トヨタ期間従業員に行こう

トヨタ自動車期間従業員であった筆者が期間工、派遣社員、非正規社員についてや雇用の問題そして1年間にわたる失業生活、その後のタクシー運転手としての日々なんかをぬるめに書いています。

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期間工物語(5)
金曜日の夜だったのだけれど、ボクが住むことになった10階の部屋には、週末であるという浮かれた空気はなくて、ふすまから漏れるテレビの音が床を這って入り口の鉄扉へ向かっていた。

Mさんと少ししてから共同部分で会った。その時、Mさんは不思議なことを言ったんだ。「私、出身は韓国なんです」とボクには聞えたのだけれど、それがどういう意味なのかは、そのときには分からなかったんだ。「そうなんですか」とだけ、ボクは答えたように思う。「名前読めないでしょ?」と名札を指差して言うMさんのその指の方向にある名前を、確かにボクは読めなかった。もうそれ以上聞くのは、ボクにはとても疲れる作業のように思えたし、それは何かいけないことのような感じもしたんだ。

トヨタ自動車の大きな雇用力というものは、初回40歳、経験者だと59歳まで雇うという年齢の壁がない/低いことだと思う。(その後初回49歳になりましたが)それとは別に、例えば応募するのに必要なものといえば履歴書一枚だけで、その過去になにがあったとかということはほとんど問題にならないし、現在においても履歴書を調べているのかということさへも疑問に思うぐらい、簡単に入社できるということ、すなわちほとんど壁がない/低いということなんだと思う。

よく言われることなんだけれど、身元保証人がひとりいれば、それも確認の電話とかもないから身元保証人の名前と印鑑さえあれば入社できるので、「驚くような経歴の人がいる」そうだ。確かに応募する本人さへも雇用保険被保険者証と年金手帳だけが本人を確認する方法だけのものだから、それさへ手に入れれば、たとえ本人でなくても入社できるのではないかと思う時がある。

いろいろな人がいるということは、何もそんなことを考えなくても、あの田中和風寮やボクたちが現在住んでいるトヨタ自動車の寮を考えれば、「確かに、いろいろいるよ」と納得いくと思う。刺青が有る人は面接で落とされるのだけれど、せいぜいそれぐらいがふるい分けしかなくて、そしてそれがトヨタの何かを守るための必須条件なのかと考えると、その何かとは、やはり作業中や寮生活の秩序なのかと思っているんだ。

要するに、ボクは、トヨタが求めるのは、ごく普通の人たちで、その人たちには極力感情を抑えて仕事なり寮生活を送ってもらいたいのではないかと考えている。たとえば任侠道を歩き続ける男気のある人だと、CLやGLと切った張ったになるようなことだってあるだろうし、配属組で「組」を作らないとも言えないだろうから、歩くとしたら「トヨタ道」をまっしぐらという人のほうが好ましいのだろうと、思っている。

あの田中和風寮の部屋も、ごく普通の人たちが住んでいて、そして表向きには感情を抑えて暮らしていた。Mさんがネイティブなコリアンだったとしても、それは特に問題にならなかったし、それどころか後輩であるボクやTさんには頼りになる人だったんだ。

その年、2004年には「冬のソナタ」がテレビ放映されていた。Mさんは毎日欠かさず見ているようだった。あの音楽と韓国語の台詞がフスマ越しに聞えてきていた。それはMさんの二直の時の日課で、そして番組が終わると必ず家に電話していた。Mさんの家は関西のほうで、そこには奥さんと2人の子供がいるということだった。

電話はまず奥さんと話して、そして最後は子供たちと替わって、ただ「うん、そうなんだ、そうそう」なんて言葉の繰り返しで、受話器の向こうから聞える我が子の成長をただ思い出しているようでもあった。そして最後はいつも泣いていた。

Mさんの悲しみは、きっと、その韓国語のドラマを見た後にわが子と話すということにおいて、自分たちの運命なんてものを、少しだけ思っていたのかもしれない、とボクは考えていた。「今度帰るからね」といつも言っていた。それほど遠い距離でもない家族の間が、多分Mさんには永遠のように感じられたのかもしれない。鼻をすする音が聞えていた。

ボクの2直の朝は、いつも冬ソナのあの歌と、そしてMさんの泣き声で始まっていた。フスマ一枚隔てた向こうから聞えていた。ボクはいつももらい泣きしていたし、それはTさんも同じだったに違いないと思う。ボクたちは何かと別れを告げて田中和風寮に住んでいたし、トヨタに来ていた。それがトヨタに出稼ぎに来るということだった。

あの11階建ての巨大な寮の中には、どれだけの喜びや悲しみが詰まっていたのだろうか。喜びよりも悲しみのほうが圧倒的に多くて、伝説の寮なんて言われているのだけれど、実は悲しみの寮で、フスマ一枚で仕切られているだけなので、男たちは声を押し殺してむせび泣くことしか出来ない。それがさらに悲しみを深重なものへとしてしまうのだろうと、ボクは、あの頃思っていた。

今でもあの頃のMさんの、表現できないような声を憶えていて、冬ソナの音楽が聞えてくると、あの頃のボクたちの朝を思い出して、やっぱり胸が苦しくなって、泣けてくるのだ。

田中和風寮
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