく考えないとね。

羽根岬の夕陽
これは四国、羽根岬の夕陽
成人式と期間工
「セーラー服と機関銃」に聞こえなくもないなあ、なんて成人式の日にひとり笑った。ちょうど薬師丸ひろ子さん主演の映画が公開されるとかされたとかで、ワイドショーはそのふたつの話題(「成人式」と「今度は愛妻家」)で賑やかだったので、頭の中でミルトされたのだろうと…。「セーラー服と期間工」は多分、多くの人が考えているだろうとググると7750件あった。このブログの「忍という字は難しい(2)」というエントリーが2番目にあって少しまた笑った…。「成人式と期間工」も、まあ、かなりの人が考えるのかな…。

その成人式、沖縄では相変わらず荒れたらしい。もうあれは年中行事、西宮神社の福男選びのようなものかもしれない、と思った。(なんて比較すると神罰が下りそうだけれど)

「成人式と期間工」について考えてみた。きっと成人式の荒度(荒れる割合)の高い地域は、その成人たちの被非正規雇用率も高いのだろう。沖縄なんてのは非正規雇用が多いというよりも、失業率自体が高い地域であり最低賃金も低い地域なので、若者に「成人の自覚を」なんて言っても成人として活躍する場所がないのだから自覚も知覚ももてないに決まっている。

そういった「お祭り」への自制とか抑制なんて力は、社会の構成員の一員であるという枠決めがないと働かない。簡単に言うと、「へんなことをすると社会の一員として社会的制裁を受けますよ」という脅しがないと人はなんでもやってしまう。そういう制裁ということを明文化したのが法律だったりするのだろう。その脅しも社会の一員にしか効力がないので、一員でない若者にはさっぱりなのだ。例えば「村八分」なんて制裁も、村に住んでない人には何の意味もないのと同じ、ということなのだ。

正規でない人たちに正規の法律とか秩序なんてものを求めるのが間違っている。市長が「甘えるな」なんて叫んだところでどうしようもないのだ。それどころか国や企業なんてのは、暴動も起こさないで、組合のストなんてのも行わず、従順に、経済という御旗のもと、黙々と働いてきた、その非正規の人たちにベッタリ甘えてきたのだから、なおさらほとんど説得力なんてものはない。

格差なんてことではなくて、もうすでに差別感や区別感が非正規の若者たちの中にあるのなら、隣村の男に対して「自覚を」なんて言うのはナンセンス、アメリカ国民に対して「車は左側通行だぞ、何を考えているんだ」と抗議しているようなものなのだ。

思うのだけれど(これももう多くの人が説いているかもしれないけれど)沖縄はあの成人式で観光客を呼べばいい。阿波踊りのように観客席を設けて入場料を徴収すればいい。もうそれぐらい名物になっているのだから。それで沖縄の若者も、もう少し、市役所を占拠するとかして「選挙も占拠もやりまっせ、祝成人」なんてキャッチで自分たちの主張をすれば良い。なんならクーデターを起こして沖縄を独立させればいい。あれだったら沖縄米軍と手を組んで戦車や戦闘機で日本からもアメリカからも独立すればいい。

そう思った。
日本を変えられるのは、きっとあんな青年たちなのかもしれないと思うのだけれど。きっと。

セーラー服と女子高生
「成人式と期間工」を書きながら考えていたことがある。
薬師丸ひろ子さんの「セーラー服と機関銃」の画像を見ながら考えていたんだけれど、それはいったい女子高生とか女子中学生のセーラー服はどれぐらいのスパンで洗濯されているのかということなんだ。ボクの場合、冬物の学ランはワンシーズン洗わなかったりした。ズボンは、替えがあったのだけれど、それでもそんなに頻繁には洗濯していなかった。

たぶん、きっと、女子高生や女子中学生のセーラー服もそんなもんで、10月から3月までの半年間、洗濯されることはなくて、若い娘の匂いをタップリと吸っているのだろうと思う。(よくて冬休みの間に1回洗うぐらいなんだろうね)

新陳代謝が盛んな年頃で、ちょうど生理の始まる頃でもあり、もうなんだかやっぱり人間というか獣臭に石鹸の香りが交じり合って、甘酸っぱい匂いになっているのだろうと…。その匂いはいったいどんなものなのか、オジさんとしては「ちょ、そこのお嬢さん、オジさんに匂いを嗅がせてくれないかい」なんて道行く女子高生についつい依頼したくなるってもんで…。「あ、あれだったら、お礼に」なんて千円札数枚を・・・、なんてこともしそうになる自分も怖かったり。

初恋を「甘酸っぱい」なんて表現するけれど、あれはきっとそんな洗濯されないセーラー服の匂いなんだろうと、思った。

「嗅がせてくれませんか」とは言えなかったけれど、知り合いの女性に一応聞いてみた。やっぱり洗わないということだったし、「臭いでしょうね」ということだったから、臭いのだろう。いや香りがするのだろう。

セーラー服set 白×紺セーラー服set 白×紺

せめて月に一度でも洗うとかしたほうが良いのではないかと、オジさんは思うのだよ。特にスカートは、誰が座ったか分からない公園のベンチにも触れるのだし、オシッコが少しついたり、たまには血液も付いたり。給食やおやつの食べこぼしは必ず付くだろうし、授業中居眠りしてヨダレも付くだろうし…。それにもしも満員電車に乗っての通学だったら、変態オヤジが自分の一物を触った手でスカートや征服を触るってこともあるだろうし、もしかしたら一物どころか精液を付けるなんてこともしないとも限らない、そんな超危険な標的にされるJK、JCの制服なんだから頻繁に洗うほうが良いのではないかと思うのだけれどね。

きっと顕微鏡で見ると恐ろしいことになってはいないのかなあ…。除菌も出来るファブリーズやリセッシュなんてものでは処理できない細菌が付着している場合もあるだろうし…。

セーラー服だけではなくて、冬物のジャケットってのはけっこういろいろなものが付着しているのではないかと思う。スーツだってそうだろうし。スラックスなんてのはどんだけオシッコが付いているんだよ〜、なんて思うんだけれど。

女子高生や女子中学生は、若さという除菌作用があるのかもしれないね。その甘酸っぱい匂いも「臭く」はなくて、なんというかやっぱり「若草の香り」みたいなもんに感じられるのかもしれないと思うんだけれど。同じ匂いがオヤジからしていると「加齢臭」なんてトンデモナイ匂いになってしまったりするのかもしれない。ま、同じ匂いではないだろうけれど。

「セーラー服と・・・」ということについて考えた1日だったなあ。さてと寝るか。
日本の品質
トヨタ自動車労働組合が春闘でベアの要求を5年ぶりに見送ったそうだ。それでも定期昇給はあるしボーナス「基準内賃金5カ月+10万円」組合員平均だと180万円強の金額を要求するそうで、おそらくこれは妥結するのだろう。「未曾有」とか「100年に一度」とか形容される現在の不況下でもまだまだトヨタは安泰なのだろう。倒産はしない。しそうになったところで税金が投入される。経営陣はJALほど怠慢ではないだろうし、例のタンス預金もたっぷりある。リストラもないだろう。2010年の販売計画が発表されていたけれど、前年度比106%、たぶん目標は達成されるだろう。社員の皆さんはご安心を。来春の春闘にはベア要求、エイエイオー!なんてことになるからね。

トヨタという企業の品質ではなくて、発毛剤の話。

「リアップX5」が昨年発売された。「X5」は、主成分ミノキシジルが従来のリアップの5倍、100ml中に5g含有する。そういう2つの意味で「X5」と命名されたのだろう。それまでも海外では「ロゲイン」や「オークランド」なんて商品名のミノキシジル製剤はあり、日本へも輸入され使用されていた。「X5」の定価が7400円なのに対して、1本2000円ほどで買えるということもあって、「X5」発売後もそれら輸入品を使用している人も多いようだ。というか輸入品を利用している人のほうが多いかもしれない。

ボクもその「ロゲイン」を使用しているひとりだ。「確かに効く」と言いたいところだけれど、同時にプロペシアのジェネリック「フィンペシア(finpecia)」(これはインド産で100錠2800円)を服用しているので、どっちが効いているのか、あるいは効いていないのか、どうも分からない。現状維持ということであっても、それは薬効ということだろうから、どうも分からない。ボクがふたりいて、ひとりは何も使わないで、もうひとりはミノキシジルやプロペシアを使って臨床比較すればピンポイントで分かるのだろうけれど…。

現状維持、あるいは、多少の後退、という状況であっても、「使用していなければもっとヒドイことになってしまう」なんてことも考えられるわけで、もうそうなれば呪いのようでもあるし、薬中のようでもあり、なんだか霊感商法やシロアリ商法、保険屋の手口にも似ている。というか世の中にはそういった「もっとヒドイことになりますよ」という手の急迫が満ちている。

逆の視点だと「信じる者は救われる」ということになり、幸せへの祈りなのだけれど…。

その同じミノキシジル5%含有製剤「X5」と「ロゲイン」の圧倒的な違いはというと、使いやすさにある。1回の使用量は1ml。その微量の薬液をどうやって計量するかというところで日本と西欧の差が現出する。

日本製である「X5」はノズルの先端が計量器になっていて、容器を逆さにするだけでキチンと1mlを計ることが出来て、そのまま頭皮にノズルを押し当てると薬液が少し出て塗布できる仕組みになっている。これはたぶんスゴイことだと思う。

一方「ロゲイン」にはそんなものはついていない。蓋は例の押して回すアメリカ型キャップで開けにくい。どうやって計るかというと別売りのスポイトを使う。そしてそれを頭皮に流す。「X5」が「塗布する」という微妙な動作に対して、やっぱり「たらす」とか「流す」なんてことになってしまう。

「うわ〜、垂れちゃったよ」と毎日毎日眉毛に付いてしまい、眉毛が濃くなった人も多いのではないかと思ったり・・・。

その差が日本の品質なのだと思う。たぶん、西欧ではそういう微妙なことを考えられないのだ。というか、その使い捨てされるノズルを開発するよりは、薬品の開発にエネルギーを使うのかもしれない。たぶんそうだろう。

ただそのノズルの有無のために4000円ほど余分に出すということはしない。しないのだけれど、とりあえず「X5」を1本買って、使い終わったらその容器に「ロゲイン」を入れて使う、ということをする人も多いと思う。ボクはそうしている。その容器のために4000円ほど余分に出費するひとも多いと思う。それはそれで大正製薬の思う壺なのかもしれない。日本のハゲ人口とその予備軍の数なんてのを把握していて十分にノズル開発費なんてのはペイすると最初から踏んでいるのだろう。

なんて考えていると、そういう容器を東急ハンズなんかで開発販売するとけっこう売れるかもしれないのにねえ、なんて思ったりするんだけれど…。「禿げ薬塗布ボトル」なんてのだとダメだろうから「ハゲヌ〜ル」なんてネーミングで…。(「ノドヌ〜ル」みたいだけれど)どうだろう「ハゲヌ〜ル」ついでに「ハゲヌ〜ルスプレイ」なんてのも同時発売するとか。

きっともう考えていて、試作品も出来上がっているのかもしれない。それが日本の品質、痛いところに手が届くってことなんだろうし…。きっと。

ロゲインとスポイト
ロゲインとスポイト

リアップX5
リアップのノズルはスゴイのだ

#「ハゲヌ〜ル」で検索したら、まだ誰も使っていなかったので商標登録したいぐらいだよ〜。
5ヶ月ぶり
あれから5ヶ月ほどの時間が流れました。
ボクはなんとかタクシードライバーとしてやっています。

少しは地理にも慣れてきて…。
とは言っても地元ではないので、まだまだ、まだまだまだ、な感じです。

一番苦労するのはやはり地理。一にも二にも地理。読めない地名なんてのもあって困ったり。お客さんが言った地名とボクが地図上で読んでいた地名が一致しなかったり。悪戦苦闘の毎日だった。

休みといっても何もする気力も体力も残ってなくて、ただひたすら寝ていたり…。



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