トヨタ期間従業員に行こう

トヨタ自動車期間従業員であった筆者が期間工、派遣社員、非正規社員についてや雇用の問題そして1年間にわたる失業生活、その後のタクシー運転手としての日々なんかをぬるめに書いています。

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期間工物語(10)
時はゆっくり流れた、あるいは慌しく流れた、というのは小説や唄のなかでの描写手法でしかないように感じる。時間はなんとなく流れた。時間の速度は自分の行動の速度によって決まる。エンドレスの内省を繰り返すTさんにとって、時間もまたエンドレスの、例えばゼンマイ仕掛けのようなものだった。

母親は冬の終わり頃から神社に行くのが日課になっていた。百度石と拝殿の間を何度も行き来した。彼女もまたゼンマイ仕掛けのようでもあった。そのことをTさんは知っているようでもあった。

「どうするつもりなの」
と母親は桜が終わった頃聞いた。Tさんは「う〜ん」と下を向くだけだった。「慌てなくてもいいけど、たまには外に出たほうが…」と続けた。おとなしい子供であった。そして真面目だった。友人と呼べる同級生はいなかったし、中高校と休み時間は机に座って、教科書を見つめているような子供だった。ひとりだったのだけれど、自意識での嫌悪感や罪悪感はなかった。そうすることが好きな風であった。あるいはその場に居合わせたとしたら「愚鈍さ」みたいなものをTさんに感じたかもしれない。そんな子供だった。

学校は楽しいところではなかったけれど、そして多少の居心地の悪さを感じたとしても、不登校になるということはなかった。授業を受けてさえいれば時間は過ぎた。その間の休憩やお昼休みが、学校と言う集団のいびつな部分が現出する時間なのだ。そこさえクリアすれば、無口であろうとなにも問題はないはずだった。Tさんはいつも思っていた「休み時間なんてなければいいのに…」。1日のうちの1時間と少しの間だけが、窮屈だった。

そういったこともあってか勉強は出来るほうだった。そして地元の国立大学に進学した。そこでもうまくコミュニケーションすることが出来ずに、やはり友人と呼べる仲間も作ることなく卒業した。もう無口であるということは、Tさんの中では普通のことになっていて、例えば隣の席の人とは朝の挨拶と帰りの挨拶ぐらいしかしないとしても、気にならないほどになっていた。普通ならば考え込んでしまうと思うのだけれど、Tさんに中では上手に消化されていて、そして自己免疫機能さえ身につけているようでもあった。

家庭でもそうだった。母親とふたりっきりになってからは、いつまでも通夜のようであった。それでも、学校に行ってそして成績もそこそこであったし、休むこともなかったので母親はそんなもんだろうと思っていた。父親がいたならば、少しはその異変に少しは気が付いていたのかもしれないのだろうけれど…。

「何か買ってきて欲しいものはある?」と母親が聞いた。Tさんは欲しい物はあったのだけれど、母親には分からないだろうと思ったし、いつものようにネットショッピングを利用しようと思った。そして「ないよ」と言った。そう言っても母親は下着や洋服をたまに買ってきては渡していた。

いろいろな欲が無くなっていることも母親には恐怖だった。食べたいものも「ないよ」というのがいつもだった。37歳の男にどう接すれば良いのか、母親には難しいことだった。それまで何もなく過ぎていたので、親子の関係までも「愚鈍」になってしまっていた。

ゴールデンウィークが終わり、気温も上がる頃、母親の百度詣りの効果があったのか、少しTさんに変化が現れていた。いや、そういう母親の姿を見て、自分の責任を考え始めていたのだった。変化の兆しはあったとしても、時間はゼンマイ仕掛けのように流れていた。

夏空にコスモス
これ本にしたら面白いんじゃないですか?
TAKA | 2009/08/17 00:27
TAKAさん、こんにちは。
ありがとうございます。
本にできるほまで書けるかどうかがまず問題なんですけれど…。

ま、出来たとして、面白いかどうか…。

えめて「Tさん編」は終わらせたいのですけれど…。
田原笠山 | 2009/08/17 13:20
今まで謎が多かった「Tさん」・・・
とても楽しく、そしてちょっと悲しくおもいながら見させてもらってます

これからどうなるんだろう?
gomapapa | 2009/08/17 15:31
gomapapaさん、こんばんは。
お久しぶりです。

J37買われたんですね。羨ましいなあ。車って、やっぱりそういう愛情というのは必要ですよね。最近は、使い捨てみたいなもんですからね。なんとか替えとか言って。

ありがとうございます。
少し忙しくなるので、書き進めるか心配ですが、ゆっくりでも書いていこうと思っています。

ま、ボクがこのブログは始めた原点ですから。
田原笠山 | 2009/08/17 19:28
古い記事にコメント失礼します。
つい最近このシリーズ(?)を読んだのですが、これ、続きは書かれないのでしょうか?
私も「真面目な人」と言われることが多かったので、Tさんと自分が微妙に重なって、切ないです……。
もし続きがあるなら、読んでみたいです。

私も半分死んでいるような人間ですが、田原笠山さんが生きていてくれたら嬉しいなあ、と思っています。
こうして田原笠山さんのブログを読めるのは、私にとって嬉しいことです。
月ノヒカリ | 2009/12/16 23:31
月ノヒカリさん、こんばんは。

続きを書きたいのですが、どうも最近は・・・。
ブログを始めたきっかけは、Tさんのことを書こうとからなんですけれど・・・。

あの頃のボクもほとんど病んでいて、というよりも、多くの期間従業員は病んでいて・・・。

そしてなにかが憑いていたとしか思えない、あの頃の寮だったり、ボクたちだったり、なんて思っているのですが。

ボクは半分以上死んでますよ。
というか、生きている理由もほとんどないのですが…。楽しみや欲もないですしね。ただ、もう一度四国へ行きたいということだけが、生命維持装置のような・・・。

ありがとうございます。
田原笠山 | 2009/12/22 18:58
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