トヨタ期間従業員に行こう

トヨタ自動車期間従業員であった筆者が期間工、派遣社員、非正規社員についてや雇用の問題そして1年間にわたる失業生活、その後のタクシー運転手としての日々なんかをぬるめに書いています。

朝湯こんこん あふるるまんなかの わたくし
山頭火。

新年だ。とは言っても元旦から仕事で、おまけに酔っ払いから説教されるなんてこともあって、嫌な始まりだった。因果な商売。世に中が便利になればなるほど、というか便利さを享受する人がいるということは、その裏で不便さを感じている人がいるということなのだ。正月なんてのは万人に等しく訪れてほしいもんだと思う。

年賀状もこの6〜7年の間は出さないもんだから、とうとう誰からも来ることがなくなった。「出さないもんだから」というよりも、もう人との関わり合いというのがほとんどなくなったということなんだろう。

人と付き合うということのほとんどの意味は相互扶助みたいなことで、というよりもボクの場合だと助けてあげられるってことはないので、「もしもの時は助けて下さい」なんてことなんだろうから、まあ、そんな関係を保つためにわざわざ新年早々年賀状を出すってこともないかと、そう思うこともある。

それに、元旦早々年賀状配達に携わる非正規社員であるゆうメイトの人たちの仕事を増やすこともないかと思ったりもする。年賀状も1月4日に配達すれば良いのに。

めでたいのかめでたくないのかそんな新年、元旦。
仕事から帰ると風呂に入った。風呂の中で音楽やら落語を聞くのが趣味みたいなもんで、楽しい。(そんなことが趣味というのかは分からないけれど)たまに眠ってしまうことがある。眠ってしまうことがあるとしても、アパートの狭い風呂桶なもんで、溺れたりイヤーフォンが水没したりすることはない。たまに広い風呂に入りたいと思ったりもするのだけれど、そこまで行くのも面倒だったりする。(というか、狭い風呂で満足していたりもする)

まあ、それでも朝湯に入ることが出来て、蓬莱泉に燗をつけて飲むことができた元旦だったので、それはそれで幸せなのだろうなあ、なんて思う。

朝湯こんこん
ツムラの「薬湯」に明礬を入れたスペシャル薬湯なのだ…。
もう一度人生をやり直せる町…。
「もう一度人生をやり直せる町」。豊橋のまちづくりスローガンに、こう掲げてはどうだろうか。たとえ全国を流浪の末に豊橋にたどりついたとしても、この町ならやり直せるかも知れない。そんな自身の沸いてくる町はどうだろう

と、東日新聞の「風針」というコラムに書いてあった。

ちょっとピンぼけしている。なぜならば、もうすでに過去にも現在にも多くの若者が「もう一度やり直したい」という決意を胸に北は北海道、南は九州沖縄から豊橋や田原に大勢やってきている。そしてその多くは期間工や派遣社員、非正規雇用という道具として使い捨てられ町を去ってゆく。「やり直せる町」どころか「絶望の町」なのだ。

これまで多くの若者を絶望の深淵に追い込んでおきながら、いまさら「人生をやり直せる町」というのがピンぼけしているというのだ。多くの若者の絶望を食って豊橋市や田原市なんてのは豊かになったのではないのか。

保証人がいなければ就職も難しい。ハローワークはマニュアル通りのことしか行わない。個々人のバックグラウンドやら能力なんてものを考慮してそれを就職に結び付けようなんて手間のかかることはしてはこなかった。まるで北の国の配給の風景だった。求人票を窓口に提出して面接の日時を決めてそれで終わり…。企業とのやり取りも一通のハガキだけだ。面接に落ちたとしても、何がいけなくて何が良かったのかなんてことを掘り下げて求職者の今後のために生かそうなんて、これまた手間のかかることなんかはしない。

いやボクの場合だけがそうだったのかもしれない。いやあのリーマンショック後の混沌とした雇用状況が悪かったのかもしれない。でもね、あの頃なんてのは「希望」なんて光は少しも見えては来なかった。

町はセイフティネットにはならない。国家をあてにしてはいけない。そうボクたちは学んだ。

結局、ボクはタクシー運転手となった。ボクだけではない。かなりの数の非正規労働者たちがタクシー運転手となった。タクシー会社は拾ってくれる。大企業が使い捨て、町や国が見捨てた「流浪の民」たちをかなりの確率で拾ってくれた。名古屋なんて大都市では住むところも用意してくれた。

最終的には人間まで治して、社会復帰させる。豊橋に行けば何でも直る。文字通り、もう一度人生をやり直せる。そんなすてきな町にしたらどうだろ。

確かにそうなればすてきだろう。
「豊橋に行けば」と今もやってきている多くの若者のことは、いったいどうするつもりなのだろうか。それはそれ、これはこれと、別の事案として考えるのだろうか。結局また街角にホームレスを増やすだけではないのか。

あのリーマンショック後に増えたホームレスのことはいったいどうするつもりなのだろうか。それはそれ、これはこれなのだろうか。

まずは今ある問題についてキチンと報道して、その解決についての態度を示すなんてマスコミとしての責任を果たすことのほうが重要で、そんな夢を語ることなんてのは二の次だと思うのだ。東日新聞の記者の乗ったタクシーの運転手が、その「やり直そう」と思って豊橋にやって来た人だということだってあるということだ。年齢とか保証人なんて就職差別を受けて、自信なんてものは失くし絶望の末に運転手という職業にたどり着いたのかもしれないのだ。

そういう人がまったくいない、なんてことでこんな記事を書いているのではないだろうけれど、ボクにはなにかやっぱりピンボケした記事に感じられたのだ。非正規雇用の問題だけではなくて、豊橋に住む多くの外国人の問題も、それはそれと片づけてしまうのだろうか、なんて考えたのだ。

東日新聞
砥鹿神社奥宮へ初詣
砥鹿神社奥宮への参道、本宮山の登山道はいつも人が多い。登山口のウォーキングセンター駐車場は平日でも満車になる時がある。流行りのパワースポットだということで、ごく普通のかっこうをした人たちも登っていたりする。

初詣に行った。登りの混雑を避けて、というよりもあの「こんにちは〜」という挨拶を避けて陽向滝不動尊を通るコースから登った。こちらのコースは静かだ。結局天狗岩まで誰ひとり会わなかった。(鹿には逢ったけれど…)

山頂辺りには積雪があり、それに時折雪が舞うという、とても感動的な風景だった。そのパワースポットということなのか、奥宮にある富士山遥拝所にひとりの女性。年の頃なら27、8、暗めの色の洋服を着た、そして化粧も抑えめの質素な顔つきの、普通のかっこうをしたひとが、かなり長い時間、富士山があるであろう方向に祈りを捧げていた。

こういう場合だと病身の親の回復を祈っている、なんてことのほうが良いのだろうけれど(そうかもしれないけれど)、きっと恋の成就、いや、叶わぬ恋の成就なんてことを祈っていたのだろうと、ボクは思った。彼女の雰囲気がそう思わせた。

祈っている彼女の後ろを通り、ボクは山を下り始めた。半分ぐらい下りたところで、後ろを振り返った。人の気配がしたからだ。そしたら、その彼女がボクの後ろにいた。祈りのためだけに、山に入った彼女にすれば、その用が終わったのだからあとは帰るだけで、他のこと、例えば山の風景を楽しんだり奥宮の自販機で100円の缶お汁粉を飲んだりすることは(それがボクの楽しみだったりするのだけれど)、不謹慎なことなのかもしれないし、そういった決意みたいなものが迫力となって気配としてボクを立ち止まらせた。

ボクは彼女のために道をあけた。「パワーガールだなあ」なんて思いながら、その後ろ姿を見ながら歩いていたのだけれど、どんどん彼女との差は開くばかりで、結局見えないほど開いて、気配さへも感じられないほど距離が開いてしまった。

ふとボクは考えた。あれは上りに逢った鹿だったんじゃないかと…。きっと何か良いことの前触れで、あるいは、神様の使者だったのではないのだろうか…。そしてボクに何かパワーを与えてくれたのではないのだろうか。

そう思うと、今年はきっと何か良いことがあるかなあ、そんな気持ちになった。でもボクの「良いこと」ってのはなんだろうか…。何か思わぬ大金が手に入って、そして仕事も世も捨てて巡礼するのがボクの夢だとしたら、それが叶うってことなんだろうかなあ。でも、それは本当に良いことなんだろうか…。

砥鹿神社奥宮 初詣
たごさく弁当
あ、しまった、たごさく弁当の「師走」を食べそこなった…。
今年は12か月、毎月食べようと思う。それがささやかな幸せだったり…。
「新・平家物語」全16巻も読んでみようと思う。
英検も受験したい。3級ぐらいからやってみるか。
2週間に1度は山を歩きたい。
とりあえずそれが今年の目標。仕事については特にないけれど、事故を起こさないようにしたい。

今日は、今年初めての週末だったのだけれど、暇だった。トヨタや関連企業の土日出勤がその理由かもしれないし、正月疲れが出ていてこの3連休はゆっくり過ごしたいと思っている人が多いのだろうか。

さてと、もう寝よう。

たごさく弁当10月
たごさく弁当10月

たごさく弁当11月
たごさく弁当11月



田原市内でファストフード店が流行らないたったひとつの理由
田原ジャスコ隣のセルフうどん閉店しました。結局一度も食べる事は無かったなぁ。田原では飲食店は流行らないですねぇ。
茶釜 | 2012/01/08 17:37

確かに。
田原というよりも田原市内といったほうが正確だろうか。あれだけの昼間、夜間人口を抱えている街なのに、吉牛もなければすき家もない。居酒屋チェーン店もなければ、スタバ、ケンチキ、ミスドもない。かろうじてあるのはガストとマック。

田原市民はファストフード嫌いなのだろうか?外食比率が低い?外食するなんてのは一家の恥、なんて文化は…ないか?

セルフうどん店や牛丼屋などのファストフードチェーン店の顧客層というのはサラリーマンやブルーカラーの人たち、独り暮らしの老人や学生なんてのが大半を占めるのだろうし、ボクが行くところもそんな客層で賑わっている。次がファミリー層なのだろうけれど、彼らは休日の夕方という限られた時間帯にだけまとまった数字が現れるように思う。その二大顧客層の来店が少ないのが田原市内だ。

田原市にはかなりの数の労働者がいるが、そのほとんどはトヨタ自動車のように社員食堂で食べる。ファストフード店で食べるよりも豊かで廉価なのだからわざわざセルフうどん店なんてのに行く必要もないし、そもそも敷地の外で昼食をとるなんてことが難しい。社員食堂がなければ弁当になる。コンビニが繁盛するのはその弁当需要があるからだ。

ほとんどのサラリーマンが社員食堂で食べるだからお昼の売上は絶望的になる。残るはファミリー層だ。しかしそのファミリー層が、夕方に家族団らんで牛丼屋やセルフうどん店に行かないというのもトヨタの街の特徴だ。田原市のように(トヨタ自動車の集団として)ムラ化した地域においては外食文化は低迷する。理由はひとつ、会社の外で同僚に逢いたくないのだ。それも家族揃って部下や同僚に逢いたくない。上司に遭遇するなんてことはかなり面倒だ。

家族連れだけではなくて、独身の人にもいえる。ファストフード店なんて簡易食堂に行ってまで面倒な挨拶なんてしたくないし、そんなところで気を使って食べたくもない。嫌な上司、苛めている部下がいるかもしれない。あるいは下請けと元請、納品業者、なんて関係。トヨタ自動車という組織でのヒエラルヒー構造ができあがっている。ムラ社会での身分制度。

職場と家庭が同じという環境が気にならないのトヨタ社員の人もいるかもしれない。野依台や杉山、やぐもだい、富士見台なんてムラに住んで、職場も家庭も同じ環境というが好きな人も多いかもしれない。(神経が麻痺しているのか、結婚してまでもトヨタ学園や寮のノリなのか?)ところが奥さんは発狂しそうになる。(まあ、奥さんもピンボケしている人も多いけれど)(発狂している人もいるかもしれない)普通はそんな生活環境は敬遠する。敬遠するのだから、わざわざそういった構造が顕在化する場所へは行きたくない。行くなら遠く離れた豊橋市内まで出かける。

わざわざ職場の匂いのするうどんや牛丼やコーヒーやカレーを食べに行きたくなるわけがない、ということだ。

という理由で、トヨタ自動車というムラ社会の住人が圧倒的に多い田原市内では、ファストフード店が流行らないし、これからも流行らないだろうと思うのだ。

いや待てよ、地方のムラ社会出身者はそんな環境へ憧憬や懐郷があるのかもしれない。そして寮生活の延長のようなベッドタウンに住んで社員食堂や寮食堂のようなところへ行きたいのかもしれない。そうなると、あの食堂のシステムと同じものを街に作れば流行るかもしれない。

トヨタ食堂。24時間営業、セルフサービス、社員証で清算できる食堂をみんな待望しているのかもしれない。うどんや牛丼、カレーやコーヒーなんて別々に注文するなんてこと面倒で、バイキング方式のなんでも屋が好きなのかもしれない。それも廉価で…。

そうなるとすたみな太郎か。田原市内では他の多くのファストフード店は流行らないかもしれないけれど、すたみな太郎は流行るかもしれない。すたみなトヨタ太郎。いや、どうせなら「すたみな章夫」ってのはどうな。(不敬罪で逮捕されるか)

もうこうなれば、それを頼むのはあすこしかない。そうトヨタ生協だ。メグリアよ、田原市民(正確には田原在住のトヨタ社員)のために、トヨタ食堂をやってくれ。市民にも同じ条件で食事できる施設をオープンしてくれ。エームサービスでもいいけれど…。

あるいは革新ラインを導入したあとの余剰人員で「トヨタフードサービス」なんて会社を立ち上げて、食堂事業を始めたらどうかなあ、なんて思っているんだけれどさあ。トヨタ方式でさ。回転すしなんてお手のものだろうしさ。あれだったら生産ラインのように寿司も人も動くなんてエコでヘルシーな回転すしにすればいいんだからさ…。んで、新聞には「トヨタの革新寿司ライン」なんて見出し付くだろうし…。どうだろう、このアイデア…。

さてと、話がばらけたところでランチでも行くか。

ボナペティのデザート
Bon Appetitのデザートは美味しいらしい。
AKBと週間ポスト
成人の日らしくない成人の日だった。祝日が祝日らしくないと感じる人が多いはずだ。成人の日は一月十五日のほうがとってもしっくりくるし、重々しいように思う。体育の日なんてのも同じだ。まあ、それでも成人式はお盆にする地域もあるのだから、日にちなんてのにこだわることもないのかもしれないなぁ。さて、AKB。もうすでに国民的アイドルとしておじさんたちをもその虜にしてしまったようである。わずか一年前までは、モー娘。との区別もままならかった人たちである。かくいうボクその中の一人…。そういったおじさんたちが購買層のほとんどであろう週刊誌にまで登場するうようになった。週間ポスト、彼女たちのクリアファイルやらポスターなんかやらが、おまけとして付いていた。いや、おまけというよりもそれをメインで買う人もかなりいるのだろう。ボクはといえばいつものように淡々とそれをてにして「ふ〜ん」なんてつぶやいている。それでも「もうけ」なんて、まず最初に、それをキチンと部屋の本棚に収めたのだ。それから少しHな表紙のタイトルが、彼女たち写真に被っているのに唸りながら、読み始めた。なんだか彼女たちには不釣合いの場所のように感じているし、やっぱりおじさんたちの魂をゆさぶるのは「噂の…」の方かな〜、なんて考えている。
タクシー運転手の休日
朝早く目覚める。
まだ4時前。
「日の出を見に行きたいな」なんて考えていた。
エアコンのスイッチを入れる。布団から抜け出そうと考えながら、そうしてこんな寒い日は日の出も綺麗だろうなあ、なんて考えながら、また眠ってしまった。次の起きたのが7時…。部屋は4時から動いているエアコンで暖かく、今度はなんの躊躇もなく布団から抜け出してパソコンの電源を入れテレビのチャンネルをNHKに合わせる。ワンセグの小さい画面をボンヤリ眺めながら小一時間…。

甘いコーヒーを煎れる。胃の中は昨夜食べた湯豆腐が完全に消化されているのか、少し痺れる感じ…。

電話がかかってきたのが8時過ぎで30分ほど話した。そのあと賞味期限切れ直前のコハダをアテに熱燗で酒を飲みはじめる。正月用に買った蓬莱泉の秀撰。燗をすると香りが増す。ちびりちびりというよりも、ダラダラ飲んだ。

その後散歩に出かけた。3時間ほどゆっくりと自転車を漕いだ。三遊亭百生師匠の「船弁慶」と春風亭柳枝師匠の「王子の狐」を聞きながら街を眺めていた。ゆっくりとというよりも、これまたダラダラ漕いだ。

冬の寒さは魚と同じで人の身も締める。寒ブリみたいなもんで寒ヒト…きっと今が旬に違いない。公園の池には鳩や鴨なんてのがいて、寒さに縮まっていたのだけれど、鴨も(きっと鳩も)今が旬なのだろう。なんて考えながら帰り道、スーパーに寄ってネギを買う。公園で捕まえた鴨で鴨鍋、なんてことではなくて、ネギを焼いてまた飲んでやろうか、なんて考えていた。そう言えば熊本の県庁近くの青竹という小料理屋の鴨鍋は美味かったなあ…。

アパートに戻ると、うどんを作った。そのネギをたっぷりと入れた。身体が温まったら眠くなった。そうしたら眠ってしまった。気が付くともう夕方で水戸黄門が始まっている。

これからボクは洗濯物を取り込んで、ご飯を炊いて、それから湯豆腐かなんかでまた酒を飲む。そのあとにまた眠ってしまうのだろうけれど、目が覚めて20時とか21時だったらお風呂に入ろうかなあ、なんて考えている。たぶん、面倒くさくなってそのままコタツの中で眠ってしまうのだろうけれど。

なんかこう書いたら、休日なんてあっけなく終わる…。書かなかったってあっけなく終わるのだけれど。

さてと米でも研ぐか…。

豊橋 幸公園の鳩
無職という選択
思うのだけれど、働くということは確かに納税という義務を遂行するために重要なことだろうと思うのだけれど、人生においてはそれほど重要ではないのではないだろうか…。

人生=労働なのだろうか?

収入=労働なだけであって、その収入を得るための方法なんてのは千差万別、クルマを造ることもそのひとつだし、ギャンブル稼ぐのだってそうだろうし、芸術活動や宗教なんてのも、そのひとつなのだ。

無職のつまらないものですが。
じゅんじゅん | 2012/01/10 01:09

別に無職は「つまらない」ものでもないと思う。キチンと生きていて、例えば窃盗とか強姦とか殺人なんて犯罪者でもないのだろうし…。ニートと言われる人たちだって、生きる糧を自らの労働から得ていないというだけで、それもひとつの方法なのだろうし、家族の財産を分配してもらっているということだけなのだから、そんなに「つまらない」ことでもない。

というよりも、働いている人よりもたっぷりと時間があり、人間関係なんていうストレスフリーの生活ができるのだから、それはそれで人間らしい(というか動物らしい)生き方なのかもしれないと思う。

きっと世間体なんてものが無職という自分を「つまらない」ものにしているのだろう。世間体というか世間一般の考え方。常識とか良識なんてもの。

例えば宝くじが当たったら、ボクも隠居すると思う。3億円、それだけあれば十分余生を生きられることができるのだから、その十分の一なんて収入ためにあくせく働くなんてことはしたくない。人生はボランティアではない。自分が一番かわいいに決まっている。あるいは家族がかわいいに決まっている。他人のために納税なんてことは二の次だ。この国の将来なんてそれほど重要ではない。そんなもんだ。

人生設計がキチンとできていれば(要するに生涯に渡っての収入があるかどうか)別に仕事なんてしなくてもいいと思う。それよりは毎日好きなことをして、例えば好きなだけ本を読んだり、山の登ったり、旅に出たり、時間をたっぷりと使った生活をするほうがどれほど幸せなことか。

何かのため、例えば就職のため、とか、知識のため、なんてことで行動するのではなくて、自分の欲望なんてもののために毎日を過ごすなんてことのほうが、ずいぶんと幸せな生き方のように思うのだ。

結婚とか家とか車なんてものを諦めると、随分と楽な生き方も出来る。ボクもそうなのだけれど、安アパートで暮らして毎月国民年金ほどの出費で生きていると、「生きるってけっこう簡単じゃん」なんて思える。

ボクも住むところと食べるものさえあれば、無職でもいいと思っている。いつか書いたように、高いペットを飼うぐらいならオレを飼えば良いのに、なんて思っているぐらいだし…。

無職の時に何をするか、そこで人生はずいぶんと変わると思うのだ。まあ、あまり卑屈にならないことだ。

飛騨高山にて
たごさく睦月弁当
鰤(ぶり)の塩焼をメインに、かにあんかけのふんわり豆腐天、筑前煮など、素材を活かした味に仕上げました。揚げ物を使用していないので、年末年始でお疲れ気味の胃腸もホッと一息。
新年の始まりにふさわしい、華やいだ色味と風味のお弁当です。

百貨店・駅ビル・デパ地下でおこわとお弁当なら「たごさく」「たもかみ」でおなじみの山和食品株式会社 | 商品のご案内

まあ、確かに新年の始まりにふさわしい、そんな感じで「正月のようだね」なんて話した。

日本郵政社員が自腹で年賀はがき5000枚購入。ノルマ達成のための“自爆営業”が急増中 - 週プレNEWS
実はこの年賀はがき、日本郵便の社員が持ち込んだもの。支店により数字は異なるが、正社員に約1万枚、
非正規社員に約5000枚という厳しい年賀はがき販売ノルマが課されていたため、こうした手段に出たのだという。

こういうニュースを聞くと「ああ、やっぱり年賀状出さなくてよかった」なんて思うね。出さないことが問題解決になるということではないのだけれど。

金券ショップで1枚43円で買い取ってもらえる商品だからまだましか。クリスマスケーキやお歳暮、保険なんてもの自爆営業、どの業種にもあるもんね。クルマなんてのもそうで、トヨタ社員もトヨタのクルマを買わなければならないのだろうし、ほとんど関連企業での消費で自爆消費活動なんだろうし。

タクシー業界だって、ノルマがあって(「足」なんていうけれど)自爆営業をする人もいる。「落とし込み」なんてジャルゴンなんだけれど、お客さんを乗せないでメーターを入れて走って、その運賃を自分で払うことをする人もいる。「する人もいる」というか、みんな一度や二度はやったことがあるかもしれないね。

どの業種も、こういう事実があると分かっていながら労働組合が黙認しているというのがこの国の歪さなのかもしれないね。

脱原発みたいに脱年賀状もやったほうが良いと思うんだけれど。森林保護のためにも、地球温暖化防止のためにも、そんで未来のためにもねえ。「年賀状が雇用を産んでいる」なんて脅迫する人もいるのだろうけれど、んじゃ原発も戦争も雇用を産んでますよ、ってな話になるわけだし。除染作業も雇用を産んでいるんなら、原発事故万歳ってことで、これからもどんどんじゃんじゃん原発造って、そんで造っては壊し造っては壊し、なんて大量生産大量消費を続ければいいだけの話でね。

まあ、ボクなどは仕事があればなんだってやってくれ、って立場だけれどね。景気が一番。みんなもそうだろうしさ。まあ、自爆営業がそのうちテロ営業なんてのになって、マッチポンプ式に利益を上げるなんてことになるのだろうし…。で最後は戦争か。それもどん底の経済のためには良いか。未来は明るい。

たごさく睦月弁当
豊橋勤労福祉会館廃止とか
暗晦な不安さをそのまま映し出した空。世紀末というコトバとかイメージの街。やっとその雨が上がって陽が差してきた朝。雨が雪にでも変われば(なにかの歌ではないけれど)、なんらかの変化、明るさみたいなものが閉ざした人の心を開かせるのだろうに…。

昨日の洗濯物がぶら下がっている間抜けな空間で目覚めたボクはというと、いつものように甘いインスタントコーヒーで空腹感を追いやる。その目覚めから3時間すぎてやっとこうしてパソコンの電源を入れ、そうしてテレビを観ている。なんだかなあ、なんて一日の始まり。

勤労福祉会館、愛称アイプラザが3月をもって閉鎖されるらしい。「労働者の福祉の増進を図ることを目的に、1970〜80年代に設置された」そうなのだけれど、ほとんどの人はその施設によって福祉の増進を図ることができたなんて実感はないはずだし、ボクにとっては散歩の途中にトイレを借りたことが一度あるくらいの、それぐらいの重量の施設だった。

タクシー運転手としての想い出は、氷川きよしさんや北島三郎さん、綾小路きみまろさんのコンサートがある場所で、年に何度かはそのお客さんを駅から送迎する仕事がある、なんて場所だった。駅から1800円程度、まあまあの場所ではあった。「まあまあ」感がないと、「また氷川きよしのコンサートかあ」なんて運転手から逆恨みされることもあるに決まっている。

そんな催物も月に一度あるかないかなのだから、経営としては赤字だったのだろう。同時に廃止されるサンライフ名古屋と「施設の管理委託料や補助金など、年間1億5000万円余の削減」になるらしい。

廃止されると言ってもその後は県から豊橋市に移管されるそうで、赤字分もそのまま譲渡されるということなのだ。余裕のある豊橋市のことだから、それぐらいの(半分としても7500万円)金額はなんとか捻出できるのだろう。

施設はあるのだから、今年の氷川さんや北島さん、綾小路さんのコンサートはいつもの通り旧勤労福祉会館で行われることになるのかもしれない。そして来年2013年になれば駅前にオープンする芸術文化交流施設で開催されるかもしれない。そうなると、電車や新幹線を降りてすぐなので、タクシーを使って会場に行くという必要もなくなり観客にとっては便利な場所になる。そしてタクシー運転手にとってはまたひとつ収入源が減るということになる。

郊外型、ファストフード化した街というのはクルマを必要とする。そのクルマの中にはタクシーも入っていて、それが見直されているという最近のファッションにおいてはタクシー業界の市場規模は縮小するのだろうなあ、なんて考えている。なにも特定の業界だけではなくて、この国自体が縮小傾向にあるのだから、明るい未来なんてものはどうも見えないのだけれど、「明るい」なんて言う人は何か根拠があるのか、それともよっぽどの楽天家なのか、それとも消費を煽っているのか。テレビの向こうでしか「明るいね」なんて声は聞かれないというのもなんだか不気味な話なんだけれど…。

そのテレビもない生活をしてる(ワンセグで見ている)ので、時代は脱三種の神器かなあ。そう考えていると、電気代が上がっても使わなきゃ良いだけだし、経済全体がそういう流れになるんだろうなあ。

さてと…。

県が2施設の廃止発表 : 愛知 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

飛騨高山にて

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