トヨタ期間従業員に行こう

トヨタ自動車期間従業員であった筆者が期間工、派遣社員、非正規社員についてや雇用の問題そして1年間にわたる失業生活、その後のタクシー運転手としての日々なんかをぬるめに書いています。

異物混入缶詰は宮古産です
缶詰を食べようと思った昨日の夜のことなんだけれど…。「ああ、そう言えばニッスイの缶詰に異物が混入されていて回収しているってニュースで言ってたなあ」なんて思い出してググった。

「当たり」。めでたく、その異物混入缶詰が我が家にストックされていて、なんだか少しうれしくなった。まあ、こう思うのが良いのか悪いのか分からないのだけれど、17580分の1を引き当てたのだから、ついてる?これが宝くじだったら…。

さてどうしようかと少しだけ考えて、とりあえず撮影。

「お客様のお手元に対象商品がございましたら、大変お手数ではありますが、下記の送付先まで送料着払いでお送りくださいますよう、お願い申しあげます。後日改めてご返金させていただきます」
お詫びと回収のお知らせ 缶詰「さんま辛みそ煮(100g) EO角5A缶」|ニュースリリース|ニッスイ企業情報サイト

と、ニッスイのサイト。100円を返金してもらうよりはこのまま記念として置いとくかあ…なんて思っているんだけれど…。メーカーにとっては不良品は出来るだけ回収したいと思っているはずだし、17580個全部回収しないことには、夜も眠れないかもしれないなあ、なんて思ったりもしている。全て回収するなんてことは不可能なんだろうけれど。それにすでに食べた人かなりいるのだろうし。

食べて空き缶を送るか。たぶん、いやきっと、大丈夫だろうし…。しかしなあ…プラスチックとかゴムなんて軟らか物ならば少しぐらいは大丈夫だろうけれど、相手は金属だ。口や喉や食道、胃に刺さらないかしら…。

そう考えるとボクも眠れなくなってしまった。ああ、100円の葛藤…。

う〜んそれに、「後日改めてご返金させていただきます」と言っても、100円だけではなくて、きっとニッスイの缶詰セットなんかも付いてくるんじゃないだろうか。お詫びとはそういうものだ。口や喉や食道、胃に刺さって、もしかしたら身体に重篤な症状をもたらしていたかもしれない、なんて考えると「はいはい、ごめんなさい、これ代金の100円」なんて簡単に「ご返金」されても、それはそれで企業として正しい対応ではないはずだ。

人間とは欲深いものだ。中にはボクと同じように考えた結果、故意に食べて「体調が悪いんですけれど」なんて申告する人もいるはずだ。そうなると100円では済まなくなる。慰謝料なんてことに発展してしまう。

実際内臓に刺さった人もいるだろうし、そのニュースを聞いただけで体調が悪くなった人もいるはずだ。そういった人たちへの対応でたいへんなのかもしれない。

なんて考えていると、「ああ、やっぱりこのまま匿名で返品しようかなあ」なんて思っている。ニッスイさんには子供の頃から魚肉ソーセージや鯨肉の缶詰なんてものでお世話になってるしなあ。水産加工食品業者として日本の漁業の発展や漁業そのものに貢献しているしなあ。

それに回収される缶詰、岩手缶詰株式会社の宮古工場で製造されたものなのだ。こんなことで震災からの復興を遅らせていいものかと思う。そう考えると、少し哀しくなってきた。「ああ、やっぱりここが男の見せどころだなあ…」なんて考えて、匿名で返品することに決めた。

きっと多くの人がそうするに決まっているし、そうしてもらいたいと思っているのだ。だってまだ食べてないんでしょ?食べて身体に異常がある人は別として、手元にある人はそのまま黙って返品する、なんてほうが美しい。黙って支え合う、というのが美しい、と思うのだ。そしてそれが人として正しい行動だと思うんだけれど…。

ニッスイ さんま辛みそ煮 異物混入品
さんま辛みそ煮をご飯にかけて食べると美味いのだ。
福島屋で熱燗を一杯
白粉くさい酒、なんて台詞が落語の中に出てくるんだけれど、酒は居酒屋なんてところで、ゆっくりと飲むのが性に合っているようで、白粉くさいお姉ちゃんのいる場所はどうも苦手なのだ。

若い頃は、スナックなんてところでお姉ちゃんの(まあ、その頃は本当に年上のお姉ちゃんたちだったのだけれど)人生話なんてのを聞くのが好きだったり、ボク自身の人生相談をしたりして、それはそれで楽しかったのだけれど、中年の域に達した年齢になった今では、自分の子供ぐらいの年齢のお姉ちゃんにそんな話もできる訳もなく、結局高い金払ってこっちのほうが気を遣ってホスト役になってしまっては、疲れるのがオチだったりするので、面倒くさくなってしまったのだろう。

ボクよりも年上のお姉ちゃんのいるスナックなんてなると、熟女バーってことになるのか…。熟女というよりも、完熟、柿でいうなら熟柿……。逆にピチピチ(死語?)のお姉ちゃんのいる場所、あるいはフィリピンパブなんてところのほうが癒されるかもしれない、そう思っても、どうもフィリッピンパブなんてのところは人身売買のにおいもしたりして、またそれはそれでなんだか落ち着かない。

蕎麦屋で一杯なんて風流さも持ち合わせていないので、結局やっぱり居酒屋で一杯なんてことが多くなる。(お家で一杯が多いのだけれど)

居酒屋で飲んで、酔ったところでフラフラと街を歩くのが好きだったりする。家に帰る道すがら、いつも通らない路地裏に迷い込んでしまうと、感覚が麻痺する。くさなぎくんが全裸になって踊った気持ちも分かる。これまたそんなデリケートな感覚を持ち合せていないので、せいぜい裸足で歩くぐらいのことしか出来ないんだけれど…。

さてさて、福島屋。豊橋では老舗の居酒屋らしい。評判通り、肴は美味しいし、お酒も旨い。居酒屋というよりも、小料理屋と表現したほうが良いと思う。特筆すべきは「豚足」。ここの豚足は醤油で味付けされたものを焼いている。これが絶妙の味付けで、豚足目当てにリピートする人がかなりいると思う。このボクもそのうちのひとりになってしまった。

福島屋で熱燗を一杯だけではなくて四合ほど飲んで、そしていつものようにフラフラ歩いて豊橋駅前まで出てきた。北島や船町界隈は開発とか近代化とか発展なんてものと縁切りしている路地が多くて、古き良き豊橋の街を残しているところが残っている。狭い道路は確かに車社会では困ることもあるのだろうけれど、逆に車が入ってこないという安全性を確実に担保している。

結局、人も街も白粉で覆い隠しては、それのもつ本質なんてものまで隠蔽してしまって、人びとの感覚に妙な刺激を与えて神経を破壊してしまうのではないかと思う。化粧が悪いという意味ではない。街を政策なんてもので区画整理してしまうということだ。安全とか住み易さなんてスローガンで道幅を広げアスファルトで覆い隠し、コンクリートで立体的に創造してしまうことだ。

もうボクたちは素肌の土地なんてものには何の魅力も感じ得なくなってしまって、たっぷりと白粉を塗った、そのにおいのプンプンするものにしか価値を見いだせなくなってしまっているのだ。そしてそのにおいのプンプンする酒を毎日飲んでは、情緒なんてものを破壊されているのだ。

なんて考えながらボクは豊橋駅のベンチに座っていた。ホームレスはそろそろ塒を確保しはじめている。彼らも開発とか発展とか近代化なんてものの犠牲者なのだろう。タクシープールにはたっぷりとタクシーが溜まっている。道路はお迎えの車で渋滞している。

福島屋の豚足
イスラム国邦人人質問題で考えたこと
29日日没までに後藤さんとサジダ・リシャウィ死刑囚を交換する用意ができなければ、狂気の集団に拘束された「ヨルダン軍パイロットが即座に殺害されるだろう」という新たなメッセージが、昨夜の23時頃、その集団からYouTubeにアップされたそうだ。この人質問題、国会も中断されるほど日本の政府、マスコミ、そしてボクたちも大騒ぎだ。

フリーのジャーナリストでこうなんだから、もしも日本政府がテロリストの要求に屈してしまって、彼らの言いなりになったとしたら、次は政府要人や外務省の職員なんて人たちを人質に取る。彼らは思うだろう「日本はなんでもする。2億ドルどころか20億ドル払うだろう」と。次々に邦人の誘拐が始まる。

全世界のテロリストは日本政府の動向を注視している。対応次第で明日にも誘拐が始まる。取りあえず日本企業の社員を人質にとって身代金を要求する。トヨタ自動車の社員なんてのはまっさきに標的にされる。なんたって世界のトヨタだ。2億ドルなんて風評被害に比べればお安い値段だ。「2億ドルのために社員を見殺しにしたろくでなし企業」なんてことで不買運動が世界規模で起こらないなんて保証はどこにもない。

良いことも悪いことも、あるいは嘘も本当も、ネットを通して即座に世界中に拡散される、それがグローバル化ということだ。払うも払わぬも同程度に企業のコストになる。

テロリストに屈するということはそういうことだ。2億ドルを払ったがためにその数倍数十倍もの被害を被るようになる。後藤さんが言っていてように、彼の問題は「自己責任」なのだ。後藤さんも「助けてくれ」とは思ってない。この国の国民も「なにがなんでも救出」なんて考えてはいない。ヨルダンにとってもこの国にとっても「困ったなあ」と言う存在なのだ。そう思うのだ。

日没までに死刑囚解放をメッセージ・YouTube
イスラム国と女子大生
朝5時に目がさめたのは、寒さのせいだったのだけれど、人質になっていた後藤さんのことが気になってネットニュースを見た。YouTubeで検索して例の動画を見た。いつもの手口だ。たぶん、ほとんどの人はボクと同じような感じだったと思う。「やっぱり」なんて思ったはずだ。解放されるなんて思っている人は、よほど、のん気な人に違いない。

戦場とはそういうことだ。戦争とは合法的に人を殺すことなのだろうし、戦場とは人が殺し合う場所なんだから、そこに足を踏み入れるということは、生きるか死ぬか、いや死ぬのが当たり前の空間なわけだ。「殺害されない」なんてことは、ない、のだ。だから「やっぱりね」と多くの人が思っている。だよね?

ふと、女性を殺害した名古屋の女子大生のことを考えた。
「人を殺してみたかった」、それほど異常なことでもないように思う。

「どうして人を殺したらダメなんですか?」
こんな質問にどう答えればいいのだろうか…。法律で禁止されているから、なんてことは抑止力になるにしても、その質問の回答にはならない。世の中には法律で禁止されていることを平気でやる人が多い。それに毎日毎日人殺しが起こっている。自動車事故だってそうだ。

「合法的」だとすれば、ダメではなくなる、としたら、彼女の言う『「殺したい」人はいないけど「殺してみたい」人は沢山いる』のだから、それは実行される。「日常を失わずに殺人を楽しめる」こともできる。

そうあの国に行けば「日常を失わずに殺人を楽しめる」のだ。

人を殺す、という行為はそれほど異常なことではないのではか?
例えば魚釣りとかハンティングとかと同じレベルなのではないのか?

そしてそれが快感と繋がる。
ガツンと骨に当った。俺の手に当ったそのガツンは、なんともはや、いやな感じだった。ドジを踏んで俺はあわてて、もう一度、軍刀を振りあげた。そのとき、奇怪な恍惚感を伴った戦慄が俺の肉体を貫いた。俺は射精をしていた。

高見順の「いやな感じ」、中国人捕虜を処刑する場面だ。

あ〜快感。

薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」の場面だ。

奪うことは気持ち良いことなのだ。それが高価なものかけがえのないものだとすると、一層その快感が高まる。ガツン…。

70億人の0.1%の人が、彼女の言う「理想」をどこかで求めているとしたら。きっと狂気の集団の目的もそこにあるのかもしれない。そこが理想郷なのだ。

イスラム国の女子大生
2月2日のこと
アルバムの中にある過去は少し色褪せてはいるにしてもまだしっかりと重量を保っていてその時間を繋ぎとめていた。過去の上に染みを着けているのはボクの哀しみとか悔いなんてものでそれが時間を立体的にしていた。

Kさんの訃報を聞いた時にボクは悲しいという感情よりも後悔という気持ちのほうが強くてこんなに近くにいながら一度だって逢いに行くこともせずにいた自分を悔やんだ。その悔しさが涙に変わった。去年の夏にTと一緒に行けばよかったなんて思った。そう思ったらまた泣けてきた。

満月も近い夜のその底をボクは歩いた。手足の感覚は鈍くなっていったのだけれど感情は麻痺しきれずにのた打ち回っていた。人間は死んで人の心に残る。死者の痕跡の中でボクたちは呼吸をしている。

ボクはコンビニに入ってカップ酒を買って一息に飲んだ。

追悼

実はあなたに逢うことに少しやましさみたいなものがありました。こうしてなにか不本意に生きている自分を見せていいものかと考えていました。年賀状のひとつも出さなかったのも、そんなやましさがあったからだろうと思っています。

ボクたちはいつも酒を飲んでいましたね。とにかく夜になれば飲んでいた。純粋に生きることを教えてくれたのはあなたでした。酒を飲むときはただ酒を飲むことを考えていて、人と接する時はただその人のことを考えるということを、利己でもなく利他でもなく、その真ん中あたりで生きることの美しさみたいなものを教えてくれました。

ボランティアスピリッツ、公益を考えるということを教えてくれたのもあなたでした。バランスのとれた感情、思考の大切さを教えてくれました。

あなたと飲んでいる写真を大切に持っています。もう20年以上前の写真です。少し色褪せてはいるにしても、こうしてたまに見ては、あなたが教えてくれたことを思い出しています。たぶん、ボクたちの心の中には、ずいぶんとあなたの魂が残っています。

あなたが生きていようが死んでいようが、それはボクたちの関係性になんら重要なことではないように思います。だってボクの心の中には永遠にあなたは生きているのですから。もうあれから20年も会っていないのだから、21年も22年も同じことだと思うのです。ボクが死んでしまう時だけが本当のお別れなんだろうと、今は思っています。その時になってお別れを言うことにします。じゃあ、また。


真夜中の向山梅園までボクは歩いた。春の気配、梅の蕾が月夜に浮かんでいた。

向山梅園の梅
貨客混載、もっとタクシーを!
鬼祭りの朝。
Kさんの死や父の命日が重なってなんだか息苦しい二月の初めだったのだけれど、鬼祭りの朝は暖かくて、布団を干したりシーツを洗濯していると少し、頭の後ろあたりにある息苦しさのもとみたいなものが薄れている。

父親は十年ほど入退院を繰り返した後に病院で死んだ。両親ともタクシーにはずいぶんとお世話になった。故郷は過疎地にあってバスの便も少なく、自家用車がないと買い物にも不自由する地域だ。ボクが小さい時はそれでも近所に数件の食料品兼雑貨屋や酒屋なんてものがあったのだけれど、今では1店舗のみになっている。

実家からその店舗へは500メートル以上離れていて母親は、いわゆる買い物難民なのだ。その雑貨屋も店主の高齢化によっていつ閉店するか分からない。そうなると数キロ離れた地域まで買い物に行かなければならなくなる。

タクシーを利用する老人に、故郷の母親のことを想う。きっと「近くだけど悪いねえ」なんて気を使って乗っているに決まっている。身体が動けば1キロぐらいの徒歩での移動はなんでもないのだけれど、人間80歳を超えるとその距離も辛くなる。辛くなるどころか歩くことが困難な人だっている。母親もあと数年すればそういう状態になるかもしれない。

過疎化や都市計画の失策によって母親のような買い物難民が増加している。クルマ社会の弊害がここにきて露呈している。商業施設、医療施設、公共施設までも郊外化したツケが、社会が高齢化、核家族化することによってまわってきている。

そのためにコミュニティバスやオンデマンドタクシーを運営しなければならなくなった。今の世の中移動できないということは死を意味する。交通なくして生存さえできない。あらたなるクルマ社会の到来だ。自ら運転して移動するクルマ社会から、運転してもらうクルマ社会になっている。

国土交通省の交通政策審議会陸上交通分科会自動車部会で、自動車輸送の新たな方針について中間報告があり、その中に「貨物と人とを混載する貨客混載輸送の解禁」「タクシー業者やトラック業者などによる生活支援サービスや介護サービスの提供」なんてものがある。

例えばクロネコヤマトの宅配便のトラックや郵便の集配車に乗客を乗せられるようになったり、タクシーで買物をして宅配するなんてことが可能になるということだ。

便利かもしれない。郵便局へ行くのに郵便集配車に乗って行くのは都合が良い。郵便局がコンビニを経営するようになるともっと便利になるかもしれない。いやコンビニがタクシー経営に進出するかもしれない。これまた母のような買い物難民にはありがたい。

タクシーはどうだろうか。物の集配、独居者の見回りの業務にニーズが高まるかもしれない。例えばワタミやヨシケイなんて宅食業者の配達をタクシーが行うようになるかもしれない。回送のついでに見回り業務をするようになるかもしれない。オンデマンドタクシーが真のオンデマンドになってゆくなんてことも考えられる。全ての車両が介護タクシーになるかもしれない。そしてamazonやイオンなんてネットスーパーの配達を受け持つようになるかもしれない。高齢者が免許を返納するとタクシー券がもらえるようにきっとなる。老人福祉タクシーチケットは今後さらに増える。ウハウハなのだ。

タクシーに未来はある。そう思うのだ。新しいクルマ社会を担うようになる。自ら運転するクルマ社会は終わるのだから。

ボクはそうなってほしいと思うのだ。そうすると田舎に独りで暮らす母親の気苦労も少しは減るだろう。いやその前にボクたちがボクたちの老後のことを考えると「好きな時に好きな場所へ行かせてくれ」る社会のほうがずっと幸せに決まっている。だからもっとタクシーを!なのだ。タクシーが日本を救うに決まっている。

そう思うのだ。さてと…。

報道発表資料:交通政策審議会陸上交通分科会自動車部会 - 国土交通省

農林水産省の農林水産政策研究所は、自宅から生鮮食料品を扱う店まで500メートル以上あり、自動車を持たない65歳以上の「買い物難民」が2025年に全国で598万人にのぼり、10年の382万人から200万人以上増えるとの推計をまとめた。
買い物難民、2025年には598万人に : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

鬼祭り
安久美神戸神明社にて
わかれ
きっとボクたちにもわかれが訪れる…。
永遠などないのだから。世界は刹那に満ちている…。
想い出も少ないほうが良い。この部屋のように…。
繋がりがボクたちを哀しくさせる。永遠などないのだから…。

めざめると遅い朝で閉ざされたカーテンからいつもと同じ光が差しこんでいる。特別な朝などないほうが良い。

「帰りなさい糸」
と井川遥さんの演ずる高須久子が言う。

「2度とここへは参りません。わたしはあなたを憎みます。憎んだ人のことは忘れないでしょうから」
とその娘、高須糸が言う。大河ドラマ「花燃ゆ」のワンシーン、野山獄での母娘の再開でのコトバだ。

「憎んだ人のことは忘れない」
ひとはわかれる。憎んでわかれることのほうが多いように思う。そしてそういう行動をするように出来ているのかもしれない。哀しみを和らげるために。あるいは糸が言うように「忘れない」ために。そう思うのだ。

ひとはわかれる。いろいろな理由で、いろいろなかたちで。
想い出だけが残る。

ボクはこれからまた眠るのだけれど、本当はこのまま眠り続けられたらと思ったりしている。永遠に。

豊橋公園のマンサク
マンサク 豊橋公園にて
バレンタインデー
日本人はね、女の人からチョコレートなんてもらわないんですよ。
チョコレートはね、駐留軍からもらうもんだったんですよ……。

権太楼師匠のまくら、たしか「代書屋」だったかで聞いたことがあるのだけれど、なるほど。そう考えるとパン食や肉食なんてものと同じくチョコレートもアメリカの戦略だったのかもしれないね。「Give me chocolate」と、戦後70年たった今でもこの国の人たちは言い続けている。そして「戦争に負けてよかったアメリカ万歳!」なんてことが刷り込まれる。

チョコレートなんてのはね、女子供が食べるもんなんですよ。
なんてボクは毎日「チョコレート効果86%」を食べ続けているんだが……。

井川遥 ハイボール広告
ハイボールの広告から管ちゃんが消えて、最近では井川遥さんが登場している豊鉄バスバス停のポスターなのだ…。井川さんは美人すぎてちょっとあれだね。
女は男の指を見る
「女は男の指を見る」竹内久美子せんせいの本のタイトル…。ふ〜ん、なるほど「指」なんだね。
「女の人は男の足の長さなんて見てないもんね、もんね」なんて話になって、んじゃどこを見ているんだろうなあ…例えば男だと胸とかお尻とか切れ上がった小股とかを見ていて、「おっばい星人」なんてコトバもあるほど、いわゆるフェティシストが多いというのが世間一般の認識なんだけれど、女性もやっぱりお尻とか胸とか、あるいは股間とか、とか…。
#ちなみにボクは女性の後姿に引かれるんだけれど…。菱川師宣の見返り美人図なんてのはきっとボクと同じような嗜好の人には原風景みたいなもんだろうと思っている。

「サクション・ピストン仮説」のことを前に書いたことがあるのだけれど、せんせいのお話はとっても面白い。面白いだけではなくて、きっと、ためになる、はず…。

さてさて、とにかく女性は男の指を見ている、らしい…。この本の中にあるアンケートの1位「手(指を含む)」という結果にも出ている。ではどうして指を見るのかというと、男性の生殖器の遺伝子と指の遺伝子が同じ作業班だから、ということなのだ。要するに同じ職人が作るのだから、指のデキが良ければ、あすこのデキも良いということなのだ。

「オレの指は左甚五郎作だぜ〜ベイビー」と言えば、もうすでに言わずとも「オレの息子も甚五郎作なんだぜ〜ベイビー」となるのだ。デキが良いものからデキの良い子孫が産まれる、「女は男の指を見て彼の生殖器の出来具合、生殖能力のほどを見ぬいている」のだ、のだ…。

やっぱり指か…。なんとなくボクもそうは思っていたのだ。きっと顔かたちよりも足の長さよりも、指を見ているに違いないと、薄々は感じていたのだ。やっぱり…。

指と言ってもいろいろな形があるのだけれど、せんせいがおっしゃるには指比なるものが重要らしい。(よっしゃ〜、オレの時代だ)

指比とは、薬指の長さに対する人差し指の長さの比で、「指比の値が低い、言い換えれば相対的に人差し指に対して薬指が長ければながいほど、胎児期のテストステロン(男性ホルモンの代表格。当然、生殖能力に関わる)のレヴェルが高かったと考えられて」いるらしい。プロスポーツ選手や音楽家のサンプルを取ったところ、やっぱり指比が一般の平均よりは低かったそうだ。

女は男の指を見ていて、そうして無意識に人差し指と薬指の長さを観察しているのだ。そうして理想の指と指比の男性に巡り合える日を待っているということで、顔やルックスや年齢や財産、それに毛髪の多寡で選ぶと後悔するに決まっているということなのだ。指こそが相性の全てなのだ。

運命の糸をたぐってゆけば、その糸は指に繋がれているのだ。あなたが噛んだ小指が痛いなのだ。

女は男の指を見る
女は男の指を見る (新潮新書)
ほんとうに不本意非正規率は低下したのか?
確かに「多様な働き方」というのは、民主党の岡田代表がいうように美辞麗句であって、問題の本質を希釈するように思う。産業業種別によっても不本意不正規率は大きく違っているのだろうから、そのあたりをきちんと説明すべきだと思うのだ。

「安倍政権の経済政策の最大の問題は、成長の果実をいかに分配するかという視点が全く欠落していること。結婚・出産を諦めなければいけない多くの若者がいるという現実を無視し、『多様な働き方』という美辞麗句にすり替えることは許されない」(民主党 岡田克也代表)

「非正規雇用者の中で、正規の職に就きたくても不本意ながら非正規の職に就いている人の割合は、このところ低下しています。この点は特に強調しておきたい」(安倍首相)
(*1)

平成26年の労働経済白書(*2)によれば「非正規雇用の働き方を選んだ理由」として22.5%の人が「正社員として働ける会社がなかった」をあげている。10年前の2004年から14%も増加している。多くの企業がコスト削減のために常用代替として非正規雇用を増やしたこと、それも長期にわたって雇用し続けているということに起因している。

例えばトヨタ自動車は、期間従業員という常用従業員を雇用の調整弁として、これまた常に募集している。トヨタだけではなくて大中小ほぼ日本中の企業が社会的責任ということをすっかり忘れて、国民を使い捨ての道具、調整弁として雇用してきたことが、この1割弱の増加の原因なのだ。

同じく「より収入の多い仕事に従事したかったから」という理由で非正規雇用の働き方を選んだ人も8.3%いて、その中には製造業の賃金の良さに釣られて非正規を選ばざるをえなかったという人の割合が多いと考える。ボクもそうだったように、30代40代で離職すると、とりあえず「それまでの収入を確保する/したい/しなければならない」という状況になる。住宅ローンや教育費、車のローンなどとの収支を考えて、一時的な賃金の良さ、例えば一時金や満了金が選択の理由になる。将来なんてことよりは、目の前の金が必要になり、賃金の高い職場でとりあえず働くということになる。

企業は、射幸心とまでは言わないが、そのあたりの精神状態につけこんで、「生かさず殺さず」の雇用条件で募集をしてくる。それでも2004年までは有期雇用の期間が1年だったので、たとえばトヨタのように上限11か月で期間満了になり退職、そこから再度人生を考え直す機会もあったのだけれど、改正(改悪)されて3年なんて長期間雇用雇用(拘束)されるようになってからは、非正規から抜け出せない人が多くなった。

さらに企業は集めた非正規社員たちに、1割も満たない正規転換を「(がんばり次第では)正社員への登用あり」とささやき続け、その甘言によって自ら拘束され続ける若者が増加した。

それが格差が拡大した原因なのだ。国家、企業の欺瞞がまねいた国民の幸福の切り捨て、そしてマスコミまでがそれら企業の提灯記事を書き、CMを流し続けた。まるで戦時中のように、国民を欺いてきたのだ。若者たちは正規雇用になる夢を奪われ気づけば婚期を逃し格差の底から抜け出せない状況になってしまった。

このように、国民をコスト至上主義のもと使い捨て、企業は内部留保をため続たし、今もそれを増やし続けている。「死んだ日本でビジネスはできない」(*3)社会に投資をしなくなった企業、社会的責任を説く企業家もいない。政治家もだ。

「不本意ながら非正規の職に就いている人の割合」と首相は言う。正規になるのを諦らめなければならない社会をつくり、そしてもうそういった気力を削いでおきながら、割合が減ったと喜んでいるようにボクには見える。「成長の果実をいかに分配するかという視点が全く欠落」しているようにボクも思うのだ。

「多様な働き方」なんてことを言っている場合ではなくて、例えばトヨタ自動車の期間従業員の正規登用率とか、どれだけの期間従業員が意味もなく登用を妨げられて常用代替従業員として働いているか、なんてことを明らかにして、企業の(正規に)するする詐欺をなくし、常用代替雇用という悪質な雇用体系をなくさない限り、この国の若者の精気は取り戻せないと思う。


(*1)民主党の岡田克也代表の代表質問での答弁
(*2)第3節 労働者のキャリアアップに向けた課題
平成26年版 労働経済の分析 −人材力の最大発揮に向けて−|厚生労働省
(*3)デービッド・ブラワー氏の「死んだ地球でビジネスはできない」から

ゆうちょ 能年玲奈さん
「人生は、夢だらけ」と能年玲奈さんはいうけれど…。

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