トヨタ期間従業員に行こう

トヨタ自動車期間従業員であった筆者が期間工、派遣社員、非正規社員についてや雇用の問題そして1年間にわたる失業生活、その後のタクシー運転手としての日々なんかをぬるめに書いています。

謹賀新年

2015年 年賀状



未と言えば、未来、でもなくて、未完成、でもなくて、未知、でもなくて、やっぱり未熟、でもなくて、未亡人、でもないし…。

未納でもなくて、未払いでも未収でもなくて、未使用でも未遂でもなくて、未承認でもなくて…。

今は未だ未だ人生を語らず…でもなくて、寒梅著花未でもなくて…。

元旦やとにもかくにも雑煮かな(笠山)

元日や上々吉の浅黄空(一茶)

良い一年でありますように。
紅白歌合戦雑感
大晦日にレコード大賞とNHK紅白歌合戦を見て新年を迎えられるということがどれほど大切なことかということを、ボクたちは解っていないで、ただぼんやりとその時間を過ごしている。それだけこの国が、たとえ軍靴の音が遠くに、そしてすでに聞こえていたとしても、平和だということだ。

昭和10年代、戦争の時代の音楽といえば軍歌の時代だった。洋楽や恋の歌なんてのがラジオから流れることもなく、口ずさむことも許されない時代だった。

そして終戦になると、今度は軍歌が禁止され洋楽が占領軍によって流布されるようになる。音楽だけではなくて、パンが給食での主食になり英語が必須授業になり、アメリカの映画が上映され、アメリカ礼賛の世の中に、一瞬にして変わってしまった。

やっと終戦5年後に紅白歌合戦なんて平和な番組が編成され、日本人は音楽を聞き歌う自由を手に入れたのだ。紅白歌合戦の歴史というのは、その平和の歴史でもある、と思う。音楽だけではなくて、文学や思想も自由になったのはたかだかそれぐらい前のことなのだ。

遠く軍靴の音が聞こえる。気をつけたほうが良い。ボクは戦争がたとえ起きたとしてもそれは「しかたないかなあ」なんて思っているのだけれど、戦闘員として戦地に就く可能性のある人たち、あるいはその親御さんは、「しかたないかなあ」で済まされるはずがないと思うのだが。

平和の象徴、そんな紅白歌合戦なのだが、特に気になった演目をいくつか…。

「メロンジュース」HKT48
まあ、さっしーファンなので…。あのスキャンダルがあってアイドルというより「女」として彼女を見る人が増えたかなあ、なんて思っているし、一段とボクとしては「やっぱりさっしー良いよねえ」ってことになったんだけれど。「女」としてというか「人」として、まあ、人間の業の部分、そこで菩薩を想像するんだろうし。

「天城越え」石川さゆり
九州女つながり、ということでもないんだけれど、水前寺清子さん、矢代亜紀さんなんて大御所がいなくなった(そういえば3人とも熊本出身か)今となっては、演歌といえば石川さゆりさんかなあ。演歌に詳しくはないのだけれど、ついついCDとかDVDを買おうか、なんて思ってしまう。というか、かなりの数の人がおしっこを漏らしたはず…。

隠しきれない移り香が
いつかあなたにしみついた
誰かに盗られるくらいなら
あなたを殺していいですか

天城越え 詩 吉岡治


「あなたを殺してもいいですか」なのだ。最近は殺されるのは保険目的ばかりの男たちなのだけれど、そして色恋で殺されるのは女の人のほうが多いようだけれど、まあ、男の本音としてはそれほど愛されてみたいもんだよね、だろうね。という本音の隙間に筧千佐子容疑者なんてのがつけ入るのだろうけれど…。

「風の盆恋歌」の
若い日の美しい
私を抱いて欲しかった

とか
この命欲しいなら
いつでも死んでみせますわ

なんてのも凄いけれど。ああ、石川さゆり…。

「男の火祭り」坂本冬美
どう見てもこの歌はプロテストソングだろう…。放送禁止ギリギリの内容だと思うのはボクだけだろうか。
日本の男は身を粉にして働いて
山に海に生きてきた
女は嫁いで男によりそって
留守を守ってくらしてた

たぶん、麻生さんあたりがこの歌詞と同じことを発言するとすぐに「問題発言」として一部メディアが取り上げて、あるいは野党がやり玉にあげるに決まっている。だって「女は嫁いで」「男に寄りそって」そして「留守を守って」暮らすことが、日本の伝統文化なんだぞ、と言うのだから。そしてそれが「日本の伝統(れきし)を親から子へ孫へ」「つなぐ」のだから、麻生財務相の「子供を産まないのが問題だ」なんて発言よりは辛辣で深重で強烈だと思うのだけれど…。

つまり、日本の女は、嫁いで、男に寄りそって、留守を守って、生きなさい、ということで、女性が働いて社会で活躍するなんて社会を作ろうとしている安倍内閣の政策へのアンチテーゼなのだ。

「古い日記」和田アキ子
好きだったけど 愛してるとか決して、決して、云わないで
都会のすみで その日暮らしも それはそれで良かったの

古き良き昭和の香りがするなあ。「若かったあの頃 何も怖くなかった」みたいな…。昭和の刹那感というか、実は若いうちはムダな時間も必要で他人のことなんてどうでもよくて、さりげなく恋と自由に生きたほうが良いかもしれないね、Ha!

「にじいろ」綾香
「花子とアン、特別編」は良かったね。なんとなく懐かしい感じがした。何百回と聞いた「にじいろ」で、ついついもらい泣きで…。

で、吉高由里子さんの司会。
まあ、否定的な見方の人もいるのだけれど、だって女優が本業なんだからあれで良いじゃん、と思うのだ。というか、良かったと思う。やっぱり吉高由里子は魔性の女なのだ。緊張していたのか普通の女だったシーンも多かったけれど…。

と、まあ、全ての演目に対して説明したいのだけれど、夜が明けたみたいなので…。また。

2015年元旦の雪
元日から雪でしたね。
初雪やああ初雪や初雪や(笠山:)
七草
今日から仕事始めのところも多くて、やっと街は日常の風景の中にあるのだろうけれど、雨。正月を故郷で過ごした派遣社員や期間従業員の人たちにとっては、通勤バスの湿った空気や曇った窓ガラスに、きっと、昨日までの風景が思い起こされるのだろうと、思っている。今年は良いことあるかしら、なんて思ったところで、それはわが身の不幸を確認する作業だということに気がついて、ため息ひとつ。

早いもので、というか、正月なんてのは他人事で、ボクはただ昨年から続くシフトの中で生きている。スーパーで売られている「七草粥セット」に時の流れを感じた、今日。年賀状の返事も書けないまま、ボクはすでに酔いの中にあって、その向うにある過去の想い出を懐かしんでは、またため息ひとつ…。

「酒を飲め。こう悲しみの多い人生は眠るか酔うかしてすごしたほうがよかろう」(オマル・ハイヤーム)

蓬莱泉 初しぼり
タクシー「格安運賃」について考えたこと
MKタクシーが、去年4月に国が定めたタクシーの運賃、いわゆる「公定幅運賃」より10%から17%ほど安い運賃で営業していることに対して、大阪高等裁判所と福岡高等裁判所は、その安い運賃での営業を認める決定をした。

これはどういうことか、ということを少し考えてみた。

例えば、ボクたちが旅先の駅からタクシーを利用とするとする。タクシー乗り場で待機しているタクシーの運賃は同一で、どのタクシーに乗ろうと料金の差はない。それはある意味「安心」で「安全」なことだと思う。発展途上国のタクシーのように法外な値段を請求されることもなく、検査を受けたメーターによって距離と時間で正確に運賃が計算される。

「公定幅運賃」というものがあったとしても、同一営業地域内では、各社、「談合」ではなくて、「カルテル」でもなくて、「阿吽の呼吸」によって、同一賃金になっている。例えばここ東三河南部交通圏においては(中型)、初乗りが660円〜700円、距離は80円=261メートル〜246メートル、という上限と下限の中でA、B、C、D、Eという運賃が設定できるのだけれど、全社上限での同一運賃の営業を行っている。

不思議に思う人も多いのだろう。でも考えれば700円で売れるのだから700円で売ったほうが儲かるに決まっている。わざわざ安売りすることもないのだ。それに旧初乗り運賃が670円だったのだから、消費増税に合わせて700円になるほうが普通のことのようでもある。世間は軒並み増税に合わせて値上がりした。デフレ脱却の意図もあって、物価は上昇しなければならない。

地方のタクシー業界は「共有地」の意識が強いと言っても良い。ゆえに「共有地の悲劇」は避けたいとの心理が働く。共倒れこそが第一に避けなければならないことなのだ。一社だけ違うということをするには勇気がいる。出る釘社会において村八を意味する。それにそこで働く運転手も黙ってはいない。「どうしてうちだけ運賃が安いんですが」あるいは「運賃が高いんですか」とストライキに突入なんてことにならないにしても、人手不足の業界、「じゃあ、辞めて違うタクシー会社に移ります」なんてことも平気な人たちも多い。というか、職人気質の運転手「包丁一本さらしに巻いて」と、二種免許をさらしに巻いて「旅に出る」のも、業界の修行のひとつと思っているに違いない。(こいさんは待っててくれないが…)

いや、価格競争が起きると、コストという点で公共交通の経営が行われると、まず第一に従業員に負担がかかる、ということをボクたちはすでに学んできている。タクシー業界に価格破壊が起きると、派遣運転手や期間運転手が登場するようになる。既に書いたように「タク女」なんてのが登場して、パート主婦の運転手が増える。学生アルバイト運転手も出てくる。

あるいは、コスト至上主義、絞れる雑巾を更に絞って使え、なんてどこかの自動車会社のような仕組みが登場する。安全よりは利益が優先される。タクシー業界、削れるところが限られている。これまたどこかの自動車会社のように下請けを泣かせて利益を上げるということもできない。顧客を泣かせて利益を上げるということになる。

価格競争の果てには品質・安全性の劣化とリコールの増加、雇用条件の悪化が起きる。深夜営業中止なんてことをボクたちは牛丼屋戦争で、異物混入なんてことをファストフードで学んできた。不利益を被るのは常に国民なのだ。危険に身をさらされるのは常に国民なのだ。

今はMKタクシー一社が低運賃で営業しているだけだから問題は現出していない。「お客様に利益」「売上増加」なんて言っている。しかし価格競争が始まったら、上記のことが起きる。政治は時代に逆らわないで法改正を闇夜に行う。二種免許なんてものが撤廃され、業界というものが消滅し、オンデマンドにスマホでタクシーを選んで乗る時代が来るかもしれない。いやタクシーという業態が変化して、走っている車全てに有料で同乗できるシステムになることもイメイジできる。

それはそれで未来のこの国の公共交通の姿なのかもしれないけれど、それには事故が起こらない、とか、確実に目的地に着く、なんて安全が担保されなければならない。パッシブ・セーフティもアクティブ・セーフティも、まだ完全ではない。

今回の高裁の決定は「償うことができない損害を避ける緊急の必要がある」という一点で分かるのだけれど、タクシー業界に価格競争が起きることは避けなければならないと思う。一部資本家の利益のために、共有地が荒廃し、国民の安全が脅かされるのだから。そして価格競争の果てに起きることは、世界有数の安全な交通社会の崩壊ということだということを、みんな考えなければならないと思うのだけれど。
#今は運転手が被害者になる事件がほとんどだけれど、この先乗客が被害者になる事件のほうが圧倒的に多くなるってこと。例えば海外の連れ去り殺人事件のようなことが日々起きるってことも、特に女性は考えたほうが良い。

タクシー「格安運賃」、二審も認容 大阪高裁  :日本経済新聞

タクシー「格安運賃」
タクシー格安運賃認める決定 NHKニュース
ソープランドの待合室でボクたちは成人になった意味なんてのを考えていたのだ(再掲)
Tの奥さんがガンで亡くなったということをネットで知った。Tとボクは高校のときからの付き合いで、ボクの数少ない友人のひとりなのだけれど、ボクが住んでいた街を捨ててトヨタの期間従業員として愛知県に、まるで失踪したように移り住むようになってから、疎遠になってしまっている。それで奥さんの死のことも全く知らずに、一年ぐらい過ぎたある日ネットで知るなんてことになってしまった。

高校生の時にTとボクは無免許運転で隣県までオートバイでツーリングに行って、その帰りに逮捕された。一時停止違反が逮捕の原因になったのだけれど、検挙されるまでは長閑な春先のツーリングだった。捕まった瞬間に停学とか退学なんてことが頭に浮かんで、ボクたちは反省するというか、ただただうな垂れてしまって、そこで自分たちの無謀さを知った。

そしてTとは、このブログに書いたことがあるんだけれど、成人の日に一緒にソープランドに行った。同級生何人かに声をかけたのだけれど、結局ボクとTしか「行く」と手を上げなかった。ボクたちは、たぶん、もうこうなったらなにがなんでも「行ってやるもんね」と、へんな意地を出してしまって後には引けなくなっていた。

オートバイ事件はTの奥さんには話したことがあったのだけれど、結局ソープランド事件は話せずになってしまった。そんなことを話す話さないではなくて、みんなが元気だったころのことを懐かしく思っている。みんなが、というよりも、ボクにまだ人との繋がりがあった頃のことが懐かしくて、そしてTや息子たちの悲しみについて、なにも関わりあいを持てなかったことに情けなく思ったりしている。

思うのだけれど、ボクたちは人の向こうにある哀しみとか苦しみについての感受性が弱まっているんじゃないだろうか。人を表面でしか感じられなくなってしまっている。人は、苦しみや哀しみの日々の中にある、ということを忘れてしまって、さらに追い打ちをかけるように苦しめるようなことをしているんじゃないのかと、思っている。意図的ではないにしてもだ。

家族とか集団なんて意識が希薄になってしまっている。それが人の痛みに対して感受性を鈍らせている原因なのかもしれないと、ボク自身のことを振り返ってそう思うのだ。

今日、ボクは、長い闘病生活の後に亡くなったTの奥さんことを思い出している。成人式になるとTとのあの夜のことが思い出される。鶴見颪の吹く寒い成人式の夜のことを思い出している。ねえねえ、Tとさ、こんなことがあったんだよ、なんて語りかけているのだ。

(再掲)

もう昔話といったほうがいいのだろう、そんなボクの成人式。
式は正月に行なわれたんだけれど、そんな式の思い出とか、中学生の頃付き合ってた女の子の思い出とか、その頃のボクのことなんかよりも、その夜に高校の同級生Tと二人で行ったとある温泉街のソープランドの思い出のほうが、よいうよりも、成人式といえば「温泉街のソープランド」、と毎年毎年、思い出してしまう。
#「温泉街のソープランド」って「学生街の喫茶店」みたいで、ちょっとアレですね:)

ボクたちは、その夜、成人になったというなにか強力な武器を持ったような感じがしていたのだろう。それは錯覚だったのだけれど、ボクたちは、ちょっと昨日よりはカッコ良くなったように思っていたんだ。

3時間ほど車で走ったところにある、その温泉街までボクたちは昔話なんかをしていたんだけれど、実はボクもTも、なんだか胸はドキドキで、それで多分、下半身もドキドキしていたと思う。それでもはしたなく「やるぞ〜」なんてことは言わないで「ま、記念だからさあ」なんて、なんだか分からない理由を付け足していた。

その夜は、正月ということもあったのかもしれないし、成人式がその地方の多くの市町村で行なわれていたので、そういった新成人達が、たぶんボクたちと同じように「ま、記念だからさあ」なんて感じで、その温泉街にある数軒のソープランドと、何人かいる街娼と、そしてなんだか分からないお店の人と、その記念行為におよんでいたのだろうと思う。

ボクたちは、その街のそんなお店の並ぶ地域に行った。その前に似顔絵を書いてもらった。色紙に一枚1000円だった。その絵は今も実家にあるはずだ。ボクの顔は、「ま、記念だから」なんて表情を、例えば少し紅潮したものだったのだろうと思うのだけれど、その似顔絵描は、実際よりもハンサムにそしてそんなイヤラシサなんてのを背景にも写しこまないで、書いてくれた。

ボクたちは、待った。順番だから。
今考えると、それって、けっこうスゴイことだよなあ、なんて思う。
だって、数分前までは違う男の人が…なんてことなんだし、そのベットや風呂やH椅子なんてのにも、ボクの知らない男が使っていたのだから…。

待った。その間に待合室では、けっこうエロいビデオが映されていた。
薄暗い待合室、流れるエロビデオ…。

ボクたち、いや、Tはどうだかしらないから、ボクは濡れていた。
なんだか頭が痛くなった。
「ま、記念だから」なんて言いながら、ボクたちはもうすでにたっぷり4時間は発情していたのだから、限界みたいなものが、神経を圧迫していたのかもしれない。

その時、Tが立ち上がった。いきなりだったので、ボクは少し驚いた。
そしてボクの耳元で小さく「いったよ〜」。って、ビデオでかい…。Tはその処理をするためにトイレに行った。トイレから出たらすぐに「お待たせしました」と声がした。ボクたちは、どっちが先だったか忘れたけれど、ほとんど同時ぐらいに、個室へと入って行った。

Tは、ビデオでイッタ後なのに、2度もイッタと言った。
若かったあの頃…。
成人式の夜。

ボクたちは、予定通り記念を手に入れることが出来たし、それは、こうしてあれからかなりの時間が過ぎた未来になっても、思い出されるような、かなり濃い記念になってしまっている。

濡れたパンツで、Hな匂いをさせながら、Tはお姉さんになんて言ったのかは、とうとう聞けなかったのだけれど、きっとTのことだから正直に「待合室のビデオで…、すみません」なんて言って、きっと忘れられないほどのサービスを受けたのだろうと思っている。

ソープランドの待合室でボクたちは成人になった意味なんてのを考えていたのだ | トヨタ期間従業員に行こう

さよならだけの人生さ
センター試験かあ・・・
ホッチキスからワインをいただいて、それを今夜飲もうと思ったのだけれど、飲み過ぎてしまうかなあ、なんて思ったところで日本酒に燗をつけ始めた。鍋、というか、春菊と餃子とネギとエリンギの水炊きなんだけれど、それを食べながら2合ほど飲んだところで、うどん玉2袋を入れて、それが今夜の食事になった。「あっ」と声を上げたのは、その鍋の写真を撮りそこなったからだ。

ついついいつも食べ過ぎてしまう。食前酒として、そして食中酒として飲む酒が満腹虫垂を麻痺させてしまっているのだろう。今日も、こうして「あっ」と声を上げたその口から今食べたばかりのうどんが戻ってきそうになった。(キタナイ話なんだけれど)食べすぎだ。

野菜を中心とした食事をしているもんだから、こぶとりおじさんにならずにすんでいると思うのだけれど、不規則な生活と神経を麻痺させるアルコールのせいで、背中やウエストはゆっくりと脂肪を貯え、今がちょうど食べごろになっている。旬のおじさん、いかがっすか〜。

週末はセンター試験。
受験生本人たちよりも、親、特に母親は我が子のことが気がかりで眠れなかったりするのだろう。どうしてこんな寒い季節に、とっても寒い時期に、入学試験をするのだろうか、なんて思っている。

豊橋では創造大学と豊橋技術科学大学が試験会場だそうだ。これまたどうして交通の便の悪い学校でやるかなあ、なんて思っている。豊橋駅から徒歩で行けるような会場がないものかと…。

試験なんてなくなって、学びたい学校に行けるほうが正しいようにも思うのだけれど、それはそれで弊害もあるんだろうね。とにかく、この国は豊かだ。学びたければいくらでも方法がある。思った結果にならなくても、そのほうが良かったなんてことも多いのも事実だ。いや、それでも努力は大切だと思う。どれだけやったか、なんてことの試験なんだろうから。

当日が晴れて暖かくなれば良いのにね。

六条潟大橋
六条潟大橋を通って神野埠頭へ
働く意味
眠れない。

シャコバサボテンが蕾をいっぱい着けているのだけれど、この寒さで咲ききれないでいる。去年は植替えもしてやれなかったので土の状態が悪く、夏には少し根腐れも心配したのだけれど、今年も蕾をいっぱい着けた。寒いからといって暖かい部屋の中に急に取り込んだりすると、今度は落蕾する。花や木も、気温や日照時間なんてものに対してかなりデリケートなのだ。

阪神・淡路大震災から20年。

「どうしてこんな寒い時期にセンター試験なんてするんだろう」なんて前回書いたのだけれど、震災の起きた日ということに大きな意味があるように思う。「どうして大学に行くのですか?」ということ、あるいは「どうして勉強するんですか?」という学問の本質への答えがそこにあるように思う。

大学へ行くことが最終目的ではなくて、その先の職業人への前段階が大学で学ぶと言うことなのだと思う。より良く働くために学ぶということなのだ。では、働くということはどういうことなのか。

企業に雇用されて働くということは、企業の利益を上げること、ということにつきる。ほとんどの人は誰かに雇用されて働いている。ということはまず雇用主の利益をあげることが労働の目的なのだ。給料はその報酬として与えられる。企業は利益集団であって、福祉目的や奉仕目的で、あるいは宗教上の理由なんかで労働者を雇用しているわけではない。

雇用労働とは有形無形のものを生産し利益を上げることであって、社会のためとか世界のためなんてことは二の次なのだ。まずは雇用主の利益が最優先される。それが雇用されるということなのだ。雇用主の利益がなくなれば会社は倒産する。労働者は解雇される。それだけのことなのだから会社の不利益になる人を賃金を払ってまで雇用するなんてことはしない。それが会社のためであって、他の雇用労働者のためなのだから、腐ったリンゴは取除かれる。

そう、企業の利益、そのために学問が必要なのだ。技術だろうが知識だろうが、そして人間性だろうが、要するに目的は企業利益なのだ。

そして企業の利益が社会に利益になる。税金の出処は企業そのものや、そこからの生産物や、それによって支払われる賃金なのだから、企業の利益が増加すれば社会の利益も増える。かんたんな仕組みだ。なにもボランティアをすることだけが、なにも医者になることだけが、なにも何かを発明することだけが、なにも福祉関係で働くことだけが、なにも募金をすることだけが、社会貢献ではない。それらはダイレクトに人を社会を助けているということで、ボクたちはただ普通に生きて労働し消費するだけで社会貢献をしているのだ。それが国家の仕組みなのだ。

よく働き、よく利益を出し、よく消費する、ということがこの世の中を良くすることなのだ。あるいはそういう人を育てるということが、この世の中を良くすることなのだ。

そう、世の中を良くするため、社会の、世界のために、学ぶのだ。ボクたちが良い生活を目指すこと、それが結局は社会のためになるということなのだ。国が豊かになれば地震にも耐えられるインフラも整備できる。復興も早まる。これまた簡単な仕組みだ。

最近の企業は社会貢献、「産業報国」なんてことはすっかり忘れてしまって、社会のためではなくて株主ばかりを見ている。「産業報株主」になってしまっている。そして一部雇用労働者は守られ、非正規という人たちは切り捨てられ、その結果として不幸な雇用が増えている。不幸な雇用者が増えているから、国家は衰弱する。

阪神・淡路大震災から20年。ボクたちは国や企業に不信感を抱くようになった。まじめにやったら報われるとか、努力したら報われるなんてことの信じられなくなった。働くことや学ぶことの意味さえも分からなくなってしまっている。結婚することや家庭を作ることに対しても同じだ。そうして他人の痛みに不感症になって国家どころか隣人までをも切り捨ててしまっている。

勤勉こそが、人こそが、資源のないこの日本にとっての資源なのだ。だから学ぶのだ。エネルギーも食料も海外に依存しているこの日本にとって唯一の資源が人なのだ。

これから20年、もう少しまともな世の中になっていればいいと思う。そのために受験生にはたくさん勉強して学んで欲しいなあ、なんて思っているのだ。君たちがこの国の宝なのだから。(他人任せで悪いんだけれどね)

AEON 希少糖入りジンジャーエールのワイン割
結局、ホッチキスからいただいたワインを飲んだ。そのまま飲んで、ホットワインにして、それからジンジャーエール割にして、一本空けた。
つまようじ少年の豊橋
「10時45分豊橋発岐阜行きの名鉄に乗った」とテレビに流れる。放映されるということで、エスカレートしなければ良いけれど…。

そのYouTubeに投稿された名鉄電車の中からの動画は豊川放水路に架かる橋の上からのものだ。その前の動画で下五井、サンコーポラスが写っている。

特急名鉄岐阜行の電車のなかでいったい何を考えて豊橋を撮影したのだろうか。どうしてJRではなくて名鉄に乗ったのだろうか。浜松駅のプラットホームでの映像があることを考えると、浜松発9時44分発新快速大垣行で岐阜に行ける。その浜松9時44分発に乗って10時20分に豊橋駅に着いて、それから名鉄に乗り換えたのだとすれば、捜査をかく乱するためだったのだろうか。

豊橋駅で乗り換えた理由はほかにあるのだろうか。あるいは豊橋で一度改札を出て、例えば駅前のネットカフェに寄って、それから切符を買って名鉄に乗ったのだろうか。

どうしてJRではなくて名鉄だったのか、それが気になってしかたないんだが…。いや、浜松9時44分発ではなくて、豊橋止まりのJRで浜松からやってきて、そして名鉄に乗り換えたのかもしれない…。それにしても、普通ならばそのままJRだと思うんだが…。

……。今夜も眠れない……。

つまようじ少年 名鉄豊橋駅発名鉄岐阜行の電車
TBS「Nスタ」から

つまようじ少年の足取り
投稿動画が撮影されたと思われる場所
ユニクロが批判されても売れ続けるたったひとつの理由
昨年末の衆議院解散、総選挙での街頭演説で気づいたことなんだけれど、選挙関係者の多くがユニクロのダウンジャケットを着ていた。恐らくインナーもヒートテック、その着用率が高かったに違いない。それでも多くの人は、それがユニクロだとは分からなかったに違いない。なぜならば、ユニクロの製品にはロゴがないからだ。表面だけでは、それがユニクロの製品だと分からない。

だから選挙で使われた。

例えば「patagonia」「THE NORTH FACE」「モンベル」なんていうアウトドアウェア専門のメーカーのものだと、キチンとロゴが入っている。THE NORTH FACE にいたっては前にも後ろにも入っていて、中には腕の部分にもシリーズ名が刺繍されていて、「ああ、ノースだねえ」なんて誰が見ても分かる。それは製品に対する自信であるのだろうし、ブランドに対する自負だったりするのだろう。消費者もその自信や自負を信頼して購入する。

ところがユニクロの商品には、メーカーの痕跡がない。それにそれら有名ブランドにそっくりに製造されている気配がする。一見「あ、パタゴニアかな」なんて思う時もある。

だから売れる。胸に「UNIQLO」とか「U」なんて入っていたら、購入を躊躇う。躊躇うどころか「ブラック企業」なんて評価される企業の製品を選挙に使うわけがない。

そんなことを以前書いた。
ユニクロブランドというノーブランド力 | トヨタ期間従業員に行こう

同質化こそユニクロのキモだったのだ。「もしかしたらpatagoniaかも」とか「もしかしたらラコステかも」なんてところから始まった。

もし柳井CEOが自社のアイデンティティを明確に打ち出していると言うのなら、全ての商品にユニクロのロゴを付けるべきなのだ。

と5年前に書いたのだけれど、今もそう思う。そして未だにユニクロは自社製品にロゴを使用しないし、今後もしないと思う。それがユニクロ商法だからだ。

ジェネリックアパレル、なのだ。

例えば、ウルトラライト、なんて知らない人は「へ〜、さすがユニクロ、考えるねえ」なんて思っているかもしれないが、アウトドアメーカーは10年前以上も前からグラム単位ですべての装備の軽量化をすすめてきた。ウェアの生地は薄く強く、そしてストレッチ性のあるものや、防水透湿、ダウン自体に撥水性を持たせたものや、ダウンと化繊の混合繊維、ダウンにより近い化学繊維の開発を行ってきた。日進日歩、それが現在のアウトドア製品、特にアパレルの世界なのだ。

ダウン製品だけではない、ヒートテックもそうだ。フリース製品もだ。それをうまくマネしているのがユニクロなのだ。だからジェネリックアパレルと言うのだ。

それが悪いというのではなくて、同じような効果で値段が安いのだから、それはそれで良いことなのだろうと思う。決して同じ効果ではないのだけれど、細部の製法技術や裁断なんてものはかなり違うのだけれど、それは値段の違い程ではないのだ。

パタゴニアのような、ノースのような、モンベルのような、アークテリクスのような、アウトドアリサーチのような、マウンテンハードウェアのようなユニクロ。ユニクロではない、のようなもの、だから売れるのだ。

以前書いたように「虚栄心の強い国民性をうまく利用したの販売方法、それがロゴを付けない、ユニクロ戦略なのだろうと思う」のだ。

なぜユニクロは批判されても売れ続けるのか | 企業戦略 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト
なんて記事を読んだ。だからもう一度ユニクロが売れる理由について書いてみた。「アパレル業界を知り尽くした男が見た真実」なんてサブタイトルが付いているが、「アウトドアアパレルを知っている男」が、そういった美辞麗句とは別の見方で真実を書いた。

シーズン毎に新商品を開発するアウトドアアパレル業界ってのは、部品を使い回しするような自動車業界とは違って、コストなんてことよりも、自然や労働環境なんてものにまで気を配りながら、いかに長持ちし買換えしないで済む製品を作れるか、なんてことを考えながらモノつくりをしている。そういう点は真似してもらいたいと思っているんだけれど、現状は逆で、いかに買い換えてもらえるか、使い捨てられるような製品を多くの企業は造っているのだ。そして国家も使い捨てを煽る。エコカー減税や地デジなんて使い捨て政策そのものなのだ。

ということで、柳井社長よ、自社商品に自信と誇りがあるのならば、ユニクロのロゴを付けてみろ。

パタゴニア ナノパフジャケット
次回はユニクロ商品が結局は高くつく理由について、なのだ。
冷たい雨とおでん
冷たい雨が降っている。

おでんを作って、ほんとうはキミと、もぐもぐ食べたかったんだけれど、なんだかんだと忙しいふたりなので、結局は別々に食べることになってしまった。朝、目覚めると雨が降っていたので、そのまま起きるのをやめて布団の中に丸まっていたら、お昼過ぎまで眠ってしまって、なんだかもったいない休日になってしまった。それから洗濯をした。洗濯物も雨で行き場をなくしてしまって、これまた洗濯機の中で丸まっている。天気予報ではそろそろ晴れるころなんだけれど、雨は降っている。ボクは相変わらずただボンヤリと空を見ている。

まだ指先に残っている幸せの欠片の感覚と、まだ部屋の中に残っている哀しみの断片の香りが、時間や空間の隔たりを修復する。コトバという不確かなものを頼りにボクたちはあいかわらず「コイビト」で、季節が変わったところでセケンとかジョウシキとかチツジョなんてものの窪地の中で息を殺して棲息している。コトバは吐き出され、愛として咀嚼され飲みこまれ、空腹は満たされる。

空を見飽きたボクは、もぐもぐとおでんを食べている。その咀嚼音が部屋の中で反響する。その音にボクの神経は麻痺してしまっては、またもぐもぐと食べている。そうして全て平らげては部屋の静けさに驚いている。

おでん

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