トヨタ期間従業員に行こう

トヨタ自動車期間従業員であった筆者が期間工、派遣社員、非正規社員についてや雇用の問題そして1年間にわたる失業生活、その後のタクシー運転手としての日々なんかをぬるめに書いています。

メタボ検診、ガソリン価格値下げ、そして新年度だね
メタボ検診が始まるそうだね。
ウエストサイズが男性は85センチ、女性は90センチ以上とかなんだそうだけれど、職場健診に、腹囲測定が義務づけられることになるのだろうね。確かトヨタは法令で定めらる40歳以上という年齢よりも5歳下の35歳から腹囲測定などのメタボ検診を行なうということなんだけれど。

太る体質とか、太らない体質なんてのもあって、ボクの1.5〜2倍のカロリー、量を食べてもまったく太らないで痩せている人もいるし、そんなに食べてないのに太っている人もいて、その太る太らないってことが問題の人もいたりするのだろうし。

女性のほうを大きめに設定しているのは、なんでも世界的に見て珍しいことらしくて、きっと看護師協会とか栄養師協会とかの圧力があったのではないかと、少し前まみたんと話したりしたのだけれど、きっとメタボの人がメタボの指導できないので…ゴニョゴニョ…。

ガソリンは、車もバイクも乗っていないし、ボイラーを使っての給湯システムでもないしストーブも使ってないので、直接には関係なののだけれど、ガソリンや自動車に限らず、煙草や酒なんてのにかかっている税金ってのは、どうも分かりにくいね。

なんて考えている3月31日なんだけれど、桜も見頃、花冷えのする1日だったね。

昨日30日のいちにち。もう半分忘れかかっているのだけれど。
えっと、

09:40 起床 コーヒーを飲んで
10:00 「サンデージャポン」を見ながらゴロゴロ、メールチェックとかネットとか。
11:30 ブランチ(塩パスタ、ま、パスタの塩味、てか、ちょっと塩を多めに入れたお湯でパスタをゆでる、そんだけ。で、これについて質問されたので、ちょっと書くと、塩パスタって結構美味しいから。普通にゆでて醤油だけとか、ケッチャップだけとか。ま、パスタはDe Ceccoだけれど…。)
12:00 「あっこでおまかせ」とか「たかじんのそこまで言って委員会」を見て、ゴロゴロ。
17:30 水汲みと買物(卵が切れていたので。ついでに冷凍のサトイモ、チンゲン菜、ギョウザ)
18:30 夕食準備、夕食(タマネギ、ジャガイモ、チンゲン菜、サトイモ、ギョウザ、豆腐、卵入り味噌汁。ご飯は3合炊いてそれを5つに分けて冷凍しているのをひとつ。食後はラクチュロース入りヨーグルト)
19:30 NHKの動物ものを見て、そんで「篤姫」
21:00 ブログを書いたり・・・
22:00 ゴロゴロ
23:00 風呂
24:30 寝ようとして
25:00 寝た

食って寝てだね。



それでも信じるものは救われる
このリスク社会における生存競争において有利な位置を占めているのは、僕たちの社会が努力が必ずしも報われないリスク社会であるという基礎的事実に逆らって、依然として努力している人々なのです。

ということなのだと思います。努力しても報われないということを分かっていても、努力しなければスタートラインにも立てないということを信じている人たちが、その生存競争を生き抜けるのだと思います。

そう思うことの出来ることが「強い精神力が、努力よりも先に必要とされているだろうし、また、より効果的なんだと思う」ということだと考えています。「努力が報われなくても絶望しない」というのは、努力が報われるということを前提に、ということでしょうから。

「一人一人のモチベーションも下がって」いくのでしょうが、それでも「努力すると必ず報われる」ということを信じて、それを動機づけとして行動することが求められているのだろうと思います。
「教育達成のために努力すると必ず報われる」ということを家族の全員が信じていて、現にその努力の成果を享受している家庭に育った子どもと、「勉強なんかしても意味がない」と広言し、現在社会的に低い階層にいるが、その原因はおのれの努力不足にはないと言い張る親に育てられた子どもとを比べた場合、「努力する動機づけ」において決定的な差ができてしまうということは避けられません。

ということだと思います。努力したら報われるということを信じるか信じないかの差、それはそれほど強い精神力を必要とすることではないかもしれません。単純な、というか、純粋さというような、あるいは愚直さというような精神のありかた、が、必要な時代なのかもしれません。

そして、きっと、努力が報われなくても、努力不足と分かっていても、どんな人生であれ『でも僕はあえて言いたいんだ、「それでも人生は素晴らしい」って。』なんて思えることが大切なのかもしれませんね。

なにも「成功」とか「有利な位置」とか「成果」ということは、ひとつではないのだろうし、「金を儲けることが上手い」だけのことではないでしょうから。

ボクは、本人の努力とは別のものに運命を左右されている世の中ではあるとは思うのですが、それをやはり「おのれの努力不足ではないと言い張る」ことや、人を怨んだり妬んだりすることだけは、しないようにと思っています。ボクが、この場所にいるのは、ボクが選んで決めたことですから。

トヨタのライン工をして思ったのですよ。ボクがやってきた努力なんてのは実はたいしたことがなかったって。毎日8時間、同じ動作を繰り返えせば、例えば1分×500なんてことを繰り返せば、それを何年も続けていれば、何かが出来たのではないかって。10年とか20年とか。もしかしたら東大にでも行けたのじゃないかと…。(それは努力ではどうしようもない部分もあるのだろうけれど)

今回の岡山の事件も、10年とか20年のスパンで考えることが出来たら、10代の2年や3年、あるいは5年や6年なんてのは、そんなに焦らなくても急がなくても良かったんじゃないかと思うのですよ。期間工に来て学費を貯める人だっているのだし、30代から大学に行く人だっているのだし。(そのことだけが原因ではないのでしょうが、それに考えることが出来ないのも人なのだけれど)

「期間工を想え」
と思うのです。きっと、何かが出来るはずだし、何かが出来なくても、何かが出来るためには何が必要なのかは、きっと知っているはずだろうから。それは反復であったり、痛みであったり、沈黙であったり、愛であったり、するのだろうし…。



なんて、ボク自身に言い聞かせていたり。
この記事を書くのに一冊の本を読んだのだから、かなり努力をしていると思うのだけれど、そんでも、そんな努力なんて報われることはなくて、というか、「一冊読んだ」なんて書かないと分からないだろうし…。ま、いいか、それでも、ボクは信じているのだけれど…。

*引用は内田樹先生の「下流志向」からです。
どうだったんだろうガソリン値下げ
昨日4月1日は例の暫定税が失効してガソリンを値下げして販売したらしいのだけれど、品切れになって騒動になった、なんてことはなかったんだろうね。石油ショックの時のトイレットペーパーみたいに。

車を乗ってないから実感できない、というか、「いくらでもいいや」なんて思ったりもする。それよりも問題は「筍を食べたい」ということなんだけれど、今日も今日とてスーパーに行って筍を眺めては「え、このサイズで120円かよ」なんて手のひらサイズのの皮付き筍を見ては溜息ひとつ、ふたつ…。

旬のものは出来るだけ食べようと思っている。来年は食べることが出来るかどうかなんて分からないからね。ま、食べることが出来たとしても、あと何回食べることが出来るのかと思ったりもして、そんな思いで桜も見ていたりしている今年の春だったり。

フキノトウやウドなんてのもあったのだけれど、これも「えっ」って思うぐらいの値段だったりで。こうして書いていると、やっぱ買っとけばよかったか、なんて後悔したり。

つわ蕗を庭に植えていた。黄色い花が綺麗で、まだ父親が元気だったころに。そしてそれは食卓にものぼったし、黄色い花は花びんに挿されては、ボクたちの送り、そして迎えてくれた。つわ蕗の煮物はどうもクセがあって、小さい頃はあまり好きではなかった。だけれど、大人になると「食べたいよね」なんて思うようになった。薄く薄く鰹節で味付けてね。そんなに美味しいというものでもないのだろうけれど、春とか海を感じる食べ物かもしれない。海岸沿いに育つつわ蕗が美味しいのだそうだ。

寮に住んでいると、そんな季節を味わうってことも少ないからね。季節は、ただ暑いか寒いかということだけで、例えばエアコンのスイッチに季節を感じるだけというような、そんな一年になってしまっているのかもしれないね。季節だけではなくて、きっと、つわ蕗の味のような微妙な感じ、というかアクの味、渋みとか苦味とか酸味とかアレとかアレが2対4対2対1対対0.3対…、なんて味を知らないで育ってしまうこともあるのだろうね。

魚の内臓とかも、パック詰めの魚を買っていたのでは味わうことは出来ないだろうから。そう言えば7歳か8歳の時に母親からとても怒られたことがあった。それは夕ご飯に母親が作った魚の煮物の内臓をボクが「これは食べられるの」と聞いたことが原因だったのだけれど、母親は「食べられないものは出してない」と、その時とても怒ったことを、ボクは今だに忘れられないでいるんだ。

あまり怒らない母親だったのだけれど、その時は、ボクがこうして覚えているぐらいに、怒ったことを今も覚えている。ま、考えれば、食べられないものは出しはしないよね。それ以来、好き嫌いはなくなったような…。それから少し食べるということに対して気持ちの変化があったような…。

けっしてグルメとかいうような舌でもなくて、どっちかというと味には鈍感なほうなんだけれど。んでも、ま、スーパーの生鮮食品売場を見るのは楽しいし、季節を感じる場所かもしれないね。筍、明日は買って来る。



えっと、昨日4月1日のいちにち

08:00 起床
08:30 コーヒー飲んで、少し掃除とか
09:00 風呂
09:30 メールチェックとかネットとか
10:30 ホッチキスが来たのでドライブ
11:30 帰宅
12:00 ブランチ(即席ラーメン、シリアル系の例のアレ)
12:30 ゴロゴロ ブログとか
14:30 買物(即席めん、パスタ、歯ブラシ、入浴剤、タオル、ソバ)
17:00 買物から帰って近くの川沿いの桜見物
18:30 帰宅
19:00 食事準備(チンゲン菜、しめじ、卵、餅入り味噌汁、納豆、ヨーグルト)
19:30 食事 同じパターンが多いなあ
20:00 ゴロゴロ テレビ(ものまねとか)
22:30 風呂
23:30 ネット、ネット、ネット
03:00 寝た
プリウス開発費は政府が負担?
CNN.co.jp:プリウス開発費は政府が負担? 元取締役証言にトヨタ反論

(AP) 米経済誌ビジネスウイークが「トヨタのハイブリッド車プリウスの技術は、日本政府が開発資金を出した」とする記事を掲載し、物議を醸している。トヨタは2日、この報道は事実ではないと全面否定した。

ビジネスウイークは3月24日号で、トヨタ元取締役で米クライスラー副会長兼社長を務めるジム・プレス氏の証言として「プリウスに使われているバッテリーとハイブリッドシステムは、日本政府が開発費を100%負担した」と伝えた。

てか、プリウスを買うと国から補助金が出たんじゃないの?そんな補助金制度ってのも、トヨタには有利に働いただろうし、現場なんかじゃ「一台造ると数十万円の赤字だった」なんて言ってるけれど、そんなの投資だったんだって。広告費とか、アメリカでのこととか、そんなトヨタがタダで転ぶわけないじゃん。

直接的には開発費ってのは「全面否定」するだけの根拠はあるのだろうけれど、派遣法とか短期雇用法とかを強引に改正したこと自体、国がトヨタ寄り(というか国民よりも企業寄りという意味だけれれど)ってことだし。資金どころか国まで動かしているんだから…。で、今頃慌てて、社員登用とか格差是正とか、そんで将来健康保険も雇用保険も破綻するって言っても…。

トヨタあっての日本ですから。



えっと、やっぱりその日のことはその日に書いた方がいいか。
で、4月2日のいちにち

08:00 起床 コーヒー飲んだり
08:30 電話とかメールチェックとかネットとか
11:00 ブランチ(チンゲン菜、シメジ、キャベツ、豆腐の味噌炒め、雑煮{もち4個})
11:30 コーヒーとか、電話とかメール
13:30 昼寝した
14:00 花見(公園3カ所散策、その後100均で皮むきと網を買った、で、花屋)
17:00 一時帰宅 水汲み 買物(大根、エノキ、豚挽肉、片栗粉、木くらげ)
18:30 帰宅 食事準備(大根のあんかけ{エノキ、シメジ、木くらげ、チンゲン菜、豚挽肉}ご飯、アジのみりん干し、ヨーグルト)
19:30 片付けてゴロゴロ
20:30 ネットとかブログとか
23:00 風呂
23:30 ゴロゴロ、今日は早く寝たいと思っている00:20なんだけれど。
教育費についての福島みずほ議員のこの記事はいいね
企業内学校、例えばトヨタ学園高校などに進学するということについて、ボクは疑問に思うところもあるのだけれど、家庭の事情なんかによっては、間違っていない選択だと思うのです。トヨタ学園を卒業した若い人と話すと「親孝行だなあ」なんて感じることのほうが多いことも確かですしね。

九州から入学する人もいて、そのほとんどはやはり家庭の事情、「親の財布」の大小で決めたという人が多いと聞きますし、ボクの知っている学園卒の社員の人も、親を助けるなんてことで入学して卒業、トヨタマンとして働いています。本人はそんな事情を悲しくは語らないのですが、同級生が親と一緒に住んで、母親の作った料理を食べて、そして洗濯も掃除もなにもかも母親がやってくれる生活をしているというのに、彼らは16歳の春からひとりでそれをやって、そして先輩と同室という環境で勉強というよりも、労働という感の強い生活を送っているのだから、それはやはり豊かな世の中の中にあっては、悲しい物語なのかもしれません。

そういった家の経済的な事情、貧しさがバネとなって働くということに対峙しているということもあるだろうし、その中から人間としての優しさとか強さというようなものを学びそして会得してゆくのかもしれませんね。

厳しい寮生活では上下関係や礼儀なんてことも学び、そしてひとつになるという、豊かさの中で、例えば家族という「ひとつになる」場所も曖昧になっている今の世の中においては忘れかけられている、貴重な体験をするのだろうと思います。
福島みずほのどきどき日記 教育費について

問題は、家の経済的な事情で進学を断念をしなければならないということである。

親の財布の大きさが、子どもの未来を決めている。

 世の中は、豊かになっている面もあるけれど、このような点はとてつもなく生きがたくなっている。

 大学の授業料の無料化はできないか。

例えば、授業料が無料化になったとしても、地方の子どもたちが進学するということは、アパート代とか生活費とか、その授業料よりも多い金額を負担しなければならないということもあって、地域間の格差というのは教育費でも子ども一人に対して数百万円もあると思います。

地方、特に僻地と言われるような地域ですと、高校生から下宿とかアパート暮らしをしなければならないということもあるし(ボクもそうでしたが)、そうなると兄弟4人もいれば誰か犠牲になる子どもも、それも16歳から、いて、そういう話は「昔のこと」ではなくて、豊かだと言われる今もあって、企業内学校なんてのは、そういう家庭を救済するという役割も果たしているのでしょうね。

二部とか通信制とか言う方法もあるのだけれど、卒業したとしても、今度はその貧しい家庭を救済した企業が採用してくれるかどうかということもあるのだろうし・・・。

入学シーズン、今日は小学校の入学式なんだけれど、母校は廃校になって、子どもたちは距離にして7キロほど離れた統合された小学校に通学(それもタクシーで)するようになってしまいました。中学校は更に遠くて20キロ近くあって、高校になると40キロほどあるのですが、こういったことも教育問題のひとつで、やはり「世の中は、豊かになっている面もあるけれど」「生きがたくなって」いるようにも感じるのです。

話が少しバラけてしまったけれど、この時期ってのは、ボクの過去のことも含めて学校ということを考えさせられるのですよ。
#ほんとバラけたね、ごめんごめん。



散るからサクラ?


休日が嫌になる時
春休み最後の土日。だから、きっと、どこも人が多いのだろうと思うと、外出も億劫になる。今朝も6時前とかに目覚めて、そしてゴロゴロして鬱々とした時間を流してゆく。昨日もそうだった。

金曜日の入学式、親子連れを見ていると、昔のことなんかを思い出す。果たして、また気持ちは落ち込む。天気も、春の陽気なのだけれど、花曇に花霞、キチンとした空の色ではないことが、さらに…。それでもお腹は空く、そのことが情けなかったり。

昨日、花の摘葉をしたから、それを挿したいと思っている。土を買ってこないといけないし、ついでに植替えもしたいのだけれど。一番古い株だけが手元に残っている。もういつ枯れても不思議ではないのだけれど。それに冬には花が、久しぶりに咲いたので、少し不吉な予感もしているのだけれど。

少しプレッシャーをかけると植物はよく育つと思う。春の摘葉も、ひとつにはそういう理由もあるし、水やりをギリギリに抑えるのもそういう理由なのだけれど。それは人にも言えることなのかもしれないね。ボクは、これ以上育たないと思うけれど。

手元にある老株は、もう花を咲かせなくても良いと思っている。毎年少しだけ伸びた葉を挿して、その子どもたちを育てようと思う。いつか枯れてしまうのだから。そうやって命は受け継がれてゆくのだろうね。この花も父親が育てていたものだった。

父親が育てていたものをボクが育てているということだけが、実はボクのたったひとつの親孝行なんだと思っていたりする。何も出来たかったけれど。春が来ると、いつも摘葉をして挿し芽をして、そして父親を偲んでいるんだよ。



4月5日のいちにち
えっと
07:00 起床、コーヒー飲んでゴロゴロ テレビ見てゴロゴロ
09:00 ご飯 昨夜の残りの筍と高野豆腐と干し大根の煮物
10:00 なにしたっけ、ってぐらいゴロゴロ
12:00 即席ラーメン
12:30 ブログとか ネットとかメールとか
14:30 摘葉
15:30 電話とかメールとか
17:30 買物、駅のほうまで行く
19:00 帰宅、夕食準備(キャベツ、チンゲン菜、もやし、豚肉の蒸焼き、ゴボウ煮)
19:30 夕食、2週間ぶりに少しだけお酒(カフュールというライチと泡盛のリキュール)
その後、ゴロゴロ
23:30 シャワー
24:00 読書(「この国のかたち」一巻から五巻)しようと思って布団、そのまま寝た
03:00 一度起きる、テレビ、電灯を消す
06:00 起床、また寝た







今年の春
今年の春は、毎日のように桜を見て過した。
それだけは良かったかなあ。


「どこ見てんのよ〜」ってぐらいみんな桜見てるね。花は見てなかったり…。

4月6日のいちにち
06:00 起床、ゴロゴロ、また寝たり
08:00 起床、コーヒー飲んでテレビ見たり
09:30 ブランチ(ソバ)
10:00 サンデージャポン見たり メールチェックとかブログとか
11:30 ホームセンター(土、底石、ネットなど植替え用品)
13:30 「たかじんのそこまで言って委員会」を見ながら植替え
15:30 植替え終わり
15:30 洗濯(シーツ)
16:00 花見
18:30 帰宅 すぐ水汲みと買物(コーヒー、やぶれ饅頭)
19:00 夕食準備(野菜たっぷりラーメン、ヨーグルト、やぶれ饅頭)
19:30 夕食
20:00 「篤姫」
21:00 写真整理(今日は200枚近く写したからね)
22:30 風呂
23:00 ネットとか

で、今。

Free Tibet そして、とどめの雨
雨ですね。
これで桜も散ってしまうのでしょうね。
雨に散る桜の花びらを、そして残されたしべを見に行きたいのだけれど、雨はあまりにも激しくて、ボクをここにとどめようとするのだけれど。春はゆくんだね。


散ってもサクラ…。

北京オリンピックの選考会を兼ねた国内大会の結果がニュースで流れているのだけれど、誰でもいいから「ボイコットする」と言ってくれないかと思っているのだけれど。例えばヤワラちゃん、谷亮子さんなんかが「中国のチベット問題やダルフール問題を考えて、出場を辞退します」なんて言うとか…。ないか。
CNN.co.jp:ロンドンの聖火リレーで抗議行動相次ぐ 35人拘束

抗議活動の参加者らは、市内各地の沿道でチベットの旗や「チベットに自由を」のスローガンが書かれた旗を振ったり、「チベットの殺りくを止めろ」「チベットに聖火トーチはいらない」「中国は(チベット仏教の最高指導者)ダライ・ラマ14世と対話を」などのプラカードを掲げた。その一方、親中国派も沿道やトラファルガー広場に集結し、警官隊が抗議活動との隔離に努めた。

代表選手がボイコットする、というか、日本国内ではこのような反対デモもあるのかないのか聞えてこないのだけれど、それにボクが率先してする、というつもりもないし、反対しても開催が取り消されるということは、かなりの確率でないのだろうし、ました中国政府が「ごもっとも」なんて反省することもないのだろうから…。

というのが、ごく一般の人(ま、ボクもですが)の人の意識だと思っているのだけれど?それよりは、今晩何を食べるかのほうが重大事なのかもしれないし。ボクにしても、そんなことよりも自分の仕事のことを考えるだけで、それで精一杯の1日だったりして、もっと身近に国内のことを考えたとしても、日銀総裁に誰がなろうと関係ないことだと思ったり、もしかしていらないのではないかと思ったり。

自分のことしか考えられなくなる、ということが、そういう人が多くなるということが、問題なのかもしれないね。たぶん、きっと。
おじさん達の再会
おじさんは30歳と少しだったのだけれど、ボクたちからおじさんと呼ばれていた。それはルックスがオジサンっぽいとか仕草がオジサンみたいだとか言うことがオジサンだ、なんてことではなくて、きっと少しだけ年上だったからという理由だけで「おじさん」と誰とはなしに口にするようになったのだろう。

ボクが日頃使っているTaueche(タウチェと発音するんだけれど、ヒマラヤの名峰タウチェ {6501m}に由来しているんだろうね)のデイパックは、きっと誰も気付いていないと思うのだけれど、もう20年も使っているのだけれど(その割には手入れが良いのでスウェードの部分もカビてもなくて綺麗なんだけれど)、これはそのおじさんが買ってくれたのもで(お金はボクが払ったのだけれど)、あのいつもの調子で「これが一番に決まってるじゃん」なんて渡されたのを今も覚えている。

20年、と言っても、その年に生まれた子どもは今年成人式なんだけれど、そう考えると長い時間が過ぎ去っていて、その間、人間の子どもが成長するほどの劇的な変化も、ボクにはなくて、ここにあるTauecheのデイパックがまだ現役で使われているということと同じくらい、「そういえば」なんて昨日のことと同じレベルでその20年前とかあるいはもっと昔のことを考えてしまう、という、なんだか取り残されてしまったような感じもたまにするんだ。

そのおじさんはいなかったのだけれど、ひさしぶりに昔の仲間と会った。15年とか20年とかぶりだったのだけれど、ボクにとってみれば、やっぱりTauecheのバックぐらいに、そのままのことのように感じる。

きっとボクの身の回りに起こった出来事が少ないのだろうね。人に比べると…。そう言えば、普通ということとは少し違った人生を送っているしね。普通はもう子どもがいたり、その子どもの入学式や卒業式、その前にボクの結婚式なんてのがあって、そんな想い出が飽和状態になってしまっていて、20年前のことなんかはよっぽどのことがない限り、思い出す必要も、そうしてそれをしまって置く必要も、ないのだろうね。

ボクは、20年前にこのTauecheのデイパックをおじさんから受け取った瞬間のことなんかをかなり詳しく覚えていて、それは多分、もう忘れることはないだろうと思われるくらいボクの記憶装置の中では一週間に一度、攪拌されては上のほうに押し上げられる。そしてそれに伴って、その他のことが次々に押し上げられる。ちょうどヌカみそが腐らないような仕組みになっているのだろうと思っているのだけれど。

想い出は変わらないにしても、20年なんていう年月は人の身体を無理やりに変えてしまう。ボクの体型があのころのままだとしても、それは服のサイズだけのことで、もうあの頃みたいに走れないだろうし、あの頃みたいに徹夜で飲んでられないだろうし、なによりも夢なんてことを語れないだろうしね。

そういう意味では、人は変化の途上にあっては、想い出だけではなくて、何かを捨てたり何かを拾ったりしながら生きているのだろうね。そして拾うもののほうが多いのだろうし、捨てる、あるいは捨てないとしても、過去はどんどん希釈されてしまうのだろうね。それが普通の生き方なんだろうと思う。

そんでも、ひとつ、あるいはふたつ、きちんと手入れしていれば、それは有形無形かかわらず、それを基点に想い出をたぐり寄せられると思っている。きっと、それがボクたちにとってはおじさんだったり、ボクにとってはTauecheのデイパックだったりするのだろうと思うのだけれど。あの年が、そしてあの何年間がボクたちの基点になっていて、そこからひとつふたつと数えているのだろうと思っている。

というか、そんな古いことや、古いものを自慢することが、なんていうか「おじさん」になった証拠なんだろうね。証拠を出さなくてもおじさんなんだけれど。「そんな昔のこと…」を聞いて、「そんな昔のことを覚えてない」のが、おじさんだったり、そんでも、古いことは分かる、ってのが、隠しようのないおじさんなのだろうと、思っている。

おじさんたちと分かれた後、ボクはビジネスホテルの狭いトイレで、何もかもをゲロゲロ吐き出していたんだけれど、またそれも想い出になってしまったと考えると、やっぱりね、なんて納得しているんだ。そんで、帰って気が付いたのだけれど、携帯の充電器、そのゲロゲロホテルに忘れてしまっていて、「ああ、もうオヤジなんだから」なんて、思ったりしているのだ。



春の18きっぷ
今回の日程

1日目
福山泊 駅近く3960円のビジネスホテル
今回は、久しぶりの再会ってのは目的だったので、ホテルには泊まった。

2日目
福山 -> 岡山 -> 津山 -> 智頭 -> 鳥取 -> 浜坂 -> 豊岡 -> 福知山
福知山泊
津山城の桜見物。津山線、因美線は今回が初めて。鳥取に17時着、18時の浜坂行き、そこからが長い。結局、福知山からもう電車がなくなって、福知山泊。

雨が降っていたので、寝るところに困ったけれど、駅のガード下で寝たり起きたり。雨で寒くて目がさめる。3時起床、福知山散策、4時駅。

3日目
福知山始発の京都行きで、京都6:30頃着、いつものコースを散策後9:00駅。それから帰りの電車に乗って帰宅。

疲れた。
初日に寄って、眠れないまま2日目の野宿だったから、かなり疲れた。というかダウンを持ってたのだけれど、タイツを忘れてて、それにレインジャケットも忘れてたし…。寒くて睡眠不足のまま4時42分発の京都行きに乗って京都。土砂降りの中、びしょ濡れになって写真写したり…。

この時期はまだまだ冬の装備が必要かな。というか、もう野宿はつらい。雨の日はなおさら。詳細をまた少し書くかもしれないけれど、とにかく今日は寝ます。

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