トヨタ期間従業員に行こう

トヨタ自動車期間従業員であった筆者が期間工、派遣社員、非正規社員についてや雇用の問題そして1年間にわたる失業生活、その後のタクシー運転手としての日々なんかをぬるめに書いています。

血圧とカリウム
タクシードライバーは血圧が高い人が多い(と思う)。ボクも高い。その理由として、
(1)運転という連続した緊張
(2)長時間労働による睡眠不足
(3)(1)や接客業というストレス
(4)不規則な食生活
(5)喫煙率の高さ

なんてことがあげられる(と思う)。不規則な食生活がドカ食いになり、きっと糖尿病の人も多いに決まっている。糊口をしのいでいるのでいる、そんな生活なので、高カロリー高たんぱくなんていう食生活ではないのだけれど、その食生活がゆえに糖尿病や高血圧症になる原因なのだろう。運動不足だとしても、その運動をする余裕もない。ジョギングやジムなんてのは生活に余裕のある人たちの遊びなのだ。

そうそう、とても寒い、そして雪のバレンタインデーだった。「運転手さん、これ」なんてこともなく、結局義理チョコみたいなものをいただいて、それをつまみに酒を飲んだ。日本酒とチョコレートってのもなかなか合うもんだ。でも、これって結構高カロリー、高糖質なんだろうなあ…。

慌てて毒消しにトマトジューズを飲む。効果あるのか…。

エクチュアのチョコレートと上善如水

「We make chocolate with "海の宝物"」だって。魚の燻製とか、真珠とか、まさかウニなんてのが入っているかと思ったけれど、塩だった。チョコレートの上にマグロの刺身なんてのが乗っていたら驚いただろうに…。

とかとか、塩チョコって血圧に悪いじゃん…、というか、ポリフェノールで相殺か。

そう言えばPLAT、志の輔師匠が4月20日に独演会をやるらしい。会員先行先着順で15日10時から予約受付だった。もう一周年なんだね。

誰がためのPLATなのか?志の輔師匠「ガッテン」しますか? | トヨタ期間従業員に行こう

一年前の高座開き公演と違って(たぶんボクだけではなくてずいぶんと不満の声が多かったに違いないのだろう)今回は抽選なんて不透明なものではなくて、先着順だ。それもネットだけではなくて電話受付もある。当たり前だ。ネットなんてまだまだ一部の人のものだ。

まあ、このことは改めて書く。PLATとは絶縁していたので、どうでも良い施設だし、まあ、同じ4月にあるアイプラザの「春の競演 豪華名撰落語会」のほうが興味あるもんね。それで15日の夜、PLATのサイトを見たら完売していたので、ああやっぱりね、なんてガッテンしたんだけれど。どうせまた豊橋市、東三河以外の観客のほうが多いんだろうしね。市民には周知されないまま完売になったんだろうね。ああ、やっぱり誰がためのPLATなんだろう…。(市報には出た?)

「東三河市民のための演劇・舞踊・音楽等の芸術文化の振興と芸術文化を活用した市民の交流と創造活動の活性化を図るため」ならばなにも志の輔師匠じゃなくても良いのにさ。

ま、いっか。あまりカリカリすると血圧が上がるしね。

立川志の輔独演会

てなことで、寝る。
名古屋無差別殺人未遂事件について考えたこと
報道では「誰でもよかった」ことについての見出しが多いのだけれど、ふつうこんな事件ってのは「誰でも」いいんじゃないのか?無差別殺人事件というのは、今回だけが特異なケースではなくて集団がある限りかならず起こり得る犯罪だろう。文明がそれを可能にしているということもあるし、その量(殺傷者数)を増大させているということもあるし、「驚くべき」事件でもないし、社会と文明の高度化がその頻度を上げているので、「ふ〜ん、またか」なんてぐらいにしか感じないボクは異常なんだろうか?

加藤智大とか引寺利明なんて、まだ記憶に新しくて、ネットなんかでは「ネ申」なんて言われたりするんだから、今回の大野木亮太というのもそいつらの手口をまねして「ネ申に!」なんて思ったとしても不思議ではないと思うんだが。「誰でもよかった」、個人的怨恨でもなければテロでもないのだろうから、結局は将来に夢も希望ももてない若者が自暴自棄になったら、これぐらいのことは平気でやるということ。まあ、何度も書いているけれど、犯罪は狂暴化する傾向にある。

だって、社会からも家族からも孤立してしまっているんだから、何が、そして誰が彼を止められる?犯罪の抑止力ってのも集団なんだし、理性なんてのも孤独の前では無力だし。

「人の痛みを」なんて教育の大切さを説く人も多いけれど、本人が重傷なんだから他人の痛みどころではない。そもそも「人」ってのが誰だか分からないだから。それほど孤立しても生きられる世の中になってしまったってこと。

マツダ車のエンブレムがテレビ写った時には「名古屋でマツダかあ」なんてやっぱり加藤と引寺を連想してしまって、まあ、犯人にはそういう意図はなかったのだろうけれど、クルマ社会の恐怖なんてこと(凶器としてのクルマと経済の象徴としてのクルマ産業)を含めて、老人と若者が孤立化する国家になってしまったことについてなにか手を打たないと、家庭の問題とか病気なんてことで片づけてはダメだと思うんだけれど。

オリンピックの輝き、そしておのれの陰、絶望するかもしれないね。若者にとって夢も希望もない国なんだしさ。大逆転なんてのは普通は無理なんだろうし…。

それとこの手の事件を報道する意味ってのもあるのかなあ、なんて思ったりもしてる。逆に煽ることにもなるしね。報道のしかたのほうが「異常」だと思うし。まあ、「かわいそう」なんて視聴者よりも「うひゃ〜」なんて人が多いのだろうし、それは火事見物みたいなものかもしれないと、不謹慎かもしれないけれど思ってる。

さてと寝るか。

名古屋無差別殺人事件

安全な場所なんてほとんどないってことだ。
夜行バス事故と睡眠時無呼吸症候群
制度改正や基準強化による安全策が採られたとしても、人間が関わっている以上こういった事故はなくならない。いや今回の事故は、逆に、関越道事故による制度改正がもたらしたものだとも言える。交通事故はなくならない。夜行バス事故もなくならない。

睡眠時無呼吸症候群(SAS)を患っていたことが論点になっているのだが、その検査は義務化されていないし、検査を自主的に行ってた宮城交通の安全に対するマネイジメントは間違っていなかったし、そのことを責められるのはまた違う問題だと思う。義務化されていたとしても「要経過観察」という診断結果なので恐らく業務に就いていたのだろから、宮城交通の運行管理体制には問題なかったと考えるのが普通だろう。

義務化されていない検査について、それをもって事故原因についての争点にするのならば、今後義務化されていない安全基準については行わないほうが身のためという風潮にもなりかねない。そうなれば旅客業者各社の安全に対する意識低下にもつながる。

「要経過観察の運転手をなぜ運転させた」という一部マスコミの論調はそもそも間違っている。運転させても良いことになっているのだから運転させた、ということが責められる理由、その根拠はどこにあるのだろうか。

となると今回の事故、主犯は誰だったのか、というと、あの関越道の大惨事によって強化された制度と基準、そしてほとんど手を付けられなかった制度と基準にある。

昨年8月から、1日当たりの夜間運転を原則400キロ、高速道路の連続運転を2時間に制限し、交代要員の配置義務という安全基準強化が行われた。

今回もその基準に沿って運行していた。しかしこの基準自体が事故を起こす要因にもなったのだ。安全になるはずの法律が逆に危険に働いたのだ。どういうことかというと、

(1)基準強化によって運転手不足になった。
(2)11日間連続、12日間連続という勤務シフトになった。
(3)2時間しか仮眠をとれなくなった。

のだ。

今回の運転手も昨年4月から夜行バスの運転手になった。そして11日間、12日間という過重労働になった。もちろんそのことも安全基準内のことだ。そして2時間という中途半端な睡眠時間が逆に居眠りを誘う。仮眠という数字上の実績だけが安全を満たしていて、実は運転手の健康には負担になっていた。

居眠りや過労による事故を防ぐための(中途半端な)法強化が事故を招く。そもそも夜間労働じたい健康にはよくない。睡眠時無呼吸症候群でなくても昼間に熟睡できるわけがないのだ。ボクだってそうだ。タクシー運転手は慢性的な睡眠不足なのだ。それでも夜行バスと違って眠くなったら停車してすぐに仮眠できる。連続運転時間も1時間以内がほとんどだ。だからそういった症状を患っていたとしても事故に繋がりにくい。

高速道路という限られた停車場所で、限られた時間に運行しなければならない夜行高速バスの事故は起こるべきして起こる。人間が運転している限りなくならない。それは交通事故と同じなのだ。ほんとうになくす気持ちがあるのなら、運転手が健全に暮らせるということを考慮した、健康管理だけではなくて待遇面も含めた再発防止策、法整備が必要なのだろうと思う。

そして健康管理面だけではなくて、年休を取りにくい社内環境、夜間バスに乗らなければならない低賃金、11日間連続勤務をしなければならない運転手不足とダイヤ…このあたりにも国交省は手を入れるべきだと思うのだ。睡眠時無呼吸症候群だけが集中的に俎上に上げられているけれど、運転手のワークライフバランス、生活の豊かさこそが最大の事故防止策だと思うのだけれど…。

夜行バス事故 関越道
高速バス事故7人死亡 群馬・藤岡の関越道 - YouTube

睡眠時無呼吸症候群のため「無罪」 自動車で人をはねたのに「過失なし」は妥当か?|弁護士ドットコムトピックス
トヨタのベアと増税後の期間従業員の採用予定を考えてみた
期間従業員の日給が200円アップするらしい。これは月額にすると4000円で、労組が春闘で提示していた正規社員の満額回答4000円と同じ数字だ。アイシン、トヨタ織機などの系列企業の非正規社員についても日給、時給が上がると思う。きっとみんな喜んでいるのだろう。ほんとうにそれで良いのか?

トヨタ自動車の2014年度新規採用計画が発表されて、13年度(1352人)とほぼ同数の1350人だそうだ。2年連続世界一になって来年度も世界1043万台を計画しているとはいえそれは世界でのこと、国内の生産台数は4月以降減少するだろうからこの数字になったのだろう。4月以降の生産計画も発表されていて1日あたり12000台、昨年より1000台ほど少ない。今現在(14000台)よりも2000台も生産台数が減少する。

リーマンショック後の09年度以降と同じ1200〜1300人台が今後も続くのだろう。だって今後国内販売数が劇的に増えるなんてことも考えられrないし、生産拠点はグローバル化しているわけだし。ベアがあったのも増税景気での増産ということだけで、今後またなにか国家による増税とか減税なんてものがない限り劇的にクルマの販売数が増えるなんてことはないのだから、増税ベアと言ってもいいと思う。

ということは期間従業員からの登用数も例年並みで、募集人員はその差分、12/14、15%ほど減少するのだろ、と単純に計算されるものではないとしても、また期間従業員の募集が恒常化される。ボクが初めてトヨタの街に来たときのように、アルバイト情報誌の背表紙一面に「募集」の文字が躍る。それは決して良いことではなくて健全な姿ではないとしても、需要はあり、この国の雇用問題にはじき出された人びとにとっても必要不可欠な藁となっている。それがたとえ中毒性のある阿片だとしても、この国の経済というヒエラルキーのもとでは、底辺は、その巣窟にすむ住人は不可欠なのだ。阿片窟の住人の低賃金によって、その格差によってこの国の繁栄は約束されている。トヨタの利益も生じるし、経営の安定も約束される。国民の三分の一が「非」なんて国は、それおどあるものではない。

ボクたちタクシー業界にとっても、その阿片窟の住人は、豊橋に飲みに来ては帰りにタクシーを使い、遅刻するからと言っては通勤にタクシーを使うのありがたい存在なのだ。期間工に来るぐらいの愚か者なので経済感覚なんてものもどこかブチ切れていて、その200円アップの効果というものは恐らく2000円分ぐらいはある。9000円×3%=270円なんて計算も出来ないのだからおめでたい。で、結局、期間工スパイラルに陥ってしまう。期間工スパイラルなんて言うとカッコ良いけれど、要するに格差の固定化だ。貧困の連鎖だ。国も衰退する。

結局200円アップなんてトヨタが「どうよ」なんて顔をしても、それは消費増税分にも満たないということなのだ。おまけに愚かしいので200円以上の消費を増やす。国家にとってこれほどありがたい人たちはいない。まあ、そういう人たちを製造しているのも自動車ラインなのだけれど。

まあそれでも一日200円、時給にして30円弱も昇給したのだからおめでたい。というか、その額って、758円から780円に改正された愛知県の最低賃金アップ分と同じぐらいなのだから、まあ、それぐらいは普通は上がるはなあ、なんて額なんだから、あまりありがたくもないということが分かる。

それでもこれを読んでいる多くの期間工諸君には感謝感激の出来事で「さすがトヨタ労組」なんて泣いているヤツも多いのだろうね。マスコミもそうだけれど、誤魔化されるなってことだ。「特別手当10万円」につられ「日給200円アップ」につられ、おまけに「登用制度あり」につられるんだから、まあ、おまえらはやっぱり愚か者ってことだ。ボクには「期間従業員募集」が「愚か者募集」に見えるけれど、ホイホイとそんな甘言に釣られてはダメなんだよ、ってことで、今年も去年並みに愚か者、もとい、期間従業員の募集はあると思うよ。

トヨタ自動車 生産計画

<春闘>トヨタ、ベア2700円で決着へ (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

トヨタ、14年度の新規採用1350人 13年度比横ばい、技術職中心  :日本経済新聞

愛知県の最低賃金が改正されました - 設楽町ホームページ
梅、震災から三年
暖かい午後、公園に行った。盛りを過ぎていたんだけれど、まだ遅咲きの梅が残っていて、暖かさも手伝ってか(たぶん、散り際のほうが香りが強いのだろうね)公園は梅の香りに包まれていた。去年も、そして一昨年も、それからあの三年前も咲いていた。同じところに同じ梅の木があって、やっぱり同じように咲いていた。

永遠、同じように繰り返される。それは、きっと、幸せなことなんだろうね。

今年の冬は寒かった。きっとその寒さがボクを今まで以上に出不精にしていて、梅もやっと散る頃になって見ることが出来たし、冬の間、休みはと言えばアパートとスーパーの往復ぐらいしか外には出ない生活をしていた。友だちも家族もいないということは、案外気楽で、お年玉とか冠婚葬祭なんて出費の恐怖もないし、見栄なんてものからも解放される。世間体、なんてよくわからないものとは無縁の生活は、良いことなのか悪いことなのか分からないけれど、ボクには似合っていて、というか、低賃金なボクでも、質素な生活でもなんら不自由がない、ということになって、やっぱり便利なのだ。

例えば子供や家族がいたら…まずこの安アパートでは住めない。ひとりでも息苦しいのに。家族に子供かあ……、考えるだけで気が狂いそうになる、というか、無理だ。

とは言っても「男やもめにウジがわく」なんてことはなくて、たぶん、けっこう小ざっぱりしている。スーパーに行くにも、公園に散歩に行くにも、ジャージ姿なんてことはなくて(というかジャージを持ってないのだが)キチンとしたかっこうで行く。スーパーのお姉さんに気があるとかではなくて、やっぱりキチンとしているのが性に合っているからだ。

あの震災から少し生活が変わった。例えばゴミの分別をキチンとするとか、環境に優しい洗剤を使うとか、ボクに出来ることをボクなりにやっている。それは将来の人たちへの扶助というか、ボクたちはそれほどひとりではない、ということを考えたというか。

たぶん、あれからボクたちの体質は少し変わったと思う。ボクたちの生きている意味とか、働く意味とか、それに学ばなければならない意味なんてものを、それぞれがかなり深刻に考え始めたと思う。ボクたちはずいぶん悲しい光景を目の当たりにして、ずいぶんと涙を流した。そうしてその涙が優しさに変わったのだろうと思う。

そうは思うのだけれど、やっぱり犯罪は狂暴化している。逆に、ボクたちは世の中の刹那さを知ったのかもしれない。というか、やっぱりひとりなんだと、誰も助けてはくれないんだと、かなり多くの人たちは思っているのかもしれない。

子供や家族がいなくても、ひとりではないと感じさせる国家が必要なのだろうと思うのだけれど、相変わらず格差なんてものは拡大する一方だし、派遣切りはなくなったとしても、国家から切り捨てられている若者は増え続けて非正規が恒常化している現状ではやっぱり「ボクたちはそれほどひとりではない」ぐらいしか感じられないのだろうね。

向山公園 梅 2014年

2014年 向山公園の梅
小保方さんと受験生
地震で眠れない。
2時少し前に、ちょうど地震の少し前に、目が覚めていたボクは、風呂に入っていて揺れには気がつかなくて、2時12分ぐらいにメールで地震のことを教えられた。虫の知らせなのか、春の嵐のせいか、疲れているはずで寝不足のはずなんだけれど、寝つきが悪かった。

ほんとうにへんてこりんな天気だね。

受験シーズン、最近では高校入試でも面接があるとかで、その面接での採点がどれほど合否に影響するのか、筆記試験とのバランスはどうなっているのだろうか、なんてことを考えている。

きっと「地震について学んでみたい」、もっと具体的に「東京大学地震研究所で研究したい」なんてことを、その面接で答えた人もいたんだろうね。「立派な大人になりたいために、貴校に入学したい」なんて答えだと、きっと弱いと思うけれど、中学生ならそれもありかもしれないか?

高校ってのは、特に進学校なんてのは大学へのステップなのだろうから、その先を明確に語れるかどうかなんだろうけれど、でも、それって15歳なんて子供には酷じゃないかと思ったりもする。その3年間で、あるいはその後の4年間で、何かを見つける、なんてことではダメなのかなあ…。

今、例えば、そんな明確な将来の計画があったとしても、じゃあその入試に落ちたらどうするんだってこともあるし、もしもそうなったら「じゃあ次」なんて簡単に方向転換も出来ないだろうし。というか、夢は同じで、学校が違うというだけのことか。

そういう明確な答えとか、将来の計画なんてものを求めるとしたら、高校なんてものは不必要なものにならないか?だって大学に入るためのところなんだし、その能力を振分けるところだけの選別場ならば、高校も義務教育にしてしまえば良いのに、なんて思うのだけれど、そうなると受験というハードに勉強する期間がひとつ減って、国民の学力が低下するか…。

15の春かあ。その受験に失敗したボクは…ま、いいか。

それでタイトルなんだけれど、面接で「小保方さんのようにリケジョになりたいです」とか「早稲田大学に行って小保方さんのようになりたいです」なんて言った人いなかったかなあ?何人かはいたと思うんだけれど。

それって減点になる?

「しまった」なんて彼女の名前を口にした人たちは後悔しているのかもしれないね。でも、減点にはならないと思うよ。きっと小保方さんも一生懸命勉強して、病に苦しむ人たちのために研究をしてきたんだろうから。たぶん、並大抵の努力ではなかったはずだし、研究者としての使命感なんてものもたっぷり持っていただろうし。

でも、「小保方さんのように」なんて頑張っている/頑張っていた子供たちには、嫌な出来事なんだろうなあ。まあ、そんなことは凡人の考えることで、秀才なんて言われる子供たちは「〜のように」なんてことは考えていないか。きっとそうだよね。

まあ、義務教育なんだから、勉強する義務があるってことだ。

うめ
送迎バス内での暴行事件って、期間従業員だろうね?
ボクたち期間従業員の思い出と言ったら、あの送迎バスの中でのことがかなりの部分を占めている。沈黙のバスだったのだけれど、誰ひとりとして心が満たされてそこに座っていたわけではなくて、ほとんどは哀しみや苦しみなんてものをたっぷりと吸い込んで、それは少し揺れればこぼれ落ちてしまうほど体内に溜まっていた。それに疲労がボクたちの穴という穴を塞いでいたもんだから、バスの中だけではなくて、寮でも食堂でも、ボクたちは沈黙の集団だった。まるでどこかの国の人々のように。

送迎バスの沈黙 | トヨタ期間従業員に行こう
そういえばあれから2年なんだね | トヨタ期間従業員に行こう

何度か書いたことがあるし、いまでもボクの思い出の大部分はあの沈黙の送迎バスのことでしめられていたりする。そして沈黙が精神のバランスを保つ唯一の方法だということを、なんとなくボクたちは解っていた。

ボクたちは「どこかの国の人々」というか、飼い慣らされた動物のようでもあった。黙々とルーチンをこなす、というか、ラインダンスを踊る囚人のようでもあった。バスはその刑場へボクたちを運ぶ憂鬱な存在だった。

2、3日前の地方紙に「送迎バス内で殴りケガを負わせた疑い、田原署が男逮捕」という記事があった。田原市東滝頭の28歳の男(新聞には実名が載っていたが)が「午後3時10分ごろ、当時勤務していた会社の送迎バス車内で居眠りしてもたれかかったのを注意されたことに腹を立てて、隣席の同僚男性(44)の顔や頭を数十発殴り一週間のけがを負わせた」そうだ。

「同僚」と言えば聞こえがいいが、赤の他人、ほとんどその「同僚」という感覚がないのも、あの送迎バス、というか期間従業員たちなのだ。2直の始業前、昨夜の残業の疲れを引きずった見ず知らずの男たちがすし詰めのバスに乗る。そんな光景は良く見ることがあったし、ボクもその「同僚」と言われる他人の肩にもたれてかかって居眠りしたことがあった。その逆もあった。

ボクたちはそれでも黙っていた。ボクたちは「同僚」という赤の他人なのだけれど、同じ傷を持つ、あるいは同じ哀しみを背負った「同志」だったので、それぐらいのことは許していたし、沈黙することが正義だと誰もが知っていた。

多くの不愉快なことが起きていた。寮で、食堂で、浴場で、バスで、その停留所で、ミマスで、イオンで、ぐるりんバスで、渥美線で……。ボクたちがほとんど奇跡ともいえる沈黙を保って、そしてこれまた神がかりとも言える寛容な心を持つことが出来た理由は、ボクたちに「期間」という刑期があったからだ。

「期間」という刑期があったからこそ、ボクたちは「同僚」という赤の他人の位置にいることに耐えることができたし、非正規なんていう差別的な扱いにも我慢できた。あのライン作業や送迎バスの沈黙が永遠に続くことだとしたら、ボクたちは発狂していたに違いない。ボクたちはそれほど不自由だった。

今は非正規という蟻地獄にはまってしまっては、そこから這い出すこともできない。「期間」という「無限」の空間の中に多くの若者がいる。全労働者の40%という異常な数の人たちが、その無間地獄の中で苦しんでいる。

もう彼らの哀しみや苦しみは、あの頃よりもたっぷりと身体に溜まってしまっていて、少しの揺れでこぼれてしまうほどになっている。「もたれかかったから」注意して、「注意されたから」殴る。送迎バス内で起きた事件、というだけではなくて、これからこの国の中で「非」という「無限」の刑罰を科せられた若者たちが、少しの揺れで犯罪を起こすようになる。いやもうすでに秋葉原や名古屋駅前、そしてあの柏市通り魔事件なんて事件、無間地獄の中にいる若者たちが次々と現れている。

豊橋市 神明公園
豊橋市 神明公園にて
ベビーシッター事件で考えたこと
夜の仕事、時給2000円、そこが母親にとっては一番条件の良い職場だったんだろうね。昼間のパートなんてのはせいぜい最低賃金程度で、今回のベビーシッター代にもならないのだから、たぶん多くのシングルマザーはそういう選択を考えたことがあるのだろうと思う。

ただどんな理由があったのかは知らないけれど、3日間もあずけたことについては「育児放棄」なんて言われてもしかたないのかなあ、なんて思う。

なんの資格も技術もない女性がひとりで生きてゆくにはかなり難しい世の中なんだろうね。昼間のパートやアルバイト、あるいは派遣や期間工なんて労働条件で雇用されたとしても、年休すら取りにくいのが実情で、いくらそれが「労働者の権利」だと理解していたとしても、それらの権利を行使しようとすると、解雇が厳しいようで簡単なこの国では「辞めてもらってもけっこうだよ」なら良いほうで、「何考えてんだ、明日から来なくて良い」と怒鳴られてお終いというケースのほうが多い。

経営者がそんなことを露骨に言わないにしても、従業員が経営者と同族だったり、あるいは昔からの従業員が多いもんだから追い出しにかかる。結局辞めなければならないようになる。春闘だベアだ、なんて「闘える」のは大手だけなのだ。年休すら取れない、そして病気でも出勤しなければ怒られるなんてのがほとんどの企業の実態なのだ。おまけにサビ残、会社行事の強制参加、上司のセクハラ、パワハラ、なんでもありってところも多い。

育児のためにパートやアルバイトなんて非正規雇用を選択したとしても、育児休暇どころか年休も取れないのだから、母親たちは時間1000円を出してでも子供をあずけなければならない。

育児だけではなくて子供の病気、それ以外にも例えば小学校の入学式、卒業式、授業参観やPTA、入試に合格発表、子供たちには母親に参加してもらいたい多くの行事がある。そのために非正規の道を選んだとしても、それを叶えられない、だからこういった危険な方法を選択しなければならなくなる。

子供のためにパートに出たのだけれど、結局それが子供のためにならない、というこの国の労働環境に問題があるから、その隙間に犯罪が入り込むのだ。

どこかの県知事が育児休暇を取ったと、どや顔で報道されていたけれど、県知事が育児休暇を取ったところでこの国のほとんどの企業ではそんなものは取れない。どんな企業でも育児のために休暇を取りやすいように法整備するのが政治家の役目であり、今ある権利を行使することは役目ではないと思う。

せめて子供のために年休を取れる労働環境の整備と、育児のためには正規、非正規、雇用期間なんてものを問わないで休める職場環境を整備しなければ、この国の未来はないと思うのだけれど。

鶴舞公園
鶴舞公園
さくら2014
「18きっぷでどこか遠くへ行ってみたい」なんて昨夜までは思っていたんだけれど、朝めざめるともう9時なんて時間で、窓から見える青い空がボクを怠惰にさせる。洗濯をして、ご飯を食べて、包丁を研ぎ始めた。そしてもうお昼前で、今度はその時間に喪失感をおぼえる。失業していた頃のように時間がたっぷりとある生活をしたいと思う。

春だね。

桜はまだつぼみ、それもまだ固そうだ。たぶんこの陽気でいっきにやわらかくなるんだろうと思う。そうしてあと一週間もすれば咲くのだろうね。何の計画もないのだけれど、花が咲くのは楽しみだ。同じような毎日を過ごしているぶん、季節の変化が新鮮に思えるのかもしれないね。

いつからなんだろう、こうして日がな一日家に籠っていても退屈だなんて思わなくなったのは…。休日だけではなくて、人生において何のイベントもなく、そのことが退屈だなんて思わなくなったのは…。

歳をとるということはそういうことなんだろうか?

「明日しらぬ身の楽しみや花に酒」井月

さてと酒でも飲んで寝るか。

さくら2014 向山公園
花見の準備は真っ盛り(向山公園にて)
入学祝にスマホを贈る前に約束したいこと
あの頃、ボクたちの入学祝と言ったら、なんだったんだろう、例えば腕時計だったり万年筆だったりしたのだけれど、最近ではスマホが多いと聞くし、入学シーズンの今「入学祝にスマホを贈る」なんてキーワードで今朝のワイドショーでも子供たちのLINEによる「既読スルー」なんてイジメの問題が取り上げられているのだから、その割合はかなり高いのだろうと思う。腕時計や万年筆なんてものよりはなんて割高なお祝いなんだろうね。

確かにスマホなしでは、グーグル先生なしでは暮らせないほど、ボク/ボクたちはスマホに依存している。ボクがこうして知らない街で知らない人に囲まれて、ひとりぼっちで生きていられるのはスマホ、ネットがあるからだったりする。

クルマなしの生活はできても、スマホなしの生活は考えらない。それは本当に幸せなことなんだろうか、なんて思っているのだけれど、その疑問についてもネットで調べたりするのだから、幸不幸なんてことの前に、命よりも大切なものになっているのかもしれないね。依存している、というか、中毒というか。

きっと、スマホをお祝いにもらい本人たちよりも、あげる親御さんたちのほうが心配事が多いのだろうね。本人たちにとっては、無限の可能性みたいなものが手に入ると思っていて、SoftBankとかauとかdocomoとかのキャリアの、ボクには解らない違いを解っていて、通話という本来の目的なんてものとは違うところで選別しているのだろう。それは、あの頃ボクが万年筆や自転車、旅なんてものに求めたようなもので、いつの世にも誰もが経験することなんだろう。

一年前にブックマークした記事、ちょっと話題になったのだけれど、子供たちにスマホを渡す時にこんな「約束」をすると良いかもしれないし、今のボク/ボクたちにとっても大切なことが書かれていると思う。

母親が息子に教える「iPhoneの18の約束」大人でもいちいち納得の中身 : J-CASTテレビウォッチ
(1) このiPhoneは私が買った。あなた(息子)に貸している。
(2) パスワードは私が管理する。
(3) これは電話。鳴ったら出ること。
(4) 学校がある日は午後7時半、週末は9時に親にあずけること。
(5) 学校に持って行ってはいけない。メールする友だちとは直接話しなさい。会話は人生のスキルです。
(6) 破損したら、修理はあなたの責任。
(7) ウソをついたりバカにしたり、人を傷つけることにテクノロジーを使わない。
(8) 面と向き合って言えないことはメールで送らない。
(9) 友だちの親の前で言えないことをメールしてはいけない。
(10)ポルノ禁止。情報は私と共有。知りたいことは私かパパに聞いて。
(11)公の場では電源を切るかマナーモードにする。
(12)大事な部分の写真をやりとりなどしないこと。インターネットは巨大で強力。消すのは難しい。
(13)写真やビデオのすべてを記録する必要はない。自分自身の体験を大切に。体験は永遠に残るもの。
(14)ときどき家に置いていきなさい。携帯は生き物でもあなたの一部でもない。これなしでも暮らしていけ   る。取り残されるのを恐れず、器の大きい人間になりなさい。
(15)いい音楽をダウンロードして聴きなさい。視野を広げなさい。
(16)ワードゲームやパズル、知能ゲームで時々遊びなさい。
(17)上を向いて歩きなさい。周囲の世界に目を向けなさい。会話をしなさい。グーグルで検索をしないで思   考しなさい。
(18)約束を守れなかったら没収します。もう1度話し合い、はじめからやり直しましょう。あなたと私は常に   学んでいるチームメイトです。一緒に答えを出していきましょう。


結局(1)なのだから約束が守れなかったら(18)になるということは当然なのだ。そしてこの約束はボクたち大人の約束でもあると思う。道具はうまく使えば幸せが得られるし、使われてしまったら悲しいことになるということだ。それはスマホに限ったことではないのだけれど。

さてと寝るか。

さくら2013年 向山公園3月28日

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