トヨタ期間従業員に行こう

トヨタ自動車期間従業員であった筆者が期間工、派遣社員、非正規社員についてや雇用の問題そして1年間にわたる失業生活、その後のタクシー運転手としての日々なんかをぬるめに書いています。

WiMAXビュンビュンうまか棒
「運転手さん、次の交差点を右」
なんてスマホを見ながら道案内をされるお客様が増えた。道案内をしてくれる人はいいのだけれど、ナビと違うルートで走ると「ええ〜」なんて言う人もいてやりにくい。ナビアプリで表示されるルートが遠回りの場合もあるのだけれど(専用のナビよりはルート選択が甘い)運転手よりそういったデジタルディバイスのほうを信用する人もいる。というか、運転手が信用されていないということなのかもしれないのだが…。

料金検索アプリなんてのもあって(例えば「全国タクシー配車」とか「タクちゃう」)それよりも高いと、これまた「ええ〜」なんてハイトーンで驚かれるお客様もいる。

やりにくい世の中になったもんだ…。なんてボクのような新米が言うのもなんなんだけれど……。

ぬるさ、とか、ゆるさ、なんてものがなくなりつつあるように感じる。個体差みたいなものが排除される傾向にある。

「運転手さん、機械なんてのはいい加減なもんですね」なんてスマホのほうが違っているという思考ができないものかと思うのだけれど、こんなことを書いているボクだってどっちかというと、それに歴史的背景を鑑みたりして、スマホのほうを信じたりするのだけれど。

お客様のデジタル武装が進んでいるのだけれど、タクシー運転手のそれが一向に進まない。車載のナビを使いえない人もいたりして、その格差は拡大の一途…。これって、他の業界だとかなりおかしな関係になる。お客様のほうがその道に詳しいのだから、例えば飲食店なんかだと調理方法をお客様が指示しているようなものだし、建築関係だとしたら設計から施工までお客様がやっているようなものだろうし…。

まあ、そんなものか。今後はナビで出たルートと金額で定額運行するようになるのかもしれないし、そのほうが運転手への負担が少ないと思う。タブレットがメニュー表となって、行先を入力すると道順と金額が表示され、「こちらでよろしいですか?」「はい、それでお願いします」なんてやり取りだけで運行する。

それだと「停まる直前にメーターが上がった」とか「遠回りした」なんてトラブルも起きないだろうし。タクシーに乗った時点でお客様のスマホを読み取って目的地リストなんてのが出たりすると、もう少し簡単になるだろうし。まあ、世の中、そういった流れの中にあって、スマホを信仰するというよりも、言葉よりもコトバなんていう感じのデジタル化されたものとの関係性のほうを好む傾向にあるのだろうし…。

タクシーの車内もそのうち戦闘機のコックピットみたいに装備されるのかもしれないね。別にそういったものがなくても仕事はできるのだけれど、なぜかそういうものが必要になってきていて、それは誰が必要とし要求したのか、なんて考えると、卵と鶏それに神みたいなことになってくるのだろうけれど…。

明日は雪かなあ…。

WiMAXビュンビュンうまか棒
「全国タクシー配車」どうなんだろうね?
タクシー業界では話題のスマホアプリ「全国タクシー配車」なんだけれど、どうもなんだろうね。全国なんてネーミングなんだけれど、使えるのは一部(というかごく一部)の地域だし、愛知県にいたっては名古屋市内だけ。

名古屋市内といっても加入しているタクシー会社だけしか利用できないので、結局は名鉄交通一社だけというなんともお粗末な状況で、「名古屋・名鉄タクシー配車」と呼んだようが良いみたいだし…。「配車エリア拡大推進中」なんて表示されるけれど、エリアが拡大されたとしても、選べるということではなくて系列会社だけになってしまいそうな予感…。

それに所有台数という制限もあるから、配車する余裕がある場合は良いのだけれど、結局は「ただいま混み合っていて配車できません」なんてことになることもありそうだし…。そうなると結局いつものように電話で配車を依頼したり、流しのタクシーをつかまえたりということになりそうだし…。

配車エリア以外の地域、例えばここ豊橋市内も該当するのだけれど、そういった地域だとどうなるかというと、どんな場所でも名鉄系列の豊鉄タクシーが「電話で呼べるタクシー会社」として表示される。もちろん電話番号付きで、それをタップすると豊鉄タクシーの配車センターに電話がかかる仕組みになっている。

それは便利か、というと、逆に不便なのだし、不親切なのだ。例えば東海交通の車庫の横でも「電話で呼べるタクシー会社」は豊鉄タクシーなのだ。実験的にやってみたが、どこでも同じ豊鉄しか表示されない。当たり前と言えば当たり前で、加入しているタクシー会社、その系列しか配車できないシステムなのだからしかたない。(となると「全国」なんてのもおかしな話になるのだけれど)

逆に加入している会社は新たな顧客を開拓できる可能性もある。現在は名鉄の独占状態で、配車エリア外でも「電話で呼べる」タクシー会社にはアプリ経由で電話がかかってきているに違いない。がしかし、例えばこれまで東海交通の独占状態だった豊橋市郊外への配車エリアからも依頼があったりして(たとえば二川とか石巻とか)、そういう場所へは運転手としては行きたくないし、配車センターも断る場合があると思う。だってお迎えに行くのに20分とか30分とかかかって、それで5分10分の場所に送るなんてのは、時間と燃料のムダだし、リスクも高くなる。

電話で「30分ぐらいかかりますが」なんか言われて「それぐらいなら待ってます」なんて奇特な、いや時間を持て余している人なんかいないはずだし…。それでも「待っています」なんて言われと行かなきゃ仕方ないし…。会社としては「差別化」なんてことで嬉々として導入したがるのだろうけれど、運転手としてはこれまで以上に面倒なことになるような予感もする。

スマホのタップだけでタクシーを呼べるということは、運転手にとってはあまり好ましくないことなのだ。これまでのように「声」で判断した情報を配車時に流してくれるということもなくなる。その客が男なのか女なのか、国籍、あるいは泥酔しているのか、なんてことも分からなくなる。なんでもかんでも呼ばれれば行く、なんてことになる。これまで以上にキャンセルも多くなるに決まっている。ボタンひとつという気軽さにはそういうリスクもあるということなのだ。

同一地域で複数の会社が存在するようになった場合はどういう配車をするのだろうか、なんて興味はあるのだけれど、結局愛知県内では名鉄交通系列しか参加しないと思う。となると、首都圏だけの「タクシー配車」になるのだろう。それも単一会社の。

運転手の立場から言わせてもらえば、配車なんてのは暇なときは良いけれど、忙しい時期、時間帯にあると「ありがた迷惑」なのだ。だって、お客様が目の前で並んで待っているのに、わざわざ遠くまでお迎えに行かなければならないのだから。それにタクシーの予約や迎車なんて簡単にキャンセルする人が多い。遠くまでお迎えに行って、キャンセルだった時なんてのはぶん殴ってやろうかと思う。いや殺意まで…。キャンセルしたってあっけらかんのかーで、キャンセル料なんてめったに頂くことはないし…。

そんなタクシーのシステムよりも「全国救急車配車」とか「全国パトカー配車」なんてほうが役立つんじゃないかなあ、なんて思っているのだけれど…。

全国タクシー配車
どこで呼んでも一社しか表示されないのはとても不便だなあ。
県民の森〜鳳来寺
ボクたちは仲の良い姉弟だった。
「だった」というよりも、きっと今もそうなんだろうと思う。


子は鎹、なんて人は言うけれど、親も鎹で、子どもなんてのは親によって繋がれていたりする。ボクたち兄弟もそうだった。父親が生きている間は、なんとなく父親と言う鎹によって繋がれていた。

きっともうボクたち父親の子どもたちが揃って会うなんてことはないと思う。ボクを除いた3人は会うことがあったとしても、ボクだけはなにがあってもみんなと会うなんてことはないと思う。

ボクと兄のちょっとした行き違いからこうなった。それは「生き方の違い」なんて本当はつまらなく、そしてもっともらしい理由で、言葉を替えれば意地とか自我とか我がままなんて、人が聞けば「それぐらいのこと」でボクたちは永遠に会うことのない兄弟になってしまったのだ。

もう少しまともな、例えば遺産相続なんて世俗的な問題だと他人にも分かりやすいのだろうけれど、「生き方」なんて振幅のある理由なもんだから、きっと誰も、そしてボクも、本当のところが分からないでいる。きっとボクのこういう性格が原因なのだろうと思う。

人間関係を疎ましく思い、テントの中で暮らすことに憧れたりする、ボクの持って生まれたものが簡単に兄弟や親との縁なんてものまでも切ってしまえたのだろうと思う。

……。

山を彷徨しながらそんなことを考えていた。5時間ほど歩き続けて鳳来寺山にたどり着いた時には、あの朽ちかけた休憩所に泊まろうかと考えていた。そして雪の舞う山の中の地べたに座り込んだ。

……。

ボクが小学校を卒業した年の4月に、姉と岡城址に行ったことがあった。山道をボクたちは歩いて登った。帰り道、ボクは随分疲れていて、今日と同じように地べたに座り込んだことがあった。そして「もう歩けない」と姉に言った。

歩けないと言ったところで、どうなるわけではなかったし、まさかおんぶしてもらおうなんてことも考えていたわけではなかったのだけれど、その時ボクはあの山道に座り込んだ。半べそかいていた。

姉はずいぶん困っていた。それでも怒ったり、そしてさらに感情にまかせて手を挙げたりすることのない人だったから、その困惑をどう処理すればいいのか分からずに、さらに困ってしまっていた。泣きたいのは姉のほうだったに違いないし、きっと泣いていたのかもしれない。

30分ほどして、ボクは立ち上がり歩き始めた。きっと姉が「文房具屋でブックカバーを買ってあげるから」なんて言ったのだろうと思う。そのあとボクたちは麓にある街の文房具屋さんに行ってブックカバーを買ったのだ。そのブックカバーをずいぶんと長い間使っていたことを憶えている。

……。

ボクはそんなことを想いだしながら立ち上がった。
山を歩くといつもあの時のことを想い出す。もうずいぶんと他のことは忘れてしまったのだけれど、あの時のことはかなり鮮明に憶えている。

あの時は、当たり前のなのだけれど、こんなに深く胸の中に残るなんてことは思っていなかった。そりゃそうで、そんなことを選別して行動しているなんて人はいない。

……。

想い出話になって、うまく結べないのだけれど、たとえひとりで生きていたとしても、想い出なんてもので誰かと繋がっているのだろうなあ、なんて思う。それがどうしたというわけではないのだけれど…。

県民の森〜鳳来寺山〜本長篠駅
SONY NV-U37のGPSログで作成
アウトドアナビは思ったより便利で地図要らず…。
like a Snusmumriken
ものは、自分のものにしたくなったとたんに、
あらゆる面倒が、ふりかかってくるものさ。運んだり、番をしたり……。
ぼくは、どんなものであろうと、見るだけにしている。
立ち去る時には、ぜんぶ、この頭の中に、しまっていくんだ。
重いかばんを、うんうんいいながら運ぶより、ずっと快適だからねぇ!

スナフキン

「運んだり、番をしたり」そのためにひとはエネルギーを必要とする。石油を掘り尽くし原発なんて危険なものまで開発しなければならなくなった。

エネルギーだけではない。ひとびとは手に入れたものを「運んだり、番をしたり」するための、ものをまた必要とするようになった。そしてまたそのものを「運んだり、番をしたり」するための……。

それが大量生産大量消費の仕組みだ。

ものだけではない。己の身体さえもコントロールできなくなり、食べすぎるために痩せなければならない状況になっている。ひとは腹八分なんてことはできない。欲望と欲求のカタマリなのだ。早朝深夜のジョギング、ジムでの運動、健康器具に健康食品…。

あれもこれも食べたいものだから、結局はそれを過剰に摂取したカロリーを消費するためのものが必要になってしまった。そのものを「運んだり、番をしたり……」

それを不自由なんて思わない。それを幸福と言う。ああ、あのスーパーマーケットの二階、窓辺に据え置かれた、まるでハムスターの回し車のようなジョギングマシーンの上を走る、でっぷりと太った男女の、なんと間抜けな顔。

ああ、なんて愚かなひとたち。不健康なジャンクフードを食べて、甘い缶コーヒーを飲み、そして不必要なクルマに乗りたいために、ハムスターにまでなれる人たちよ。

いや、お前たちはハムスターではなくて、経済という薬の治験のために飼われているモルモットなのだ。その回し車に乗るために製造ラインは停まることをしらず、大量の電力を必要とし、人をころし、環境どころかこの地球さえも破壊しているということを知らぬわけではないだろうに……。

スナフキンの名言集
スナフキンの名言集

凍餒
昨日は寒かったね。

観測史上1位の最低気温を更新した地点が全国38か所もあったそうだ。新城市もそのひとつでマイナス8.5℃だったそうだ。豊橋もかなり冷え込んでいて、豊川が凍っていた。凍っていたと言っても、なんというのだろうか、「川溜まり」(たぶんそう言うのだろうけれど)のところ、船が舫っているところ、そのあたりがかなり広範囲に凍っていた。

そんな寒い日に運転するのはかなり神経を使う。路面凍結、スリップしたらそのまま重大事故に繋がる。よく「(凍結していたら)道路がキラキラ光るから分かる」なんて言うけれど、アスファルトの道路はいつもキラキラ光っている。というか気づいた時点ではもう遅い。

本当は走りたくない。本当は休みたい。でも、荒れた天気にはお客も多い。困っている人もいるだろうから、なんて気持ちをアップさせる。こんな日には誰だって運転なんかしたくない。電車も遅れる道路も渋滞。みんな興奮していて真っ赤な顔をしている。寒さのせいもあるだろうけれど。

たまりかねたお客がキレる。「電車に間に合わない」と騒ぎ出す。その電車だって遅れているのに…。「もっと早く行けないのか」なんて愚図り始める。前も後ろも車の列なのに、空でも飛べと言うのだろうか。

「そんなに急ぐのなら歩けよ、禿オヤジ、降りろ」

のどちんこのところまで出かかっている言葉をなんとか押しとどめて「すみませんね」なんて言ってしまう。そんなお客に限ってチップなんてくれたためしがない。駅で降ろしてドアを閉める。「禿オヤジ、転んで電車にしかれろ」なんて呪いの呪文をかける。

ラジオのスイッチを入れる。
中島みゆき…。

タクシー・ドライバー 苦労人とみえて
あたしの泣き顔 見て見ぬふり
天気予報が 今夜もはずれた話と
野球の話ばかり 何度も何度も 繰り返す

酔っぱらいを乗せるのは 誰だって嫌だよね
こんなふうに道の真ン中で泣いているのも 迷惑だよね
だけどあたしは もう行くところがない
何をしても 叱ってくれる人も もう いない

タクシードライバー 中島みゆき 歌詞情報 - goo 音楽


たぶん、この歌に、きっと、何万人ものタクシードライバーが励まされ勇気付けだれたのだろうと、思う。少し泣けてきた。そしてまた走り始めた。

豊川 凍る
豊川も凍った。豊橋河川敷にて。
別府大分マラソン
休日。別大マラソンを見ている。
マラソンが好きというわけではなくて、懐かしい風景、そして想い出なんてものが溢れている。ああ、もうすぐ観光港で、いつも行ったきりん亭なんてのが映らないものかと目を凝らす。

別大国道もボクが住んでいた頃なんかよりもずいぶんと変わってしまっているのだけれど、背景に見える高崎山は相変わらず別府湾の中へ遠慮しがちに、その綺麗な足を、差し込んでいる。

1986年。ずいぶんとむかし。それでもボクの中ではかなり鮮明にあの頃の風景とか想い出が存在していて、Sさんとのもうどうしようもない恋愛に引きずられて、彼女の着ていたスカートの色なんてのもまでまだハッキリと想い出せるほど、ボクにとってはそれは圧倒的な時間なのだ。

国道10号線を富士見通りで左折する、坂を登りアパートの前で車は停まった。Sさんは「ありがとう」と言った。ボクは、あの時何を言ったのだろうか思い出せないでいる。何も言わなかったのかもしれない。ボクはドアを閉めて、Sさんがアパートの交差点を右折するのを見送った。きりん亭の前だった。相変わらずおじさんは麺打ち機を廻していた。
なんてボクがノートに書きつけている場所が、今テレビの中にあって、まるで愛おしい人の遺影をみるようで、ボクを切なくさせる。

ああ、また別府に住んでみたいなあ、なんて思っている。どんなに貧しくてもいいから、あの頃のように明日のことを考えられるような毎日、たとえそれがなにひとつ根拠のないものであってもボクの中に何か熱い気持ちみたいなものがある毎日を過ごしてみたいなあ、なんて思っている。

いや、何もなくても、いまのような煩わしい日々を送るのではなくて、明日というものに担保をかけられるような日々を過ごしてみたいなあ、なんて思う。

いや、もうホームレスでもいいから、この画面に映っている街に移り住みたいなあ、なんて思っている。

あれから、ボクはいったい何をしてきたのだろうか。街はずいぶんと変わってしまっているのに…。あの頃のスタートラインよりはずっと後方のところにいて、そしてまたあの頃のような日々に憬れている。出会った人びとはもう違うところへ行ってしまっていて、ボクはこの街(テレビに映っている)を出てからは、旅人の日々を過ごしている。

在りし日のビーチ 横枕義郎

その頃、ボクたちが見ていた高崎山下、海たまごあたりのビーチ。ああ、あの道路脇のパーム椰子はまだ在るのだろうか。
初梅
一日中雨。
この雨でインフルエンザウィルスの増殖も少しは抑えられたのではないかと思ったり…。あるいは乾燥肌の人には恵みの雨だったり…。梅の花芽にも滋養の雨だったり…。

そう言えばほとんど牛肉を食べない。食べないのだから買わない。もっぱら買うのは鶏肉とたまに豚足。その鶏肉や豚足さえ「食べたいから」なんてことよりは、タンパク質補充なんて健康を気づかっての選択だったりする。魚は酒のアテに刺身とか酢の物とか焼いたり煮たり…。

ベジタリアンと言ってもいいほどの食生活。牛肉はすき家の牛丼でしか、もう半年、それ以上食べてない。普通はもう少し頻繁に牛肉を食べているのだろうなあ…。焼肉とかカレーとか、この時期だとすき焼きとか…。

「人間はその時食べられるものを欲する」なんてことをいつかこのブログで引用したのだけれど、「動物を狩れる」から「肉を食べられる」ということ。きっと多くの人はそんなもんで、高齢になればなるほど野菜や魚を嗜好するようになる。肉が食べられなくなる。歯、胃、顎、なんてものが弱くなるし…。

血の滴るステーキなんて想像しただけで…気持ち悪くなる。少し前までは欲求はあったのだけれど、なんといっても血だ。どう考えても血なのだ。

いろいろな欲が減っている。「酒もいらなきゃ女もいらぬ、わたしゃも少し背が欲しい」なんていうコメディアンがいたけれど、酒も女も背も欲しくない、ついでの金も欲しくないのだから、困ったもんだ。(そこその生活できるほどの金は欲しいけれど、年収120万円ぐらいでも今の生活レベルは維持できるかなあ)

そう考えると、月10万円ほどの仕事はないものかと…。豊橋によくある大葉の内職なんてのを考えたことがある。それだけだと月10万円は難しそうなので、プラス新聞配達をするとか、月数回の派遣の仕事とかないものかと考えたり…。

家政夫なんてのはないだろうか。家政夫のミタ、なんて…。家事も仕事となると面倒くさくなるかなあ。うるさい雇主だと嫌だし。蒟蒻問答の八五郎のように、どこか空寺の住職にでもなれればいいのだろうけれど、そういった知合いも、まして才能もないし…。托鉢僧にでもなるか、なんて考えたこともあるけれど…。

ああ、今日はも少しまともなことを書こうと思ったのだけれど…。またダラダラと意味のないことを続けてしまった…。

向山梅園の梅、日当たりの良い場所の木、いや早咲きの品種なのか、蕾が大きくなっていた。この暖かさでまた少し大きくなって2週間後には見頃になるんだろうね。また梅が咲いて、そして桜が咲いて、ボクだけが咲かずに取り残されていくような…。

さてと、寝るか。

2012年初梅
向山梅園 2月5日
貧困指数
ワーキングプア、いわゆる働く貧困層の定義を「年収200万円」と思っている人も多くて(ボクもそのうちのひとりなのだけれど)、そのコトバが流行した当時の「東京23区の生活保護水準が年間支出194万6040円」という数字を根拠としている。要するに生活保護=貧困なのだ。

年収200万円となると、アルバイト・パートで生計を立てている人や身近なところでは半数近くのタクシー運転手がこの国の貧困層ということになる。もちろんボクもめでたく貧困層の仲間入りだ。

2009年では1100万人、労働者全体の24.5%を占めているという調査結果もあり(国税庁『民間給与実態統計調査』)そうなると、労働者の四分の一は貧困層というのが世界有数の経済大国日本のすがたなのだ。

ところがその貧困窟の住人というレッテルを貼られているボクが、その貧困にあえいでいて買うものも買えずに食べるものも食べられないような状態にあるかというと、前回も書いたようにけっしてそうではなくて「もう少し低賃金でも良いのになあ」なんて言っている。そうして今の生活をかなり満喫している。

もちろん貧困をエンジョイするための知恵、抑制、諦念、技術…なんてものも必要となるのだけれど、それでも特に問題にはならないし、例えばスーパーマーケットなんかであなたがボクを見たとしても「オヤジのくせにかっこいいよね」なんて思うに決まっている。だってユニクロなんてチャチな洋服なんざ着ないし、キチンと頭から爪先まで手入れしているし…。

そしてそのユニクロなんて量販店にたむろする富裕層を見学に行って「もう少しキチンとしたフリースを買えよ」なんてpatagoniaを着てうろつくなんてプアなことをしている。そうなると見た目どちらがプアなのかリッチなのか分からない。

ボクのような貧困層もいるのだからまったく幸せな国がこの日本なのだ。

その幸せな国の厚生労働省が貧困を測る新たな指標を定めることになったらしい。要するに大雑把に「200万円以下」なんてことや「相対的貧困率」なんてものでの物差しを止めるらしい。となるともう少し水準が下がるのかもしれない。例えば「年収150万円以下」なんてことになって、それに伴って生活保護支給額も低減されたりする可能性だってある。政府の「見直し」なんてのは国民に有利に働くことはほとんどないと思った方がいい。この財政難だし。

貧困を把握する代表的な物差しには、経済協力開発機構(OECD)の調査などで使われる 「相対的貧困率」がある。2010年調査(09年時点)で日本の「相対的貧困率」は 16・0%で、おおよそ6人に1人が貧困とされた。07年調査より約0・3ポイント悪化し、 過去最悪。OECDによる00年代後半の調査の国際比較では、日本は 加盟34か国中下から6番目だった。

ただしこの指標の算定基準は収入だけで、資産や医療や介護のサービス受益などは考慮されない。貯金や持ち家があっても所得がなければ「貧困」と判断されてしまうこともあり、「実態を見るには不適当」との指摘が上っていた。また国際的にも別の指標を加える動きが広がっており、欧州連合(EU)では、貧困の継続状況や、寿命など14項目からなる指標を独自に導入。イギリスも複数の指標を取り入れた。

こうした動向も踏まえて厚労省では専門家による検討会を発足させ、来年度中に 成案をまとめることにした。新しい指標には失業率や医療をどのくらい受けているかなどの 項目に加え、「食事に困っていないか」「携帯電話などの必需品が買えるか」など、生活に密着した項目を入れることも検討する。指標は、生活保護の基準や年金制度の見直しなどの政策立案に役立てていくという。

YOMIURI ONLINEのページが消えていたので2ちゃんねるから引用しました


「生活に密着した項目」を入れられると、ボクなんてのは貧困層から抜け出せそうである。たぶんかなりの人たちが貧困層から抜け出して、この国は経済大国なりの豊かな国としての体面を保てそうである。そして生活保護の基準や年金の見直しというところで国の都合のいいように改革されるのだろう。

どうせなら発展途上国の貧困を測る「貧困指数」なんてものを用いれば良い。曽野綾子先生も「昼寝するお化け」にアフリカならば「あなたは雨に濡れないで寝ていますか」なんてアンケートになるというようなことを書かれていたけれど、この国にも人間貧困指数を用いればいい。

(4)就学平均年数 25歳以上の就学平均年数
(5)安全な水が1km以内で得られない人口割合
(6)5歳未満の低体重児の割合
(7)満1歳未満の死亡率
(8)満5歳未満の死亡率
(9)栄養不良の人口割合
(10)トイレ(があるかどうか)
(12)医師などが補助した出産
(13)出産時の母の年齢15〜19歳
(14)避妊の普及率
(15)はしかワクチン接種率
(16)結核罹患率

統計局ホームページ/世界の統計 第11章 国際開発援助

なんてものだとしたら、この国のホームレスの人たちだって貧困層ではなくなるかもしれない。だってこのどれをもクリアする可能性だってあるわけだし。

貧困層と言われ人たちを保護、救済し、最終的になくすことを目的として「新たな指数」を定めるのだとしたら、基準を下げようなことをすることはない。大雑把に「年収200万円以下」なんて基準でいい。下げることによってかえって救済されない人が増加する。

人類的にみれば、ほとんどの日本人は裕福である。だけれど貧困問題が存在するというのは、それはやっぱり政策の失敗であり、社会の問題であり、企業の問題である。同じ仕事をして同じ職場で収入格差が生まれる。同じ仕事をしているのに、一方は富裕層で一方は貧困層である、そういった図式が何の問題もなく存在するこの国の仕組みこそが貧困層を増加させているということをまだ分かっていない人がいる。

そうしてこの国に対して見切りをつけて、消費活動や生産活動を脱した人たちが増えるということのほうがこの国には重大事なのだ。

「レクサスを買うことができますか」なんてことを質問する方がこの国のためには良いはずなのだ。そしてそこを基準として国を変えてゆく、なんてことを考えるほうが国益につながるのだ。

さてと寝るか。

タンザニアのタクシードライバー
タンザニアのタクシードライバー。
「昼食は」という質問に「まだだ」と答えると、ドライバー氏の自宅に招待されご馳走になった。もちろん無料。無料なんだけれど、次の日も彼を指名した。日本人の性格を熟知しているのだろうね。ボクから見れば貧しい人たちでも、彼らには貧しいという意識がなく、それどころかかなり豊だ。あくまでも基準は彼らだ。
祥月
8日は父親の命日だった。
相変わらずボクはここにいて、墓参りさえも行かないでいる親不孝者だ。墓参りに行ったからといって何か奇跡が起きるわけではないのだろうけれど、例えば、たまに訪れる精神の不調の時や、死への憧憬を抱く時には、父親のことを強く思い出してしまい生まれた街への望郷の念にかられ、そうして墓参りを考えることによって、きっと精神が正常へと戻るように感じる。また、ボクが世を捨て悪人になることへの抑止力にもなっているようにも思う。死者の力、なのだろう。

ブログ6周年

10日はこのブログの開設した日で、もう6年。もう6年も毎日のように書き続けている。これも、こうして書くことでボクを正常化してくれる。全てが正しくて、そして全てが本心ではないにしろ、ボクを支えてくれるツールになっていることには違いない。トヨタにいる頃は、書くことによって、というよりも、コメントなんてものにずいぶんと励まされたのも確かだ。

6年というと、小学1年生も中学生になる。高校受験だった人たちも就職活動をする頃になった。当たり前のことなのだけれど、ボクは6歳年をとった。

良い悪いということではなくて、トヨタ自動車、期間従業員というシステムがなければ、ボクはここにいなかったのだろうし、こうしてタクシー会社に勤めることもなかったのだろう。そして出逢いや別れなんてものもなかったのだろう。

多くの期間従業員が、ボクと同じような気持ち、それはなんとも説明しがたい後悔なんてものを微妙に含んだものなのだろうけれど、そんな気持ちを抱いているのだろう。期間従業員としてのその期間がボクたちの人生にプラスになったのかということ。ボクたちにとって、その期間は、失われた時間なのだ。

自動車メーカーや家電メーカーのためにこの国の若者が犠牲になったということ。それはまるで「赤紙」で若者を戦地へ派兵させ見殺しにしたあの戦争のようなもの。エコカー補助金やエコポイントにより特需をつくり、経済と言う戦争のために見殺しにしたようなもの。

そうしてこの国が豊かになったのか、そうしてこの国の製造業が発展したのかというと、結局は負け戦。いよいよ本土決戦となっては、逃亡の大本営。国を捨て亡命しようとする企業たち。

ある意味では大正解。この国の若者の精気を抜いたのだから。デモをやる気力もテロを起こす勇気もない若者たちのそのやるせない気持ちの捌け口は、パチンコ屋でありネットの中。正社員も結婚もあきらめて、あとは月6万円ほどの年金でどうやって暮らすかということを思案する毎日。

……。

トヨタの正体がバレて、期間従業員なんてのが使い捨ての道具だと分かっていても、なおもやってくる若者たち。考える力もなくした若者は家畜人「キカーン」となって奴隷のように使い捨てられるのだろうか。

……。

鬼祭りとたんきり飴
「赤鬼、めっちゃ話してる、世界観ぶち壊しじゃん」
隣の女子高生の言葉に笑ってしまったのだけれど、その豊橋東高校の女の子の「世界観」とはいったいどういうものなんだろうか、なんて考えてしまった。彼女たちの宗教的あるいは歴史的なんて世界観において、赤鬼は無口でそして文字通り「(こわい)鬼」に違いない。いや普通はそうなのだ。鬼がコソコソヒソヒソ人間と語らい、そして「鼻の穢れ(鼻くそ)」や「股の穢れ(うんこ?)」なんてのを投げつけるなんてことは、これまでの彼女たちには思いつきもしなかったのだ。

そういうことが妙にリアルにそしてみょうにユーモラスに目の前で行われている。鬼祭り、確かに奇祭だ。

安久美神戸神明社(あくみかんべしんめいしゃ) 鬼祭(おにまつり) 詳細情報│地域文化資産ポータル

ボクはと言えば、実はたんきり飴を拾うのが目的で、朝10時から見に行った。そうそう「拾う」ということなんだけれど、「飴撒き」なんてのがあって、それもこのお祭りの名物なんだ。飴を撒く、なんて伝統文化がほかにあるのだろうか。餅ならいたるところにあるけれど…。それに飴もだけれど、飴といっしょに撒かれる白い粉をかぶると厄除けになるなんて言われている。

綺麗な袋に入れられているのだけれど、昔はそのまま直に飴を撒いていて、地面に落ちた飴を拾って歩いていたんだろうね。そう言えば餅まきの餅なんてのも、最近のは個包装になっていて、ずいぶんと衛生的になった。生で食べるわけではないので、そのままでも良いと思ったりするのだけれど…。

ああ、そうそう飴、結局3個しか拾うことができなかった。こういう性格なもんだから、「オラオラ、オレんだぞ」なんて子供や女子高生を相手に競ってもしかたないので、目の前に来たのをダイレクトキャッチするぐらいしかできなかった。いつもそうなんだけれど…。大人だしね。

それでも、まあ、ボクひとりが食べる、いや、ボクひとりの厄を祓うには十分の数なのだ。飴の味はというと、素朴な味なのだ。ボクたちはもういろいろな味に慣らされてしまって、それに甘味料なんてものが溢れているものだから「素朴」なんて形容をしてしまうのだけれど、きっと昔の人たちにとっては美味なる貴重な糖分だったんだろうね。

貴重な砂糖なんてのは今よりもずっと少ない割合だっただろうから今よりももっと「素朴」だったのだろうし。

豊かになるってことは、そういう素朴さとか純朴さなんてものを捨てるってことなんだろうね。ボクが幼いころは、神楽に出てくる鬼の存在や、月のうさぎの存在なんてのを信じていたし、まあ、神罰なんてのがもう少し生活の中に浸透していた。今は、隅から隅まで知り尽くすような状況になっていて、まあ「めっちゃ話しているし」なんてことを不思議に思わなくなっているんだろうしね。

確かに鬼が人と話しているというのは不自然なことだねえ、う〜ん、そりゃそうだなあ、なんてオジサンもめっちゃ思っているんだよ。「世界観」かあ…。


豊橋鬼祭り
たんきり飴の「切」(?)じゃなくて、町名かな。

豊橋鬼祭りとたんきり飴
三種のたんきり飴。左から神社で販売しているもの(200円)、飴撒きで撒かれるもの(無料)、小鬼担当の札木町が撒くもの(これまた無料)
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