トヨタ期間従業員に行こう

トヨタ自動車期間従業員であった筆者が期間工、派遣社員、非正規社員についてや雇用の問題そして1年間にわたる失業生活、その後のタクシー運転手としての日々なんかをぬるめに書いています。

生産性と公共性
仕事初めだそうだ。

とは言っても、街にはまだ除夜の鐘の余韻が残っている。冷えた空気がくるぶし辺りの厚さで地の底を這っている。学生たちがいないもんだから、その冷気は攪拌され太陽と混ざることなくお昼を過ぎた今も同じ厚さで地面を覆いつくしている。

ボクたちの仕事、タクシーが公共交通機関という公共性のあるものならば、生産性とは相反するのではないだろうか。それにサービス業というものと生産性なんてものは相いれないものではないかと考えている。

UD元年、ボクたちはなにもライドシェア対策のためにユニバーサルデザイン(UD)タクシーを導入し、まるで地デジの時のように強制的にJapan Taxiに乗り換えるのではないと思うのだ。

ボクたちの仕事は、交通弱者を救うことにある。健康で動ける人は、徒歩で、バスで、電車で、自らが運転して移動できる。歩くことができない、バス停まで行くのが難しい、電車に乗るのが危険な、免許証を返納した、そんな老人や病人や身体の不自由な人たちの移動のためにボクたちは存在するのではないのだろうか。

いつからボクたちは利益だけを追求し、生産性を貴ぶようになったのだろうか。

公共性と生産性が相いれないものだからこそ、規制で保護されていて、「総括原価方式」という方法で運賃設定されていて、そもそも損をしない仕組みになっているのではないのか。

そうしたうえで公正な1日の労働に対する公正な1日の賃金をボクたちは支払われているはずなのだ。企業が損をしない仕組みならば、ボクたちも損をしない賃金であるはずなのに、なぜか公共性は毀損され利益は弱者に還元されず、ボクたちは何年たっても貧しい。そうしてその弱者を守るための業界が、業界を守るために「ライドシェア対策の深度化する項目として『タクシーサービスのさらなる高度化策の検討』」なんてものを施策する。

利用客や弱者、ボクたちのことよりも、業界を守るために「公共」を説く。そうして「公共」という名のもとに「生産性」を追求し、公益ということを忘れ去り、業界の利益だけのために、企業の利己だけのために、哲学なき、思想なき経営を行う。

それが業界の真実だとすれば、業界こそが退場すべきではないかと、思っているんだが。

蓬莱泉 新春初しぼり
蓬莱泉 新春初しぼり2018戊戌
今年も酔って生きているということを実感する。
南相馬ひばりエフエムの閉局で考えたこと
柳美里さんがきっかけだった。

そしてボクは忘れかけていたあの東日本大震災と東京電力福島第1原発事故のことを思い出した。

南相馬ひばりFMという南相馬市の臨時災害放送局のことだ。豊橋市に住んでいるボクが、その放送局の番組を聴いている。そのことが現在の情報の在り方、というか、情報とボクたちの接し方だろうし、こうした方法こそが巨大化し分散化する情報、そうして価値へのアプローチのしかたなのだろうと思う。

ボクたちは、ふとしたきっかけで、繋がってしまう。テレビから垂れ流される巨大な宣伝からではないもう少し血の通った人の温もりのする生の声を信じるようになっている。信じるようになっている、というよりも、そのほうを重要視するようになっている。

その南相馬ひばりエフエムが閉局するそうだ。
お疲れさま...「災害FM」閉局へ 地元密着放送局に大きな転機:福島民友ニュース:福島民友新聞社 みんゆうNet

おそらく「運営には復興庁の復興交付金を活用しているが、年間約2500万円がかかる」ことにたいしての効果の問題なのだろう。その地域に住む人たちにとっては、それは重大な問題であるのだろうし、ボクが軽々に「反対」なんて言うことも出来ない問題だと思うのだけれど、テレビから垂れ流される奇妙な番組の制作費のことと比較するときにそれって安いんじゃないと思うんだけれど・・・。(必要度とか重要度なんてのは人それぞれ違うので、その価値や製作費の多寡はなんともなんだけれど、個人的には奇妙なテレビ番組を作るより、とか、モリカケ問題で使われた税金に比べると、なんて考えている)

その効果の問題に関して言えば、「臨時災害放送局」という役割よりも、現在はボクのような南相馬を知りたい人たちや、そうして何か出来ないかと願う人たち、そうして柳美里さんのファンの人たちにとっては必要なラジオ局になっていて、違った意味を、派生した意味をすでに持っている。ということを気づいているのだろうか?

ゆるキャラよりも、どこかの自治体の奇妙な宣伝動画やCMよりは効果があるのではないのかと思っている。

それに今後、放送をきっかけに移住する人たちが出てきたり、フルハウスプロジェクトが起点となって、そのプロジェクトをきっかけに移住する人も、そうして「世界一美しい場所」が多くの人の手によって創られると思う。
フルハウスプロジェクト(@odaka_fullhouse)さん | Twitter

そんな現状を考えると、放送局が閉局されることの損害や弊害は計り知れない。「臨時災害放送局」というよりも地域振興、少子高齢化、雇用問題、なんてものとすでに深くリンクしている、と思うのだ。

また効果のことを考えると、企業はこうした放送局のスポンサーになるということで社会貢献するという経営思想も必要なのではないかと、それも企業の社会的責任ではないのかと、思う。

いろいろな方法がある。実はそれもボクたちは南相馬市から学んだのだけれど・・・。




こんな情報も南相馬エフエムのTwitterで知り、そうしてタクシー運転手としてボクたちの可能性を知ることになったりするんだが。

福島 | トヨタ期間従業員に行こう

除染作業員募集 | トヨタ期間従業員に行こう
公共性もプロ意識もないタクシー業界なんてなくなれば良いんだが
積もらなかったのだけれど、豊橋市内も雪がちらほら。
最強寒波なんて恐ろしい名前にするもんだから、もうそれだけで「怖い」ってなるのが人情ってもんで・・・。

雪が積もれば機能しなくなる交通インフラなんてのがインフラと言えるのか、そしてすぐに止まってしまうJRや名鉄が公共交通って言えるのか、なんて考えているし、そもそも経営者が間抜けなもんだから、大義を忘れて収益とかコスパなんてことばかりを己の出世のために追求し、組織がいよいよ腐敗してしまっているのが、この国の公共交通の現状。オレが言うのだから間違いない。


「公共交通機関の一員」であるタクシーが「職務」どころか、その「責務」まで放棄してしまっていて、そうしてプロではない素人さんが通勤のために車を走らせている風景ってのは、この国はとうとうプロ意識とか職人気質なんて精神も失ってしまったと嘆かわしくなる。

「タクシー業界がこういう風潮」なのだ。
事故による損失(修理代やスタッドレスタイヤ装着のコスト)に関わる費用のほうが、公共の福祉よりも重要なのだ。要するに営業の自由を主張する守銭奴、もとい経営者が増えたってことだ。そもそもスタッドレスタイヤをはいていないタクシーも多い。まあ、それはそれで良いとしても、意識が低すぎる。

意識が低いのはなにも守銭奴、もとい経営者ばかりではなくて、運転手もそうで「もらい事故」もだけれど「怖いから」なんて人もいたりするのにはうんざりする。というオレもそのひとりなんだが。

まあ、もうこういった守銭奴に公共性や公共の福祉なんてことを任せるのはやめて、ボランティアスピリッツのある一般人に、そうしてクルマの運転のうまい一般ドライバーにタクシーが受け持っている部分は譲るべきかもしれない。そうライドシェアの季節なんだと、思うんだが。

タクシードライバーなんてのは、たかが二種免許(誰でも取得できる)持っている人、その程度の人たちなんだし。職務とか職責、思想なきプロフェッショナルってのは退場してもらうべきだと思うんだが、どうだろう?
問題は生き方なんだろうね
空模様がボンヤリしているもんだから、気分までボンヤリしている朝、というかもうお昼か。
そのボンヤリしている頭でキーボードを打つと手の体温が上がってゆくのがわかる。

ボクたちを取り巻く環境、タクシー業界は急激な変化を遂げようとしている。だとしても、現場で働くボクたちはその変化に気づかないでいるし、対応できないでいる。高齢化した労働力は思考停止している。未来なんて希望や夢とはかけ離れた位置にいる。これがタクシー王子が言う「自動運転に取って代わられても泣くことがない」ということ。

高齢化した労働力は自然消滅するってことだ。

労働観、ボクたちが安い給料でもやっていけるのは、公共福祉のためという労働観がほとんどのタクシー運転手に多かれ少なかれあるからだ。Japan TaxiやUDドライバーという変化をボクたちがすんなり受容できる理由もそこにある。
サービス業の根源は顧客満足、人に必要とされているという感覚、お客様の笑顔、感謝、そういった人間臭いところにいて、その対価として運賃をいただいている、そう思う。

人に必要とされる、人のため、ということが生きるためには必要なことだと思う。それを労働と繋げる。個々の労働者もだけれど、企業にも経営者にも社会貢献という思想は必要不可欠なことだ。公共交通という役目や使命を担っているタクシー業界ではなおさらのこと。

金のために動く、働く。それはなんとなく、なんとなくなんだけれど、とても卑しいように思う。その金儲けだけのために知恵を働かせる人も、なんとなく下品に思える。

いや、その利益が適正に分配され、格差や貧困の解消になれば良いのだけれど、何年たっても何が起こっても相変わらずボクたちの賃金が上がらないのはいったいどういうことなんだろうか。そうしてそれはただたんに自助努力が足りないだけなんだろうか。

そんなことをボンヤリとした頭で考えているんだけれど。

川鍋一郎会長 朝日テレビインタヴュー
確かに業界は泣くことはなく、独占化されているようだけれど。
負の連鎖 GODIVAの広告で考えたこと
確かに義理チョコはいらない。
それもいかにも身体に悪そうな糖質たっぷりの安物のチョコなんてのは、シビアに肉体管理しているボクのようなおじさんには迷惑そのもの。

とは言っても義理と人情の国「日本」には「忖度」と同じぐらい「贈与」という文化も深く根付いている。「線香ぐらいは」挨拶のかわり、なんて考える人も多い。「日本は」義理人情の文化なのだ。だからGODIVAなんて海外企業にとやかくいわれる筋合いのものでもない、と考えている。

唐獅子牡丹 | トヨタ期間従業員に行こう
チョコレートの日が間近である。 たぶんデパートの売り場は混雑していて義理という空気で窒息しそうになっているに違いない。この国では義理を欠いては窮屈だ。義理は、たぶん、人命の次に重い。健さんも歌っているように義理は重い。男の世界だけではなくて女の世界でも重いのだ。というか、女の世界にそのキーワードを持ち込んだのがチョコレートの日なのだ。OL以前は義理は男の世界だけのものだったのだし、女性が公然と異性に贈り物をするなんてはしたない行為だったのだし…。

とか
義理 | トヨタ期間従業員に行こう
義理チョコの日が終わって、職場は普段の空気の中にあるのだろうと思う。中にはこれほど「義理」が疎ましく負担に感じる日もないと思っている人も?お歳暮やお中元、誕生日お祝いや、その他もろもろ・・・、義理は「関係の倫理」の中で、このように道徳や正義や社会的規範なんて強迫観念にかれれる社会的観念なのだろうと思う。

その重圧に負けたのか、その社会観念に反旗を翻したのか、友チョコなんてもまであるらしいのが、それとて義理から派生した亜種なのだ。

とにかく義理の季節、老いも若きも義理が試される日だった。

とやかく言われなくても、ボクのようなおじさんも「日本は」おかしいと思ってきたのである。あるのだけれど、義理人情を欠くと「ムラ八分」なんてことになるのも「日本」というムラ社会の掟なのだし・・・。

「日本は」そういった文化を棄てるべきなのだろうか?

義理チョコだけではなくて、年賀状も暑中見舞いも、お歳暮もお中元も、ついでにお見舞いや、あとおやじギャグに対する義理笑い、そんな義理にまつわる一切合切の付き合いを捨てて、ボクたちはうまくやっていけるのだろうか・・・。

そういった「日本は」という日本人への問いかけをしながら、「そんな安物の義理で良いんですか」「義理という文化を尊重するんなら、もっと大切にしなさい」という、シュシャン社長の「(ブラックサンダーやチロルチョコなんて安物の義理で済ませないで)GODIVAという本物の義理を贈りましょうよ」という提案でもあるのだと、思うんだが・・・。

Godivaの広告
JR豊橋駅東口
広小路の韓国料理店で会ったのが何年前だったのか思い出しながら歩いていた。チゲ鍋かなんかを食べたのできっとこんな寒い時期だったのだろう。もう4年か5年・・・。

Sくんと久しぶりに会った。なんとなく二人とも忙しかった。
ボクたちは同じ時期にトヨタ自動車で期間従業員として田原工場で働いていた。このブログにコメントをしてくれたのがきっかけだった。もう10年ほど前になる。

ボクより二まわりほど若いSくんが自分の進む道を探し当てたことを考えると、期間工や派遣工の3年とか5年なんて時間がいかに無駄かという思いをさらに深くした。

最近は政治家や法律家、学者も、そうして経営者も、労働ということを時間と賃金でしか考えてないない。

人は賃金だけで動くわけではない。そうして仕事がキツイとか楽しいとかは時間とか肉体的負荷だけではない。そういったものをすべて含んだ環境が人を動かす。その中には社会的使命感とか責任、なによりも義理とか人情、そういった人間関係が職場には仕事には大切なのだ。

いや、お金でも時間でもいい、仕事をする喜び、そのものこそがこの日本の労働環境から失われているのだ。生産性とかコストなんてものが最優先され、その中には労働力というものさへも入っている。要するにボクたちはボクたち自身の生産性を求めて自らを鞭打ち首を絞めながら、そのうち自死を要求されながら社畜化されてゆく。社会全体が、日本が、拡大とか成長ばかりに囚われてしまっている。

ボクもだけれどSくんんも、あのまま自動車ラインでラインダンスを踊らされなくてよかったと思っている。いや、いまもなおライン作業で日本の基幹産業を担っている人たちを侮辱するつもりではなくて、時間や単価等にまつわる生産性の象徴が自動車産業ということで、人には人の生きる道ってのがあって、それは時間とか賃金という道しるべで示されるものではないということだ。

ボクは、きっと、酔ってそんな風なことを言おうかと思ったけれど、結局昔話と今話を話したり聴いたりした。それでも「労働者の会社や顧客をおもいやる気持ちに不当につけこむ経営者」についての話は今もなお耳の奥に残っている。

JR豊橋駅東口で「じゃあ、またね」とボクたちは分かれた。冷たく強い風が広小路の通りに沿って吹いていた。

生きているのは喜びなのか
生きているのは悲みなのか
どうやら僕には分らなんだが
僕は街なぞ歩いていました
春の消息 | 中原中也・全詩アーカイブ for mobile

魚とsakana
ユニチカ用地売却訴訟で考えたこと
「佐原光一市長を相手に63億円の損害賠償の請求を求めた訴訟の判決で、名古屋地裁(市原義孝裁判長)は8日、住民側の訴えを全面的に認め、市長に対してユニチカに全額を請求するよう命じる」ニュースが流れる。63億円がどれほどの量の金額なのか、ボクたちは知らない。

3557円を無銭飲食した67歳の男の記事を地方新聞で見ている。3557円がどれほどの金額なのかボクたちは知っている。

九州出身のその67歳の男にも幸せな時代があったに違いない。出稼ぎでやってきて、とうとう帰る場所もない出っ放しになってしまった。67歳の男の青春時代には紡績産業で愛知県は賑わっていた。集団就職で全国から家族のためになかば売られるようにやってきた人たち。

紡績が下火になったら今度は自動車工場に期間工や派遣社員で若者たちがやってきて、使い捨てられた。

ボクたちは出っ放しになって戻る家をなくしてしまった。それは自己責任かもしれない。それは自助努力が足りなかったかもしれない。それでもそういう人たち、ボクたちのおかげで紡績産業も自動車産業も、そうして豊橋市の経済が豊かになったのではないのか。そしてその街で、今の世の中で無銭飲食をしなければならない人がいるということは、いったいどうゆうことなんだろうか。

63億円というお金が簡単に使われ、67歳の男が3557円の無銭飲食をする。

これが格差の姿なのだろうか。企業や市は、出稼ぎ労働者を、期間工や派遣社員を安く使い、肥え太ったのではないのか。

寒風吹き荒ぶ街に相変わらずボクたちはある。

豊橋漂流(3) | トヨタ期間従業員に行こう

無銭飲食

<名古屋地裁>住民、豊橋市に勝訴 ユニチカ用地売却訴訟 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース
豊橋父親死体遺棄事件で考えたこと
ハンマーで殴り殺し、ノコギリで切断し、クルマで運び、ボートに載せ、重しを肉片に括り、海へ捨てる。

犯罪史上稀にみる残虐な親殺し。この豊橋での出来事だ。

金属バットの距離、1980年に起きた神奈川金属バット両親殺害事件、その頃までは親と殺しの距離はバットの長さを必要としていた。倫理観とか道徳観とか死生観なんて正しさから逸脱できるには、せめてその80センチほどを必要としていた。壊れた心が80センチの距離を超えたとしてナイフで刺す、とか、紐で絞める、とか、直接的な接触はなかった。それほど死は禁忌されるものであり、親は敬虔な存在だった。

それは文化であり、それを教育とか躾という風土が育み重厚に構築してきた。

そうしていつの間にかこの国の殺人事件の5割強が「親族殺し」になってしまった。殺人事件は80センチの関係性の中でおきるようになってしまった。親は簡単に子を殺し、子もまた躊躇なく親を殺す時代になってしまった。

高度成長期が終わって、例えば1980年という時代から、ボクたちはムラ社会を離れ個の社会を好むようになり、親族の関係が以前よりも深く重く濃いものになった。そうして中心はムラや国という広い空間や時間を離れ、家族という単位にかわった。わずか30坪ほどの世界観、その狭い空間の中での他者との関係性。ボクたちはその中で存在する。ボクたちの存在を脅かすものも、否定するものも、攻撃するものも、その中にいる。その中にしか見いだせなくなる。近親相姦と近親殺人、親殺しと子殺し、すべては自己のために、自己の生存のために行われる。それが動物本来の姿なのかもしれない。

そうしていよいよボクたちは超個人社会の住人となって、今度はもっと身近なネットの中に家族を求め殺そうとするのだろうと、考えているのだけれど。

田原市 姫島
田原市 姫島

60代父親の遺体を三河湾に沈めて遺棄 息子逮捕 一昨年から行方不明 愛知・豊橋市 (東海テレビ) - Yahoo!ニュース

いまや殺人事件の5割超 「親族殺し」なぜ増加している?|社会|ニュース|日刊ゲンダイDIGITAL

神奈川金属バット両親殺害事件 - Wikipedia
明眸志野にごり酒
「普通に開栓すると絶対に噴くのでご注意下さい」という注意書きに、開けるのが面倒くさくて冷蔵庫に一か月・・・。

階段を下りてアパートの駐車場で開栓した。少し開けては閉め、また少し開けてあ閉め・・・、思ったほどの噴き上がりがなかったのは、時間経過による炭酸抜けだったのか。美味しいものは最後に食べる、そんな性格が災いしたかと、少し反省。

こいつは美味え〜。

変化のない暮らしも少しの贅沢で豊かになる、のかもしれないと、納得しながら飲む。ピカソの「貧しき食事」を想像しながら少し微笑んだりする。

向山公園の梅は咲いたか。公園で飲めばよかったか。天気は良いんだが、外は寒そうなので布団にくるまってまだ飲んでいたりする。故郷のキラキラした海が目の前に広がる。もう帰ることもないかと思ってはいるものの、こうしていると懐かしくもなる。想像や想い出を相手に飲むことにも慣れて、そんな暮らしも贅沢なことかと思って微笑んでは「こいつは美味え〜」と独り言。

さてと洗濯するか。風は乾いているようだし。

明眸志野にごり酒
明眸 志野
Les Abeilles chocolat
バレンタインデーは、多くのパティシエやメーカーがチョコレートの魅力を発表できる日として、そして芸術と食文化の関わり合いを考えるために必要なんだろうなあ、なんてことを今日思った。一粒の芸術、一粒の宇宙、なんてものを感じたりもする。もっと言えばボクたち日本人が忘れてしまったワビサビなんてことも。

Les Abeillesのチョコレート来たよ。

で、まあ、悪い癖なんだけれど、取りあえずネットで調べて……。
驚く。

「一粒500円かあ〜。宝石箱そのものや〜」

なんて誰かの食レポみたいなことをつぶやく。

まあ、こんなチョコレートを食べることが出来るのもバレンタインデーのおかげか、ボクの人間性か:)

と、値段を知ったところで、一日一粒と決めていただくことにした。

ありがとうございました。でもおじさんにはチョコレート効果のような血圧に効くやつが良いかもしれんな……。すまんすまん。

Les Abeilles chocolat ハチミツ通販〜フランス産高品質ハチミツの【LesAbeilles(レザベイユ・ジャポン)】〜
「パリの南東13区<Butte aux cailles:ビュット・オ・カイユ>という丘にハチミツ専門店:レザベイユはあります」

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