トヨタ期間従業員に行こう

トヨタ自動車期間従業員であった筆者が期間工、派遣社員、非正規社員についてや雇用の問題そして1年間にわたる失業生活、その後のタクシー運転手としての日々なんかをぬるめに書いています。

バレンタインとか
そう言えば、バレンタインデイだった。
最近では「友チョコ」なんて女性同士でのやり取りも増えているらし。禁止する学校もあるらしいのだけれど、小学校や中学校で禁止したところで社会に出れば「もてる」「もてない」なんていうキッチリした選別を否応なしに受けなければならない。

運動会の順位なんかも禁止している学校があるそうなのだけれど、それとて社会にでればやっぱりキッチリと落し前を付けられてしまう。みんな平等というわけだろうけれど、どうせ禁止するのなら「受験」なんて順位分けをしなければいいのにと思うのだけれど、それとこれとは別という考えらしい。

今年のバレンタインはチョコひとつで、まあ、それが今のボクのモテ度だったりするのだろうと、なんとなく納得している。女性のいる職場なんてのならばいいのだろうけれど、タクシー運転手なんてお客さんに超義理的にもらうかなんかしなければバレンタインチョコなんてものには縁遠い職業なのかもしれないと思う。

バレンタインだけではなくて、お歳暮にお中元、年賀状に暑中見舞い、結婚式、葬式、引っ越し祝いだなんだかんだの「やり取り」が好きな国民でもある。ほとんどは「義理」にまつわることで、ま、そういう義理人情という人生観こそがこの国の文化のベースになっているといってもいい。

そんな文化ベースがあるもんだからバレンタインデイとホワイトデイ、あるいは「友チョコ」なんてものが国民的行事になったのだろう。11日の建国記念日よりも重要だということになってしまっているのもどうかと思うのだけれど、経済効果云々という経済神の前には誰もが沈黙してしまうようでもある。

「根回し」なんてことも重要なことかもしれない。来年のために「今日から始めるバレンタイン講座」なんてものがきっと世に中には存在するはずだ。というか、人生とは「根回し」かもしれない。金がなくても縁があればなんとか生きていけるのだろうし、コネで就職だって出来るはずだし。ま、そういうことを小学生から学ばせるのも良いのではないかと思ったりもする。禁止するのではなくて、いかに世渡り上手になるかということを、いかにチョコを多くもらうかということを教えたほうが良いように思う。

かくいうボクは、そういうのが苦手だった。世渡り上手、世事に賢ければ、きっと今頃はもう少し普通に生きていたと思うのだけれど、とかくにこの世は住みにくいのだ。

バレンタインチョコ
インフルエンザ
病院に行った。
健康診断以外で病院に行ったのは、何年振りだろうか。というか十数年ぶりだ。それほど病気にならない。なったとしても生来の医者嫌いなものだから市販薬で治してしまう。市販薬で治癒してしまうほどの病気にしか罹っていないのだから、身体が丈夫なのだろうと思ったりする。

インフルエンザなのかただの風邪なのか微熱と咳と関節痛…。それで病院に行った。アントブロン、ピーエイ、レボフロキサシンという薬をいただいた。それらの薬効をネットで調べる。去痰薬、解熱鎮痛剤、抗菌剤という結果。要するにただの風邪なのだろう。まさか鳥インフルエンザということでもないだろうし。

豊橋の鳥インフルエンザが終結したと思ったら、新城市の養鶏場でまた見つかった。さすがに対応が早く、発見よりわずか2日で殺処分したそうだ。そんなことがあったのか、と思われるぐらいのあっけなさ、という感じだった。対応の早さということに加えて三重県紀宝町でも発生したということで、マスコミの話題がそちらにスライドしたので、新城市の話題が希釈されてしまい、そんな「感じ」を受けるのかもしれない、そう思った。

あまり騒ぎ立てるニュースでもない。騒ぎ立てるから風評被害も拡がる。

インフルエンザに罹ったら即刻殺処分される鶏のように、やがて何かの病原菌が流行したら人も大量に殺処分されるということが起きるかもしれない。パンデミックにでもなったら国単位での処分が行われることもあるかもしれない。

43万個の卵が処分されたそうだけれど、焼かれたとしたらきっと街中に卵焼きの匂いがしたに違いない。焼鳥の香ばしいにおいもしたに違いない。遠い将来、考古学者が「鶏の墓発見」なんて埋められた鶏を掘り起こすかもしれない。「殺処分」そう言われているインフルエンザ患者もいるだろう。流行語大賞にきっとノミネートされるに違いない。

輸入されている鶏肉は大丈夫なのだろうか。日本のようにキチンと処置しているのだろうか。ボクたちはごく普通にインフルエンザや何かの病原体、細菌におかされた鶏肉やらほかの食材を口にしているのではないのだろうか。食料自給率が今後80%とか90%になるとは思えない。それどころか更に縮減するかもしれない。どうせ40%なんて数字ならTPPに加入して、じゃんじゃん輸入品を食べれば良い。鶏肉のように。そしてじゃんじゃん輸出すればいい。10個100円のタマゴのセールに並ぶ日本の金持ちなんてあてにしないで、中国の金持ちに買ってもらえばいい。

ああ、熱が出てきた。咳も出る。
インフルエンザではないけれど、なにかの菌に冒されていることは確かだ。そしてまた休日はひきこもりになってしまった。そして病気なのに腹は減る。生きるということは面倒くさい。

豊橋 なかむら屋本店 雪
コメントの返事も書きたいのだけれど、どうも時間がなくて申し訳ない…。
ブンナ
ブンナとはアムハラ語(エティオピアの言葉)でコーヒーのこと。エティオピアはコーヒー発祥の地とも言われている。カフェという地名もある。街をあるけばそのブンナを飲ませてくれる店(喫茶店だけれど、ちょっと違う)がある。そんな店をブンナベッドという。(ブンナ=コーヒー、ベッド=部屋とか家)

ブンナベッドでは食事が出来たりお酒が飲めたり、隣接されたホテルに宿泊出来たり、そこのメイドさんを買春出来たりする。全ての欲望がそこで充足される場所なのだ。一杯のコーヒーが10円、メイドさんが一晩500円なんて店もある。

エティオピアのコーヒーは、小さな臼で搗いてパウダー状にした豆を土瓶で煮る、その上澄みを小さなカップ(中国製のウーロン茶を飲むようなカップ)に入れて飲む。砂糖だけではなくて塩やバターを入れて飲んだりする。もちろんミルクを入れたりもする。ブンナべワタタとかブンナベマキヤート、ブンナベシャイ(コーヒー紅茶)なんていろいろな飲み方がある。

カート(quat)という覚せい作用のある葉を噛みながら一日中そのブンナベッドにたむろしている男たちもいる。大麻とか芥子のように加工して使用するのではなくて生のままの葉をクチャクチャと噛む。それも大量に噛む。苦い。それでも青汁なのだから健康に良いのかもしれない。

ランチタイムには食事客で賑わう。近くの工場で働く工員がやってくる。タクシードライバーは昼間からビールを飲んでいる。しきりに股間を掻いているのは毛じらみにやられているからだ。その手でインジェラをちぎりワットに付けて口に運ぶ。

裏庭では山羊が客の残飯を食べている。その乳こそ店で使われているミルクだ。そしてやがて頸動脈を切られ、皮を剥がれ、今毛じらみ男の食べているワットの肉となる。ニワトリとて同じこと。ジブ(ハイエナ)の肉を使っていたとして店主が逮捕されるという事件もあった。

そんなブンナベッドには欲望が渦巻いている。コーヒーの香りは欲望の香りなのだ。それはなにも現地の人たちだけではなくて、そのコーヒー豆によって潤う人たちにとって同じなのだ。エティオピアという国自体がブンナベッドになっている。もちろん安く買いたたいているのはボクたち先進国のコーヒー消費者なのだけれど…。一杯10円、一晩500円なんて信じられない値段で買われ、そして売られてゆく。そしてスタバやドトール、あるいはネスレや缶コーヒーとしてボクたちはそれを口にしている。

どれほどODAで金をつぎ込もうが、どれほど多くの人たちが技術協力で行こうが、毎年24時間マラソンに涙を流そうが、エティオピアは豊かにはならない。1985年、あの年から、いったい何が変わったというのだ。1985年、あの年から、いったいどれほど人々の暮らしが豊かになったというのだ。相変わらず人々は飢え餓え凍え哀しみの底にある。

いや、まて、そのエティオピアの人々が豊かになるどころか、この国に暮らしているボクたちが貧困にあえいでいるののだ。エティオピアの労働者はコーヒー豆を作るために奴隷のように使い捨てられて、この国の若者は車を作るために非正規として使い捨てられている。どこが違うというのだ。

あのアジスアベバにはコーヒーの香りがしていた。そしてこの街には車のまき散らす排気ガスの香りがする。より高品質なコーヒー豆のために。より高品質な車のために。

いや、まて、winwinなんてことは絶対起こらない。どちらかが、あるいはどちらもが寄生するのだ。ボクたちが安くて良い製品を欲しがれば欲しがるほど、どこかで安くて良い労働力を必要とする。缶コーヒーが10年20年前と同じ120円で買えて、そしてそれがその10年20年前よりも数倍高品質になっているとしたら、誰かが数倍の哀しみを背負っているのだ。

世界は共倒れ状態に向かっている。世界の幸せの量は一定なのだ。100しかない幸福を、今までは北側の人たちが独占していただけのことなのだ。100が120にはならない。

いったいアフリカへの援助は効果があったのだろうか。あるのだろうか。多くの金と物と人を注ぎ込んで、彼らの生活は豊かになったのだろうか。ボクたちの生活は豊かになったのだろうか。街にはホームレスが溢れ、ハロワには失業者が列を作る。まるであのエティオピアみたいではないか。

缶コーヒー
缶コーヒーのネーミングも豊かになった。そのうち貧困ブレンドなんてのが発売されるに決まっている。

風邪は治ったようなんだけれど…。
「生きる」ということに対してそれほど欲はないのだけれど、熱や痛みは避けたいのだからけち臭い。生きたい生きたいという身体の卑しいことよ。
また梅の花が咲いた。また春が来た。
風邪がまだ喉の奥のほうに居座っている。

暖かかったので、それだけの理由ではないのだけれど、向山梅園に行った。
満開の花が好きではない。晴れた日より雨の日、広い部屋より押入れの中、海よりも森、昼よりは夜、賑やかな場所より静かなところ、都会より田舎…。明るい人よりも暗い人、笑顔より泣き顔、ふたりよりひとり…。

また春が来た。
うれしいというよりも、「また」というなにか諦めのような気持ちで塞がれる。春よりも冬、桜よりも梅…。

相変わらず、良いこともない。ただ毎日なんとなく過ぎ去っている。というか、朝が来るのが待ち遠しいなんて気分にはなれない。みんな何を楽しみに生きているのだろうか。

また梅が咲き、また春が来て、またひとつ歳をとり、また心の奥のほうに思い出というかび臭い澱が溜まってゆく。
向山梅園の梅

「駒ヶ根をまへにいつもひとりでしたね 〜山頭火〜」
また悲しい春がきた。



フェンダーミラー車はどこへ?
【社会部オンデマンド】フェンダーミラー車はどこへ? 優れた安全性も「絶滅寸前」に+(1/3ページ) - MSN産経ニュース
 トヨタ自動車によると、同社のセダンでフェンダーミラーを採用しているのは、タクシー営業用の「クラウンコンフォート」「コンフォート」に加え、要人の送迎などに使われる限定生産の最高級車「センチュリー」のみ。

 日産自動車では、現在生産しているフェンダーミラー車はゼロ。「デザイン性などを考慮した結果、すべてドアミラーにしている」(同社広報部)という。


そのコンフォートに毎日乗っているタクシー運転手なんだけれど、やっぱりフェンダーミラーのほうが良い。この記事にあるように「安全性」と「客と目が合わない」という点以外にも、疲れないということもあると思うけれど。だって長時間運転していたら少しの動作が負担になるからね。首を振ってドアミラーを見るか、視線を動かしてフェンダーミラーを見るかでは首の疲労度が違うだろうし。

発進停止が多いから運転時間に対するミラーを見る機会も一般ドライバーよりも多いはず。

2chでも話題になっていて、
12 :名無しさん@十一周年:2011/03/06(日) 22:03:12.51 ID:0uZLBG2F0
タクシー運転手が『運転のプロ』?
アホぬかせ
あいつらがウインカー出してるとこ見たことないわ
無茶ばっかりしやがって


確かに運転のプロではない人もいることは確かなんだけれど、豊橋あたりだとキチンとウィンカーを出している人のほうが多いかな。というか流しでお客様をひろうということが少ないから急停車や急な車線変更をすることが少ないのだけれど。

プロかあ…。二種免許も難しい試験ではないし…。プロだという自覚を持っているか怪しい人もいるのだけれど…。

15年ほど無事故無違反なんだけれど、それは運転が上手だからとかいうことではなくて、慎重な運転だとか運が良いだとかそういうことなんだと思うんだけれど。運も実力のうち、かもしれないけれどね。

サントリー金麦「春」
春が来た。
なつかしい風景
熊本の悲しい事件がテレビに流れている…。

そう言えばKさんやTちゃんと九州沖縄農業センター敷地内の桜を見に行ったことがある。失業中にポリテクセンター熊本で短期の職業訓練を一緒に受講したこともあった。七城温泉ドームがお気に入りだったし、農業公園にもよく行った。

ボクは熊本駅に近いアパートに住んでいて、国道三号線を通って山室交差点から飛田バイパスに抜けて、そんな場所に行っていた。西合志や菊池なんて場所が好きだったのだろうと思う。そうそう「八景水谷(はけのみや)」という地名を「はっけいみずたに」と言って笑われたこともあった。

Tちゃんの勤めていた(今も勤めているだろうとは思うけれど)郵便局もあのあたりにあった。JR福知山線脱線事故のニュースをあの辺りのホームセンターサンコーで知り、しばらく売り場のテレビを見ていた。そんなことを思い出した。

帰りたい、そう思った。どうしてここにいて、どうしてタクシー運転手をしているのだろうか。

ここでも同じように梅が咲き、桜が咲く。冬が過ぎ春が来る。でも、出来事は想い出の中には紡がれないで、ただあの頃のことを思い出すスイッチでしかない。それは、たぶん、この5年とか6年という時間が、ほとんど人との関わりのない空間で、ボクひとりだけで過ぎて行ったからなのだろうと思う。同じような出来事が日々起こるだけで、そこに他人が関わっていないからだろうと、そう思う。

風景の中に、ボクはひとりで佇んでいる。まるで定点カメラの記念写真のように、ボクはボクの記憶の中にいる。

豊川稲荷 熊手売り
いなりタクシー廃業の謎
これも規制緩和の弊害かもしれない。
タクシーの事業者数(個人タクシーを除く)は、1975年の7566社から2002年の7374社までほぼ横ばい、というよりも規制が効いていたため2000年ごろは減少気味に推移していた。

ところが2002年の改正道路運送法の施行で国による台数調整が廃止され、新規参入や増車が原則自由になったことで、その年を境に増加しピークの2007年には12844社にもなった。その直後の金融危機での景気の後退にともない2008年以降はすこしずつ減少傾向にある。と言っても規制緩和以降の激増と比較すればそのカーブは緩やかではある。

需給のバランスは2008年から崩壊していると言ってもいい。企業はいかにコストを削減するかということによって、その生き残りを賭けてきたのだし、その影響はタクシーという贅沢な交通手段に最初に及んだろう。「緩やかな」なのはタクシー事業者数と車両数の変化だけであって、世の中は激変した。

その「タクシー破壊法」と言われた規制緩和で崩壊した需給のバランスを正常に戻すために、今度はタクシーの減車を国は行っている。2009年に「タクシー適正化、活性化特別措置法」がそれだ。増えた分を減らす政策、国のやることは単純だ。机上の数字でしかものごとを判断していない。

「供給過剰の進行等によりタクシーが地域公共交通としての機能を十分に発揮できていない地域を『特定地域』として指定する」という地域に規制をかける、というものだ。要するに失策だったわけだ。規制緩和祭りはちょっとはしゃぎ過ぎたわけだ。国としては「特定地域」だけではなくて、すべての地域で以前のように適正化、健全化したいはずなのだ。なにもその「特定地域」だけで規制緩和が行われたのではないのだから。

飛んで火にいる夏の虫…。
豊川のいなりタクシーは、そんなもうなにがなんでも「減車」というのが御上の方針が決まった真っ只中に、やってはいけないことをやったもんだから、少し厳しい処分を課せられた、そんな感じもする。

昨年夏「白バス」営業で書類送検されたことをこのブログでも書いた。
白バス | トヨタ期間従業員に行こう

ボクは
気持ちは分からないでもない。おまけに申請中の新規事業だ。断ると同じ豊川市で営業している豊川タクシーや豊鉄タクシーに顧客を奪われるかもしれない。許可が下りるまでは「その程度」の運賃で運行して繋ぎ留めておきたいと思ったに違いない。いや、許可が下りるまでは「無料」でも、あるいはこちらからお金を払ってでも関係を保ちたかったに違いない。顧客心と秋の空…。

なんてことを書いた。だって、その規制緩和なければタクシー会社だって運転手だって、もう少し普通の、例えば全産業労働者平均と300万円なんて年収格差が生じないで、ごく普通の生活を送れたかもしれないのだし。そして緩和のあとは規制だ許認可だと振り回される。公共財というのなら、せめて公務員並みの給料を保障しろよ、いやいやせめて公務員様、お代官様の半分の年収でも…。

その「白バス」という罪の沙汰が決まったらしい。営業停止一か月。全車両停止ということらしい。どうなんだろう、これは少し厳しすぎないだろうか。いや、その「白バス」容疑で取り調べられた時に、他の罪も発覚したのだろうか。例えば過重労働とか、例えば無車検車があったとか…。

23台全てが営業停止され、55人全ての従業員が路頭に迷う。
いや、簡単に廃業してしまう社長の罪も問われるのではないのか。(たかだか)一か月の営業停止で全従業員を解雇してしまうというやり方も問題があるのではないのだろうか。そのことを国交省や厚労省は問題視しないのだろうか。

経営者の責任を問うべきではないのだろうか。まだ経営破たんしたということではないのだろうし、今後、例えば豊川タクシーや豊鉄タクシーとの合併ということで従業員を救済できるのではないのだろうか。

いや、でも、従業員(運転手)にロイアリティなんてものが希薄で、「別に」なんて思っていて、「解雇手当の30日分と失業手当が受給できるのだし、別にここじゃなくてもタクシー運転手なら求人あるし」なんて考えているのかもしれない。

結局、タクシーだけではなくて、国の政策に多くの国民が振り回され見殺しにされている。派遣法だってそうだ。

……。

いなりタクシー廃業というニュースを聞いて、そう思った。
豊川稲荷の「いなり」を社名にした名門いなりタクシーの終焉にしてはなにか釈然としないものを感じた。いやそれよりもなによりも神も托枳尼真天もいないのか、なんて考えた。2002年以前の事業者数になるとしたら、今後さらに4000社とか5000社についてこんなニュースを聞くのだろうか。そしてその数の何倍ものタクシードライバーが路頭に迷うと考えたら、やっぱりこの世には神も仏もいないのかなあ、なんて思うのだ。

(参考資料)www.taxi-japan.or.jp/pdf/toukei_chousa/jigyousya_syaryou_suii.pdf

豊川稲荷
地震
バス停には長蛇の列。「神立ち」どころか「神行列」になっている。こうなるとタクシーも忙しい。手を挙げて、なんてケチなことをしているといつまでたっても乗れないでいる。こんな時には一万円札二、三枚を振ると「お、上客だね」なんて運転手も停まってくれる。

「混んでますよ、お客さん」なんて言われて「どうしようかなあ」なんて逡巡していると「じゃ、降りてもらいますかね」なんて強気の運転手もいるだろうから、こんな時は「いや、時間はかまわないんだよ」と答える。ついでに「いくらかかってもかまわないんだよ。今晩中にでも着いてもらえばさ」なんて言うと、「はい、かしこまりました」なんて裏道抜け道を通って、思わぬ早い時間に着いてしまう。タクシー運転手も人の子、上手に使っていただければ…。

その行列、渋谷駅前の話。こっちでも新幹線が止まったから少しは忙しかったかもしれない。ボクはというと夜勤明けで、ウトウトと布団の中。「ん?ユラユラしてるね」「なんかふらふらしてるね」なんて自分の体調のせいかと思っていると、天井に吊るした電灯もグルグル回っている。

「地震だ」と分かるまでに少し時間がかかった。それからテレビのスイッチを入れて、その大きさに驚く。驚くのだけれど、どうしようもないので、再びウトウトとしてると、ユラユラ。ウトウト、ユラユラ。

被災者には申し訳ないのだけれど、クライストチャーチの地震も今回の東北地方の地震も、やっぱり画面の中での出来事でしかない。それどころか「新幹線止まって忙しいかねえ」なんて不謹慎なことを考えるのだから、きっとバチがあたる。

政治も経済も沈没状態。そろそろこの国じたい沈没するのかもしれない。それもやっぱり他人事のようでもある。戦争待望論みたいのがあったけれど、大地震で国が変わるかもしれないという期待をしている人たちもいるだろう。

家も車も家電もすべて、地震で失うとしたら、そんなもの買うんじゃなくて、そうだなあ、貴金属にしていつでも持ち運べるようにしたほうが良いのかもしれないね。この地震で東南海地震がドンと起こるかもしれないしね。明日にでも売っぱらって換金したほうが良いかもしれないか。持たないことが一番の地震対策、そう思うのだけれど。

管首相の「助け合いの気持ちを持って」というコトバがなんだか虚しい。

向山梅園にて
世紀末大地震
ひと晩あけて、その被害状況が明らかになる。壊滅的、というコトバが何度も流れるテレビニュース。被災者も、そして見ているほうも、いったいどうすれば良いのか分からないでいる状態。範囲が広すぎる。米軍の空母が出動したそうだ。大きな避難場所にもなりうるという点で効果がありそうだ。

死者は1000人を超すのかもしれない。仙台市では200人とか300人の死体が転がっているそうだ。

そう言えば、仙台のTちゃんやMさんなんてのは大丈夫なのだろうか。きっと大丈夫ではない。天災は、悲しみや怒りや憎しみなんてものをぶつけるところがないだけに、その悲しみや怒りなんてものが一層つのる。無力さだけが肩にのしかかる。

これだけ壊滅的だとこの国に住む人々は「他人事」ではなくなった。政治も経済も停まってしまう。景気回復なんてさらに遠のいてしまった。雇用問題だって福祉問題だって二の次になる。というか、いよいよ破綻に向かって行く。

破綻しないために政府はデノミを行うかもしれない。その前に円は急落する。それによって本当の改革が始まるのかもしれないけれど、とりあえず世紀末の混乱が始まる。建設関係の株価は上昇する。需要も雇用も増える。日本国中で地震がおきて、全土が壊滅しなければの話なのだけれど。

あの広大な土地が元に戻るのだろうか。農地の塩害はなくなるのだろうか。いったいどうやって片づけてゆくのだろうか。そしてボクたちには何が出来るのだろうか。そういった道を示してくれるリーダーがいるのだろうか。

合掌。



当事者になったときスナック食べて写メなんか撮らない自分であってほしいと願うことしかできないのが正直なところです。


そう思う。
そして、働いて納税する、ということの大切さを考える。それが取りあえずボクたちに出来ることなのだろうし…。
義捐
募金が始まった。会社でも始めた。

ボクたちに何が出来るのだろうか。そして何が出来なのだろうか。それは人それぞれ違うのだろうし、出来ることを出来るだけやればいいのだろうと思う。

ボランティアを考えている人もいるだろう。一刻も早く現場に駆けつけて、なにか手伝いをしたいと思っている人も多いはずだ。

一番大切なことは、優しい気持ちだと思う。募金した金額の多寡でもなく、起こした行動の多少でもない。そして今の哀しみや思いやりの気持ちを忘れないことだ。復興増税で国民全てが哀しみを分かちあう時がくる。そのためにボクたちはキチンと働ける体力や気力や憂国の気持ちなんてものを持っていなければならない。

納税や消費という援助方法もあるということ。国民としての義務を全うすることのほうが持続可能なもののように思う。

昨日今日と売上が悪い。トヨタ自動車が休業、アイシンAWなどの関連企業もラインを停止している。休みなのだけれど、ギャンブルや外食なんてのことは自粛しているのだろう人の出がない。自粛ムードの街は静かだ。もちろんそうなるとタクシーも暇だ。

そんな最悪の売上の中から一万円なんて募金をする人も何人かいる。毎日売り上げの1%を募金するという人もいる。みんな暮らしは豊かではないはずのなのに、そう思うとなにかそのことに対しても泣けてくる。煙草やめた人もいる。その煙草代を復興まで募金するつもりなのだろう。

それぞれが、できることをできるだけやればいいと思う。

昔、ボランティアをやったことがある。その時もそう思った。そして一番大切なことはそんな優しい気持ちだと思った。そして被災者の前ではいつも夢を語っていた。「大丈夫ですよ」というのが口癖だった。なにが大丈夫なのか分からなかったり、そんな根拠のない明るい未来を語ったところで詐欺師みたいだと思ったこともあった。それでも、そういう話をして、そういう話を聞くと、みんなの目が輝いていたし、明るくなった。

この国のこの先は少し暗い。それでもボクたちは何をするべきかを見つけられたんじゃないかと思う。働くという意味や意義なんてことが、キチンと眼前に現れたのではないかと思う。どういう形にしろボクたちはボクたちの国をボクたちの手で救わなければならないのだ。

神山
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