トヨタ期間従業員に行こう

トヨタ自動車期間従業員であった筆者が期間工、派遣社員、非正規社員についてや雇用の問題そして1年間にわたる失業生活、その後のタクシー運転手としての日々なんかをぬるめに書いています。

森、道、市場2019 解禁しろ!
ラグーナという島でのイベントなので、森とか道とかが似合わなくて、なんとなく海、海岸、市場、かもなあ、って思っちゃうね。
三ヶ根山のロープウェイ駅跡地で開催されたいた頃はそのほうが似合っていたのだろうけれど・・・森だしね、道だしね。

もう恒例となった森道市場なんだけれど、「メ〜テレ MUSIC WAVE 2019 〜踊るラグーナビーチ〜」の日程上なのか去年より2週間遅れの開催で・・・雨が降らなくて良かった。それに6月1日は豊橋でのUNICORNのライブとも重なってなのか、ボクたちには微妙なイベントになってしまったような・・・雨が降らなくてほんとうに良かったね。
メ〜テレ MUSIC WAVE 2019 〜踊るラグーナビーチ〜
UNICORN.JP
森、道、市場 2019 |

相変わらずラグーナ島へのアクセスの悪さと言ったら、シャトルバスを蒲郡駅からだけではなくて大塚駅から運行したとしても、JRが快速列車(新快、特快含む)を三河大塚駅に臨時停車させたとしても、その不便さも含めて「森、道」なんだろうと思ったり、地元住民としてはこのイベントのために生活の足に不自由が生じたりする不満も生じたり・・・本当に雨が降らなくて良かった。

「森の生活」には不便さが付きものだ・・・とソローも書いてるってこと知ってるよね?

もう、ほんとうにもう、どうせならラグーナ島は特区にしてライドシェアだろうが、マリファナだろうが、解禁したほうが良いんじゃないかと思ったりする。大塚駅から自動運転でラグナシアまで運行するなんてことも考えたほうが良い。変なホテルのロボットが自動案内するようにね。モノレールでも、グリーンスローモビリティでも、モビリティ特区、モビリティ先進地域にしたらどうだろうか、なんて誰も考えないのかと思ったりするんだが・・・。

JR+His+リゾートトラスト+蒲郡市 で、Maasってことでもいいし、どうせ出来ないんなら解禁しかないと思うんだが・・・。なんならボクがやってもいいんだが?

ほんとうに雨が降らなくて良かったね。

森道市場2018年
森、道、市場で夕暮れの街切り取ってピンクの呪文かける・・・ | トヨタ期間従業員に行こう
川崎殺傷事件と年金問題
ひきこもる中高年とそれを扶養する高齢の親。死ぬに死ねない親、死にたい子、死を隠して年金を不正受給する子、そんな家族の風景、増え続けるパラサイトシングル。

川崎殺傷事件の犯人も中高年のひきこもりだった。彼が悲観し絶望したのは親(養親)の老後と死別だったのではないか?

ひきこもってしまった中高年が、そこから抜け出すことは難しいのだろうと思う。例えば51歳、岩崎容疑者にとっては抜け出す手がかりさえなかったのだろうと思う。

そして老いゆく親、老後(それは年金というパラサイトしている正体なのだけれど)に悲観し絶望し、少しの希望だった自らの年金も支給年連を引き上げられ遠のいてしまっては、絶望は圧倒的な力をもって彼を押しつぶそうとしたに違いない。

生きるということは簡単だ。少しのお金、親子3人が暮らせる年金ほどのお金。それさえあれば、誰に咎められることなく、自らを否定し鬱屈した闇の中の住人になることもない。

働くということが責任であり社会と繋がるという本質を見失ってしまっているボクたちにとって、生きることはお金で物を買うという単純消費なのだ。

脱出することが出来ない暗闇に届くのは、春の暖かい空気に混ざり合った楽し気な声。絶望ではなく希望の声、悲しみではなく楽しい声、それが暗闇の住人を苦しめる。それこそが暗闇を否定する正体、だったに違いない。

光と闇がある限り、そしてそのコントラストが強ければ強いほど、闇の住人の孤独感や疎外感は増大し、彼らの反対側にいる光に対して憎悪は増す。テロは、犯罪は、狂暴化し変態化する。

年金受給年齢を引き上げて誰が幸せになるのだろうか。

引き下げて50歳からでも受給できる仕組みのほうが安全に安心して暮らせる。あるいはベーシックインカムでも良い。消費し生産し納税する、資本主義の成長しなければならない宿痾からボクたちは解放されなければ、きっとまた悲しみの事件は繰り返される。

きっとまた繰り返される。

“高齢化”するひきこもり | トヨタ期間従業員に行こう
“高齢化”するひきこもり(2) | トヨタ期間従業員に行こう
“高齢化”するひきこもり(3) | トヨタ期間従業員に行こう
“高齢化”するひきこもり(4) | トヨタ期間従業員に行こう

越後鶴亀 山廃純米吟醸原酒
仕事中でも煙草を吸えます
喫煙者の生産性損失時間は年130時間にも達するそうだ。
米研究機関の調査では、喫煙者は体調への悪影響などから通常通り仕事をこなせなかったり、欠勤したりすることによる「生産性損失時間」が年に130時間に達すると試算する。
仕事中は全面禁煙 企業に広がり、味の素など開始へ  :日本経済新聞
日本経済新聞5月23日
煙草休憩が当たり前だった昔、職場内でも通勤電車でも歩道でもテレビの向こうでも喫煙は当たり前の風景だった。その煙草休憩は休憩時間の内には入らなかった頃だと、生産性損失時間は1日30分〜60分、年間120時間〜240時間、体調への悪影響からではなく、喫煙による実質の休憩時間がそれだけあった。

今でも、煙草は休憩時間とは別、なんて企業もあるはずだし、タバココミュニケーションなんてことを信じている人も多いはずだ。確かに喫煙所でのタバココミュニケーション良い面もあって、損失ばかりではないのだろうが、最近はコミュニケーションというよりは、中毒症状が出てひたすらスースーハーハーしている人のほうが多いかもしれない。

社員喫煙を減らす取り組み

「就業中の喫煙を禁止」「喫煙者は採用しない」、各社禁煙の取り組みを実施、計画しているようだけれど、今度は禁煙によるストレスで「生産性損失時間」が増加するのではないだろうか?「もう我慢できないんで、退職する」とか、今流行りの大麻やコカインを吸引ではなくて、ドリンクとして飲んだりする人が増えたりしないのだろうか?

「煙草はカッコ悪いけれど、ハッシッシなんてカッコよくね?」「味の素ガンジャジュース」なんて発売されたり?

さてさて、そんな話よりも、そんなに我慢しなくて、そんなに窮屈な思いをしなくても、「煙草吸えます」なんてことが求人案内の特集になったり、ハロワの求職票の項目になったり、企業のウリになったりする日がやっと来たと思っている。

タクシー業界なんてのは、車内で吸わなければ、いつでもどこでもどれだけでも吸える。喫煙者にとっては夢の職場なのだ。車内で焼酎のトマトジュース割りを飲んで事故を起こすこともできるほど、煙草だけではなくて酒好きの人にも天国のような環境だ。たぶん、中にはクスリをやってる人もいるはず・・・そんな夢の職場なのだ。

来たれ!中毒患者!自由人! 勤務時間はあなたの中毒度で決めてください。会社の車庫を出ればもう夢の中です。あとはあなた次第で酒も煙草もクスリもやり放題です。

なんてキャッチで求人募集をするタクシー会社が出てくるに決まっている。なんたって労働集約産業だからね。質より量だからね ;P

酒を飲め、こう悲しみの多い人生は、眠るか酔うかして過ごしたほうが良かろう オマルハイヤーム「ルバイヤート」

さてとクスリ飲んで寝るか。胃薬だけれどね。
歩合給が業界をダメにするたったひとつの理由
労働集約型産業(タクシー産業のような)では、企業の利益や成長や生産性を、労働者の数や労働力の優劣など、多くを労働力(それも労働者個人の責任)にすり替えることが多い。そして下手な鉄砲も数撃てば当たる的な人海戦術で成長をしてきた。

最近やっと生産性なんてものを重要視するようになった理由も、その鉄砲の数である労働者不足が深刻化しているだけことだ。売上=労働力なのだから。

タクシー運転手の平均賃金が全産業労働者の62%しかないとしても、大雑把に言えば、そして語弊があるかもしれないが、企業の利益率とは関係ない話。経費の大部分が人件費であるのだから、賃金の減少はそのまま経費の減少になる、ただそれだけのことなのだ。

本当は、というか、まっとうな経営者であれば、単純な歩合給ではなくて、パフォーマンス(もちろんクオリティも)で賃金を決める。そうして賃金思想を持ち合わせていて、従業員の頭数だけを数えるなんてことはしないで、従業員個々人の生活まで踏み込んで賃金を考えるに決まっている。だって企業は人なのだから。

そうすることによってさらに従業員個々人のパフォーマンスが向上し、企業全体の生産性や品質も向上する。あるいはとんでも社員の退場を促すことにもなる。

タクシー業界が100年間ほとんど同じような仕組みと状況で、いや駕籠かきの時代とほぼ同じである理由は、その駕籠かき時代と同じような歩合給をいつまでも目先の利益だけで続けているからなのだ。

思想なき企業に成長なし、そう思う。業界自体が退場して、新しいプレイヤーたちがタクシーというものをリードしないと、いつまでもボクたちは労働力という鉄砲玉だけで終わってしまい、ライフワークバランスやクオリティオブライフなんてことことは疎遠な人生を強いられるに決まっているのだ。

菊水 純米酒
鰯食ふ大いに皿をよごしては  八木林之助
上級国民について考えたこと
日本人の自動車に対する観念は、諸外国のそれとは少し違うのではないかと考えている。三種の神器のひとつに数えられた時期があったり、フロントグリルに注連縄を飾っていたことを考えると、道具ではなくて人格化され、あるいは神格化されてきたように思う。現在も新車を買ったら神社でお祓いする人も多い。

自動車だけではなくて、道具や物という考え方を超えている物も多い。

自動車とは尊いもので、それを運転するにはそれなりの人格も必要とされる、という深層心理が日本人の精神の奥底にあるのではないかと思っている。自動車が神器だった世代の人たちにとってはステイタスシンボルという薄いものではなくて、自動車を運転すること、所有することは、身分制度での武士の刀のようなものに感じているのかもしれない。

だからいくつになっても免許を手放せない。三種の神器で、武士の刀なのだから、やすやすと手放せない。道具として必要なくなったとしても、身分制度の象徴的な存在、三種の神器なのだから、それを捨て去るということは恐れ多いこと、神罰が下る、祟りが末代まである、なんてその潜在意識の中にあるに違いない。

免許証制度も同じで、だいたい世の中の免許は、例えば免許皆伝、師範、大師範、というふうに位が高くなり、名誉師範なんて人生の終わりに授けたりすることのほうが多い。そしてそれはあの世まで持っていくものなのだ。草月流の師範が年齢を理由に免許証を返納しているか?池坊の大師範もだ。都山流の竹林軒大師範だって技術よりは貢献度みたいなもので・・・。

高齢者の事故のニュースを見るたびに、18歳からなんて年齢制限があるのなら80歳までという年齢制限もあっていいのではないかと思う。お茶屋お花とは違うのだから。

免許証制度だけではなくて、乗るのなら古い車を乗り続けるなんてことも止めていただき、最新のシステムを装備している自動車に乗るように義務化するようにしないと、どうも「もう人生最後の車だから」なんて自動ブレーキも装備されていない10年も前の車を大切に乗っている人も多い。なんせ道具じゃなくて神器だから簡単に捨てられない。

またタクシーをはじめ交通インフラの整備と自家用車がなくても不自由のない街づくり、脱自家用車社会を目指すべきなんじゃないかと、あらためて思う。公共交通だけでは供給不足だって分かり切っているんだから、もっと自家用有償運送を、もっとUberを、もっとCREWを、なんて思っている。

政府は自家用車を所有してもらえば税金が入ってきて、車検に保険なんて消費も生まれるけれど、返納されて公共交通依存されると、税金を使わなければならなくなるから、上級だろうが下級だろうが、いつまでの元気で働いて消費してくれってことなんだろう。

まあ、いつものことで、経済優先主義の病理でありジレンマで、国民の生命より自動車産業のほうが大切で、「何人死んだんですか?」なんて上級国民である経営者も官僚も政治家も思っているに違いない。

DiDiモビリティジャパン
DiDiで今までにない移動体験を | DiDiモビリティジャパン株式会社
母の日のプレゼントで考えたこと
盆も正月もゴールデンウィークも、それに自分の誕生日も、まして人の誕生日なんてものも関係ない人生を送っているのだけれど、唯一母の日だけは気になってしまい、毎年悩んでしまう。

カーネーションの鉢植は贈らないほうがいい。そんな話をGさんとした。「夏になって根腐れして枯らしてしまう」そうなると、もらった母親は罪悪感に苛まれる。捨てるに捨てられない贈り物は、そのうち庭の片隅に置かれる。土と鉢と燃やすごみに分別するもの面倒で、庭の隅の隅に追いやられる。

送り主である子どもが帰省して、その見覚えのある粗大ごみを発見して、なんだか気まずい思いをする。

なんてことになるに決まっている。枯れた後に片づけたとしても、その感覚は、例えば「楢山節考」の息子・辰平の背中の感覚に違いない。

「今さらカーネーションの生花をもらっても・・・」。確かに「今さら」感があるに決まっている。花を贈るのならば、毎年違った花のほうが、ボクならうれしい。「今年は薔薇の花束だったね」とかとか・・・。

母親が高齢になればなるほど、壊れない物は、今度はその日に「遺品」として残ってしまう。それを想像してしまったりもすると、哀しくもなる。処分する時に哀しみが増幅されてしまう。

そうなると、毎年消化されてしまうもののほうが良いと思う。食事、旅行・・・。食べ物、飲み物・・・。

まあ、実のところは、「なんでもうれしい」なんて言いながら、「なんても良いんだけれど、面倒くさいものは嫌だからね」なんて母親たちは思っていたりするのかもしれない。そしてその「面倒くさいもの」が「鉢植え」だったりする、そう思う。

じゃあ、今度の父の日、ボクが父親だったら・・・「面倒くさいから現金で、それも万券でね」と言うに決まっている。「食べ物なら、保存が効く米とか。まあ、こっちで勝手に買うから商品券で良いよ」と言うに決まっている。

そう思うのも、今年もまたけっこう考えてしまったからで、面倒くさいと思っているのは、贈る息子/娘だったりすのかもしれないと、ふと気づいてしまって、やっぱりダメ息子だとまた反省する、今年も反省の日だったりするのだ。

延命地蔵尊 母の日に
当サイトでは第三者配信(Google)によるcookie を使用しての広告を配信しています。詳しくはプライバシー ポリシーをご覧ください。
<< | >>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      


blogpeopleロゴ
にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 豊橋情報へ

follow us in feedly


9月分
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...